壊れてしまったのでもう一度

チャンピオン戦でレッドに敗北した後、オレは自宅へ戻った。きっとリーグでは新たなチャンピオン誕生を盛大に祝っていることだろう。特にレッドは祖父のお気に入りだから。きっと姉がただ一人帰りを待っていてくれている。どんな顔をして会えばいいのか解らないが、今はただ休みたかった。


静かなマサラタウンの空は茜色に染まり、風が頬を撫でる。

小さく深呼吸をして、長年暮らしてきた自分の家の扉を開けた。


「ただいま──」


暖かい我が家で、優しい姉が傷に触れないよう気遣ってくれるであろう夜を過ごすはずだったのに。


扉を開けたそこは何故か、タマムシシティの端だった。


急いで振り返ったがそこにはただ建物の壁があるだけだ。混乱して上がっていく息を必死に整えていく。自分で思っている以上に、負けたことがショックだったんだろうか? それで頭がおかしくなってしまったのか。


さっきまで確かにマサラタウンの自分の家の前にいたはずなのに。じんわりと嫌な汗が背中を伝う。世界に拒絶されているような、そんな違和感が身体を支配する。手持ちのピジョットを出して、もう一度マサラタウンへ向かった。自分の家のドアを開けようとしたが、何故か持っている鍵では開かなかった。壊れてしまったんだろうか? 仕方ないのでインターホンを押すと、中から姉が出てきた。


「ねーちゃ⋯⋯」

「あら? どちらさま?」

「──え?」

姉は冗談を言うような人間ではない。忘れられている?何故?

「弟の知り合いかしら? グリーンなら、ジムをさぼってなければトキワシティに──」


思わず走り出した。どういう意味だ。グリーンはオレのはずなのに。なんで、なんで、なんで。オレのことを知らないみたいだった。じゃあオレは誰だ?


どんどん日が暮れて闇に呑まれそうな道を抜け、トキワシティにたどり着く。ポケモンセンターで休ませてもらったが、驚いたことに誰もオレに見向きもしない。チャンピオン戦のあと、道行く人に好奇の目で見られていたのに。まるで自分が知らない誰かになってしまったかのようだ。


朝、ポケモンセンターを後にしたオレはセキエイ高原へ向かった。リーグにレッドがまだいるはずだ。


チャンピオンロードを足早に抜けた後、偶然にも四天王の一人、ワタルの背中が見えた。

「ワタル!」

「──ん?」

マントを掴んでこちらを向かせる。

「レッド、レッドはどこだ?」

「ええと、レッドくんのお友達かな? 彼なら、シロガネ山の頂上にいるって噂だけど──強いトレーナーじゃないと入山できないよ」

「馬鹿にすんなよ、オレはチャンピオンになった男だ!」

そう憤るとワタルは苦く笑って、

「そうか。だがチャンピオンになるには四天王と、この俺を倒さなきゃいけない。君の挑戦を待っているよ」


一方的にそう放ちリーグの扉の向こうへ消えてしまった。

ああ、やっぱり。やっぱり誰もオレを──グリーンと認識していない。

それどころかワタルがチャンピオンだって? オレとレッドに負けたあいつが?


しかも昨日ポケセンで聞いた話によると、今のトキワシティのジムリーダーはオレではない『グリーン』らしい。ジムトレーナーからも随分慕われているようだ。オレの名を騙る偽物を問い詰めてやりたかったが、オレこそが偽物なんじゃないかという疑念に怯えて、ジムには寄らずにここまで来てしまった。


シロガネ山の頂上。そこにレッドがいる。

ゲートで見張りの目を掻い潜ってシロガネ山へと向かった。山の中は複雑で、急な傾斜を昇らねばならず、かなりの傷をこさえながらも、オレはなんとか頂上へと登っていった。


洞窟を抜けた先は一面の白。その中に佇む赤い人影。きっとあれがレッドだ。なんだか少し、背中が大きく見えるけど。


「レッド!!」

「──グリーン?」


相手は驚いてこちらを振り向いた。だがその顔は想像していたものではなかった。

レッドにとてもよく似ている。でも、違う。こいつはレッドじゃない。


「誰だよ、おまえ。レッドじゃねーな」

「──君は」


きっと、トキワにいるオレの偽物とグルに違いない。レッドによく似た誰かは顎に手を当ててしばらく何かを考え込んでいるようだった。

「僕は、君の知るレッドじゃないけど、この世界のレッドだよ」

「──は?」

「君は僕の知るグリーンじゃないけど、別の世界のグリーンだね?」

何を言っているか理解できなかった。いや、理解したくなかった。赤い男は、まるで手負いの獣を相手にするようにゆっくりとこちらへ歩を進めた。

「君は、この世界にいちゃいけない。元の世界に帰らないと」

「元の、世界って」

「君の居場所」


オレのいた世界。居場所。その言葉でオレは、全てを思い出してしまった。


「──い、やだ。あの世界は、壊れちまったんだ!」


そうだ、あの世界は崩壊してしまった。


「トレーナーも、ポケモンも、バラバラになって。へんな文字があっちこっちに浮かんでて。いないはずのモザイク状のポケモンみたいな何かとか、現れて」

そんな世界が受け入れられなかったオレは、全てを忘れて逃げるように家へと帰った。


震える声で言葉を吐き出していく。何か喋っていないとどうにかなりそうだった。


「レッドは、笑ってた。伝説のポケモンを何匹も生み出して、図鑑をおかしくさせて、世界を壊しちまったんだ」

「そうして出来てしまった歪みから、君はこちら側に来てしまったのか」


いつのまにか目の前に立っていたレッドはオレの手首を掴むと、崖の方へと引っ張っていく。崖のふちから眺める銀色の世界は不変で、ただ美しかった。


「見ての通り、ここは何もおかしくない、普通の世界」


ポケモンの雄たけびがどこか遠くから聞こえる。


「いろいろあったけど、僕はこの世界が好きだ」


もう一つの世界のレッドだと主張する男は、ボールからラプラスを出した。


「だから、君には悪いけど──この世界を壊させはしない」


聞き取れないほどの小さな声と共に、冷たく強い風が背中を押して、オレは銀色の空へ放り出された。

空を飛んだオレの身体は落ちることなく、歪んだ景色に飲み込まれて、海に沈んでいくかのように視界が闇に染まっていく。




目を開けるとそこはじいさんの研究所だった。どこも壊れていない。自分の身体を確認すると、服装が何故か旅に出たばかりのときの服になっていた。それ以外におかしいところはない。いや、持っていたはずのボールが全てなくなっている。


──ボール?

違う、違う。そうだ、ボールなんてそもそも持ってなかったじゃないか。まだ草むらに入ることすら許されていないんだから。でも今日ようやく自分のポケモンが貰えて、町の外に出ることができる。その為にじいさんはオレを呼び出したはずだ。


それがあまりに楽しみすぎて、すっかりトレーナー気分になっていた。


背後から足音が聞こえて振り返ると、レッドがいた。家が隣同士で小さいころからよく一緒に遊んだり競ったりしているオレのライバルだ。


「なんだーレッドか! オーキドのじいさんならいねーよ」


恐らくこいつも呼び出されたんだろうな。そう思い不在を伝えてやると、レッドはうっすら笑って研究所を出て行ってしまった。



変なヤツ。






壊れてしまったのでもう一度


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