赤毛のあいつとトキワジム
「シルバー、強くなりたいって気持ち、まだ持ってる?」
シルバーがもはや習慣となっている竜の穴での修行をしている最中、ヒビキが突然やってきたかと思えばそんな事を尋ねてきた。
「──当たり前だ。だから修行している。何だよ急に」
「良かった! 実は凄くいい修行になる仕事があってさ、僕がやる予定だったんだけど、シルバーの方が合ってると思ったから推薦しといた!」
「は?」
「明日十時にトキワジムなー!」
「あ、明日!? おい、待て、ヒビ──」
止めるシルバーの声も無視してヒビキはさっさと帰ってしまった。行き場の無い手を暫く彷徨わせたシルバーは、ため息を吐いてその手を降ろす。本当にあいつは突拍子がない。無視してやっても良かったが、どうにも気になってしまって仕方なく無理やり取り付けられた約束を果たすことにした。
***
「よぉ、待ってたぜ。お前がシルバーか。話に聞いてたとおり目つき悪いな!」
トキワジムに入った瞬間声を掛けられた。失礼なことを言われた気がする。ジムトレーナーらしき奴らとヒビキ、そして何故かコトネまでもがジムの隅でこちらを見守っていた。どうやら状況を飲み込めていないのはシルバーだけらしい。確かヒビキは修行と言っていたので、ジムに関する手伝いか何かだろう。何にせよよく解らないものに時間を割いてやるつもりは毛頭無い。断ろうと口を開きかけると──
「採用の条件は俺とバトルをすることだ。ごちゃごちゃ面接すんのも面倒だしな。さあ、かかってこい!」
「シルバーくん頑張って!」
「グリーンさんなんて伸しちゃえー!」
いきなりバトルが始まった。
***
こいつ、強い──!
シルバーは苦戦を強いられていた。最初のナッシーによるトリックルームという技が地味に厄介だ。基本的にバトルは先制を取れる方が圧倒的有利。もちろん敢えて後攻を取るスタイルもあるが、シルバーの手持ちのポケモンには向かない。
そもそも何故バトルを強いられているかも解らない中でまともに思考を働かせるのは難しい──いや、これは言い訳か。
「くっ⋯⋯!」
何とか三体は倒せたものの、勝負に負けてしまった。純粋に実力差で負けたどころか手加減までされていたような気がして悔しかった。
まあ、元々断りに来たんだから負けたからどうという訳でもない。目を回すオーダイルをそっとボールに戻して立ち去ろうとすると、何故かグリーンがこちらにやってきて肩を掴み笑顔を向けた。
「うん、合格だ!」
「は?」
負けたのに? いやそもそも何が合格なんだ?
「何でって顔してるな。俺が見たかったのはバトルの強さだけじゃない。ポケモンとの信頼関係と、お前がどういう人間か、だ。まあ、ヒビキの紹介だから心配はしてなかったけどな。──じゃあこれから一週間、よろしく頼むぜ!」
「何を!?」
「何って──代理のジムリーダーだよ。そのために来たんじゃないのか?」
ジムリーダーって、大役じゃないか! そんなものを見ず知らずの俺に任せるなんて、このジムリーダーは頭がおかしいのか? シルバーは混乱しながらもヒビキに鋭い目を向けた。
「おいヒビキ!? 聞いてないぞそんな話!」
「言わなかったっけ? 大丈夫だって! 不安にならなくてもシルバーならこのくらい余裕だろ?」
「不安になんてなってない! お前の傍若無人さを責めてるんだよ!」
シルバーとヒビキの言い合いを暫く眺めていたグリーンは、あー、と少し気まずそうに頬を掻いた。
「ジムリーダー頼んで大丈夫か?」
「──ふん、仕方ない。別にそのくらいこなしてやるさ」
「はは、頼もしいな。じゃ、詳しい業務はそこのヤスタカから聞いてくれ。基本ジムに立ってるだけでいいから。書類業務は俺が徹夜で終わらせたからさ⋯⋯。挑戦者に負けたらバッジと技マシン渡すのを忘れるなよ」
グリーンはそう言いながら代理用のジムリーダーカードを手渡してきた。
かつて親父がリーダーを務めていたトキワジム。まさかその最奥に自分が立つことになろうとは夢にも思わなかった。今まで感じたことのない、よく解らない感情に襲われながらそれを受け取る。
「それと、何だか無理やりリーダーさせちまう感じみたいだから、詫びって程じゃないが俺からお前がもっと強くなるためのアドバイスだ。今のお前にまだ不足しているもの、それは──」
ドキリとした。愛情と信頼。勝てない以上きっとまだ自分にはそれが足りていない。一回闘っただけでもそれが見透かされてしまっているんだろうか。
「バトルの運び方の応用──つまり戦略だ!」
「え──?」
「ん? どうした?」
思わず声を上げてしまったシルバーにグリーンが首を傾げた。
「あ、いや。てっきりポケモンに対する信頼とか、そういう事言われるのかと」
「何言ってんだよ。十分すぎるほどあったじゃねぇか。お前らの連帯感はバトルしてて気持ち良かったぜ!」
「そう、か」
そうか。ちゃんと、自分は成長していたのか。いつだったか、ヒビキと再戦した時に言われた言葉。
──君はもう十分愛情も信頼も足りてると思うけどなぁ。
あれはそのまま、本心から言ってくれていたのか。
「もちろん愛情とか信頼とかも大切だ。トレーナーとして前提にあるべきものだ。でもな、強くなりたいなら、バトルに勝ちたいならそれだけじゃ駄目だ。ポケモンを動かすのはトレーナー自身なんだからな! シルバーはそれだけポケモンの機微が読めるんだから、上手く戦略立てられるようになれば化けるんじゃないか?」
シルバーはまるで師匠と対峙するかのように真摯な気持ちでグリーンと向き合った。するとそのやり取りを見守っていたジムトレーナーがニヤニヤ笑ってグリーンに野次を投げる。
「あ、さってはリーダー、そっちに繋げようとしてますね?」
グリーンは言うなよ、とトレーナーに笑い返して、またシルバーと向き合った。
「そしてここトキワジムは戦略がテーマだ。今のお前に必要なことが十分学べる場所ってわけ。馬鹿ヨシノリのせいで丸めこんでるみたいになっちまったが、ちゃんと本心だからな」
「グリーンさん! 僕の時はアドバイスなんて一つもしてくれなかったくせに! ずるい!」
ヒビキが冗談半分といった顔で抗議すると、グリーンは半眼になってヒビキに目を向けた。
「お前やレッドみたいな野生じみた直感バカに俺からアドバイスできることなんざねーよ」
「ひどい!」
「えっじゃあ私は!? 私はどうですかグリーンさん!」
「コトネは──また今度な。とにかく! シルバー、お前は俺みたいな戦略系のバトルスタイルの方が合ってると思うぜ」
半ば騙されて来たものの、さらにレベルアップできる良い機会かもしれない。シルバーは改めてジムリーダーの代理を承諾し、心の中でこっそりヒビキに感謝した。
この時までは。
***
数日後。
──来ない。
人が、来ない。一人も。ジムリーダーを始めてから、たったの一人も。全く誰も来ない。
話が違うじゃないか!!
早く強くなりたいシルバーにとって、何もすることが無くただ突っ立っているだけのこの時間は苦痛でしかない。
しかもこのジム、居心地がすこぶる悪い。何故かって? ジムトレーナーが妙に感動した目でこちらを見てくるからだ。ちゃんと前を向いておけよ!
「すごい⋯⋯リーダーが毎日ちゃんと奥に立ってる」
「ジムの本来あるべき姿よね」
「これが当たり前のはずなんだよな⋯⋯」
「なんて真面目でいい子なの⋯⋯」
ただ立っているだけなのに褒められる居心地の悪さ! もしかして馬鹿にされているのか? だんだん怒りが沸いてきた。
その時、バン!と勢いよくジムの扉が開かれた。弛緩していたトレーナー達が一気に仕事モードに切り替わる。ようやくこの気持ち悪い空間から抜け出せるようだ。少し緊張しながら挑戦者に目を向けると──
よく見知った人物がそこにいた。
「坊っちゃん!!」
「な、な──誰だ」
シルバーは知らぬふりをすることにした。素気ない返しに相手は一瞬だけショックを受けた顔をする。
「このランスをお忘れですか坊っちゃん! 私のことは忘れてもロケット団のことは忘れないでください!」
目の前にいるテンとサヨが同時にこちらへ振り返った。
「知り合いですか?」
「いや全く」
どうにかして帰らせることは出来ないかと考えていると、ランスの後ろから他の幹部がぞろぞろと入ってきた。最悪の事態だ。
「おい、 勝手に突っ走ってるんじゃねぇよランス」
「ちょっと! 坊っちゃんより若の方がかっこいいからそう呼びましょうって言ってるのにどうして誰も聞いてくれないのかしら?」
「おや、挑戦者がいませんね」
ラムダ、アテナ、アポロ。全員子供の頃から知っている面子だ。
目の前にいるテンとサヨが同時にこちらへ振り返った。
「親戚ですか?」
「ち、違う」
ジムに侵入してきた幹部たちの前に、すっとヤスタカが立ちはだかる。
「先程ロケット団がどうとか聞こえましたが──うちのジムはマフィアお断りなんです。お引取り願えますか」
普段の巫山戯た調子とは違う、穏やかだが有無を言わせないような声だった。不愉快そうに眉を潜めて何かを返そうとしたランスを制し、アポロが前に出た。
「私達はバッジを貰いに来たわけでも、ロケット団として交渉しに来たわけでもありません。そこの坊っちゃん──シルバーさまのお父様の代理として見学に参っただけです」
「はあああああ!?」
思わず声を上げてしまい、トレーナー達が驚いてこちらを振り返る。ヤスタカは暫く固まった後、そういうことであればご自由に、と引き下がった。
「か、勝手なことしてんなよ! 何で来るんだよ! 代理だなんて言ってるが、親父は未だに行方不明じゃないか! お前たちは捨てられたんだ! 何を今更──」
「サカキ様は必ず我々の元へ戻ってくると、私はそう確信しています。サカキ様不在のロケット団は結局解散する運びとなってしまいましたが、あの方が戻られるまでご子息である貴方様をお守りするのが我々の役目──」
うるさい! とシルバーは拳を握る。
「そもそも俺はもう親父ともお前達とも縁を切ったんだ。弱いもの同士で群れるような、お前たちみたいには絶対にならない──!」
「坊っちゃん⋯⋯」
「まあまあ、いいじゃないですか見学くらい」
皆が固唾を飲んで見守る中、ぱんっと手を叩いてアキエが声を上げた。
「うちは見学自由なんですよ。料金は取りますけどね。子どもは五百円で大人は二千円。ねっ、ヨシノリ!」
急に水を向けられたヨシノリはびくっと反応した後、「あ、ああ⋯⋯」と返す。
「あまりに挑戦者が来なくてトキワが経済難に陥りかけたから、リーダーが急遽作ったサービスだよな。これで随分盛り返した」
「そうそう! それに元ロケット団って言っても今は一般人なんでしょ? というわけで、見学は四人分で計八千円になります」
にっこりアキエが手のひらを出すと、アポロは「仕方ありませんね⋯⋯」と財布からお金を取り出した。
「お、おい。勝手に──」
「リーダー? これも仕事のうちですよ」
そう言われては何も返せない。流石はカントー最強を誇るジムだ。抜け目がない。無さすぎる。シルバーは渋々と引き下がった。
かくして威圧感むき出しの四人がジムの端にズラッと並ぶ異様な光景ができた。
挑戦者が来ないのでアテナがサクラとして下っ端を呼び出したり、ようやく来た挑戦者にランスが威嚇したりと散々な目に遭いながらも日は暮れていった。
***
「それでは我々は帰ります」
「意外と楽しかったわ」
「動く床は見ていて目が回りそうでしたけどね⋯⋯」
「ランスは酔いやすいからなぁ」
結局元ロケット団幹部の四人はジムを閉めるまで居座った。アテナとラムダ、ランスがジムを出た後、アポロはシルバーを振り返って優しい目を向ける。
「坊っちゃん──強くなりましたね」
「⋯⋯ふん。もう来るなよ」
冷たく返すとアポロは、ふ、と笑ってそのままジムを出ていった。
酷く疲れた。明日からはまた平穏な日々が続くのだろう。挑戦者が来ないと言っても、何も修行が出来ないわけではない。イメージトレーニングはどこでも出来るし、恥を偲んで素直に優秀なトレーナーたちに戦略のノウハウを聞いてみてもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、トキワにあるグリーンが借りてくれた部屋のベッドで眠りについた。その次の日のジム。
「シルバー! 遊びに来た!」
満面の笑みで現れたヒビキとコトネを見て、シルバーは全てを諦めたのだった。
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