マサグリ - 平穏ED
「なあマサキこれなんだ?」
「あ!! それは触ったらあかん!!」
「えっ」
パリン!
ビーカーを取り出そうとした所で大声を出されたため手を滑らせてしまい、頭に落ちて割れたビーカーの破片と液体を一気に被る羽目になった。痛い。
マサキは血相を変えて手袋を付けこちらに駆け寄り、タオルで拭きながら慎重に破片を取ってくれた。その最中、一瞬だけマサキの動きが止まったことが何故か俺を不安にさせた。
「グリーンくん、落ち着いて聞いてくれるか」
「ま、マサキ──?」
いつになく真剣なマサキの目に、ごくりと唾を飲み込んだ。
「グリーンくんが今被った液体はな、遅効性の毒や」
「ど、毒? え、俺、死んじまうのか……?」
「直ぐに処置すれば大丈夫やで! まずはこれを飲むんや!」
引き出しから取り出し渡された錠剤を慌てて水と共に飲み込んだ。どうしてそんな危険なもの棚に雑な形で置いているんだ。そう文句を言いたかったが、何だか頭がふわふわしてきて、凄く眠くなってきた。毒のせいだろうか。
「マサキ、なんか、眠い⋯⋯」
「寝ててええで。後は全部やっとくわ。大丈夫やから、安心しぃ」
そう頭を撫でるマサキは、小さい時に両親を亡くしたショックで葬儀場を飛び出した俺を最初に見つけて慰めてくれた時のように、優しい目をしていた。
きっとマサキが何とかしてくれる。
ああ、もう、駄目だ。
意識が──
***
ゆっくりと意識が浮上していく。
毎朝に見るものとは違う天井に一瞬混乱したが、すぐに先程の出来事を思い出した。
まだ少し眠くて、微睡みが心地よい。
欠伸をひとつして起き上がろうと思ったが、何故だか手も足も動かない。いや、少しは動くのだが、ガチャガチャとした金属音の擦れる音がするばかりで思うように動けない。
金属音──?
一気に全身から冷や汗が吹き出てきた。無意識に呼吸が短くなっていく。
今、自分は固い台の上にいる。首を横に向ければその台に固定された手が見えた。
そう、俺は台の上で身体を大の字にするように固定されていた。手足首と台の脚が繋がれている。
カッ、と白くて強い光に全身が照らされた。
「おはよーさん! めっちゃ気持ち良さそうに眠っとったなぁ。ええ夢見れた?」
「あ──」
眩しさに目を細めていると、見知った顔が光を遮って現れる。その笑顔に一瞬だけ安心したが、この状態で普段と変わらないマサキの異常さに気づいてすぐに霧散する。
そしてマサキは俺のシャツを一つ二つと外し始めた。
「ちょっ、ど、どうしちゃったんだよマサキ。こんな冗談やる奴じゃなかっただろ? なあ」
「冗談? わいはいつでも本気やで!」
笑顔で親指を立てられた。訳が分からない。そんなことを聞いているんじゃないのに。もしかして、毒って、思わず暴れてしまうような代物だったんだろうか? この拘束は毒抜きの処置の為なのかもしれない。シャツのボタンも三つ外したところで止まったので、ただ苦しくないように外してくれただけなんだろう。
「いや、何で拘束されてんのか聞きたいんだけど。毒ってそんなにヤバいやつなのか──?」
「毒ぅ? ああ! 毒っていうんは嘘や。そないなもん、わいが持っとる訳ないやんか」
毒じゃなかった? じゃあ、今のこの状況はなんだ?
実はあの薬品は相当貴重なもので、それを台無しにしてしまった俺に怒っているんだろうか。マサキが本気で怒ったところは見たことがない。マサキは俺にとって、もしかしたら一番素を出せる、甘えられる相手だ。実はこんなに恐ろしい側面を持っていたのだとしたら、もう誰を信じればいいのか解らない。人間不信になりそうだ。
「あのさ、薬零しちゃったのは謝るよ。本当にすまねぇ。お詫びに何でもするから、これ外してくれよ」
「あはは、グリーンくん、あかんで何でもなんて言うたら。酷い事させられたらどないするん?」
まるで日常会話でもしているかのような口調で、俺の頭をわさわさと撫でるマサキにぞわりとした。
「それにあの薬は失敗作やから別にええねん」
「失敗作? 何の薬なんだ?」
「いや、ポケモンに懐かれへんトレーナーに泣きつかれてな、ちょっとだけポケモンと仲良うできるような薬を作ろうとしたんやけど。あれは手元狂って超強力になってしもた失敗作やねん。強すぎて逆にポケモンには効かんみたいやけど、人間には効いてまう──って、あああああ!!」
説明していたマサキは急に何かを思い出したように叫んで、壁に思い切り頭をぶつけた。
「え、だ、大丈夫か──?」
「せや! わいはその薬嗅いでもうて⋯⋯! あれは脳への刺激が強すぎて、どうしようもないくらい対象に惚れてまうねん。ごめんなグリーンくん、その拘束すぐに解いて──あかん、めっちゃ解きたないわ。どないしよ」
つまりは俺が先程被った薬は強烈な惚れ薬で、その影響を受けたマサキはおかしくなってしまっていたのか。そんな馬鹿な話があるか!
「な、なんとか抗って解いてくれよ⋯⋯」
「ううん⋯⋯いやもう本能レベルで脳が拒絶すんねん。ま、まあ、解剖とかは専門外やし最悪の事態にはならんから⋯⋯」
解剖って、何で今そんな怖いこと言うんだよ!
安心させるために言ったんだろうが余計に恐怖を煽られた。正直この拘束はマサキが解いてくれない限り絶対に抜け出せない。どうしたらいいんだ? ゲームみたいに、チュートリアルとか説明書があればいいのに──
「不思議やな、何でこんな気持ちになるんやろうな。ポケモン以外でこない知りたい思ったんは初めてや──あかん、このままやと理性が持たん。グリーンくん!」
頭を抱えながら忙しなく部屋を行ったり来たりしていたマサキはぴたりと止まり、くるっと俺に向き直った。
「わいが拘束解きたなるよう上手いこと諭してくれへん?」
そして余りに高難易度な要求をしてきた。そんなもの、思いつければとっくに実行している。俺は必死に頭を働かせた。
「⋯⋯花屋のねーちゃんが好きって言ってたじゃんか。こんな事してたら嫌われちまうぞ」
「そんなん今はグリーンくん一筋に決まっとるやんか!!」
「あ、そ、そっか⋯⋯」
「ちょ、照れんとってや。期待してまうやん──って、ちゃう! ちゃうねん! あんな、今のわいはめっちゃグリーンくん好きやねん。嫌われたないねん。そこんとこ良い感じに揺さぶってくれへん?」
なんだか、本当はめちゃくちゃ質の悪いドッキリなんじゃないのかこれ⋯⋯という疑念が沸いてきたが、いくら何でもあのマサキがここまでする筈がない。巫山戯ることで自我を保とうとするくらいに追い詰められているんだろう。そうであってくれ。
「えっと、俺、マサキのこと本当の兄貴みたいに思って、慕ってたんだけど」
「え? そうなん? 嬉しいわぁ」
「──こんな風に拘束してくるマサキは嫌いだ」
そう言った瞬間、マサキは雷でも落ちたかのように固まった。そして全速力でどこかへ走っていき、一分も経たないうちに戻ってきたかと思うと、ガチャガチャと鍵を使って拘束を解いてくれた。
「いやあ、今の一言でめっちゃ解きたなったわ! さすがやな! ホストとか向いとるんちゃう? いよ! 夜の帝王! わい弄ばれてまうわぁ」
俺の弁舌というよりマサキがちょろいだけだと思う。赤くなった手首をさすりながら内心そんなことを考えたが心に閉まっておくことにした。
「本当に薬でおかしくなってるんだよな?」
「せやで。正直今もあの惚れ薬つければグリーンくんわいのこと大好きになるやんとか頭過ぎってもうたもん。もう一回壁に頭打ちつけてくるわ」
マサキは壁にまた頭を打ち付けた。止めていいのかも分からず俺はただそれを見守った。おでこを赤くしながら戻ってきたマサキに尋ねる。
「どうすれば薬の効果が切れるんだ?」
「わいが中和剤作ればええだけや」
「──作ってくれんの?」
「嫌や」
にっこりと拒否されてしまった。
なんでだよ! と抗議すると、マサキは俺の顔を両手で包んで顔を近づけた。
「ずっとグリーンくんのこと見てたいもん。作ってる間は集中せなあかんやろ? そない長時間グリーンくんを視界に入れんとか耐えられへん。それに何でこない君のこと好きになるんか解明したくてたまらんねん。なあ、ええやろ? 付き合うてくれるよな?」
何のためにさっき頭を打ち付けたんだこいつは。むしろ打ち付けて余計おかしくなったんじゃ?
マサキは熱に浮かされたような目を大きく開いて俺を見つめながら一呼吸で喋った。否定しようとすると、付き合ってくれるって? やっぱりグリーンくんはノリがええなぁありがとう、と何も喋っていないのに自己完結される。
もう一度、何とか乗せて誘導するしかないようだ。
「マサキ」
「どないしたん?」
「もし中和剤作ってくれたらイーブイのカチューシャ付けてマサキのイーブイ達と写真撮ってやってもいいぜ。何なら尻尾もつける!」
「よっしゃ速攻で作ったるからちょお待っといて」
「⋯⋯⋯⋯」
自分でも気持ち悪いと思いながら言った提案があっさりと通って俺はドン引きしてしまった。その様子を察したマサキが慌てて手を振る。
「引かんとってや! 薬のせいなんやって! ──薬のせいやんな? ──めっちゃ見たいやん好きな子のそんな姿! わいだけちゃうもん!!」
うわああああっとわざとらしく泣きながらマサキは作業室へと消えた。
取り敢えず俺はその辺の本でも読みながら待つことにした。
二つ目に手にとった日記──というよりネットにアップするレポートの覚え書きのようだ──の中のマサキが三回目の気絶を迎えた頃、実験室からマサキが小瓶を持って現れた。薄緑色の液体がたぷんと揺れる。
「出来たで~」
「良かった! 早速それ渡し──」
瓶を受け取ろうと手をのばすと、マサキはそれをひょい、と避けた。
「マサキ──?」
「イーブイのカチューシャ」
「えっ」
「付けてくれるんやろ?」
よく見るとマサキの首には一眼レフがぶら下がり、足元には三匹のイーブイがすり寄っている。瓶を持ってないもう片方の手には、イーブイの耳カチューシャが──
「なんでそんなもん持ってるんだよ!!」
「いやあ、なんやイーブイ好きが広まっとるらしくてなぁ。イーブイ関連のグッズよう貰うねん」
マサキにそんなものを渡したどこかの誰かを俺は激しく恨んだ。
「いや、薬の効果切れたら何だこれってなるだろ!? この歳でそんな黒歴史生み出したくねーよ!」
「今のわいは見たいねん! それに中和剤掛けたところで一日は効果は切れへん。その間写真眺めることで色々欲求抑える作戦や!」
「ま、まじかよ⋯⋯」
「それともさっきの嘘やったん⋯⋯? ちゃうよな? そんな嘘吐く子ちゃうもんな? もし嘘やったら兄代わりとして折檻せなあかんくなるな⋯⋯?」
「せ──!? わ、分かったから、その目やめろよ。トラウマになりそうだ⋯⋯」
渡されたカチューシャを俺は意味もないのに睨みつけた。無心になるんだグリーン。あまりにギャグみたいなノリだから忘れそうになるが、あのマサキから折檻とかいうワードが出てくるくらいにヤバい薬なんだ。今はマサキだけで済んでいるが、このままだと複数人に狙われるとかもっと恐ろしい事になりかねないんだ。
俺は無言でカチューシャを付けた。追加で渡された尻尾も怒りに打ち震えながらベルトに付けた。今俺の心の支えは目の前の愛らしい三匹のイーブイだけだ。内一匹は生まれたばかりらしい、膝をついた俺の傍によたよたとすり寄ってくる。ああ癒やされる⋯⋯
マサキはパシャパシャと写真を撮っている。全てが終わったらウインディにデータごとカメラを燃やしてもらおう。そう考えることで俺は殺気を抑えた。今この瞬間を誰かに見られたら全員殺して俺も死ぬ。そのくらいの覚悟だ。
結構な時間撮影をされて終わった頃には俺はぐったりとしていた。中和剤を掛けた後、データをパソコンに移して写真を確認しているマサキの画面を見てぎょっとした。数百枚はある。
「ど、どんだけ撮ってんだよ」
「こんだけあれば吟味してるうちに一日経ってくれるやろ? あ、グリーンくんは今日泊まっていってな。今どっか行かれたらわい何するか分からへん」
「分かったよ⋯⋯」
また本でも適当に漁るか、と本棚を確認していると、恐ろしいことに入り口から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「マサキさーん! 近くに来たんで寄りましたー!」
「ヒビキ!!!?」
玄関まで走り、中に入って来ようとしたヒビキを慌てて扉の外まで押し出す。レッドもそうだが、何でこいつらは人の家に勝手に入ってくるんだ! まあマサキは人にポケモンコレクション見せたくて基本ドアを開け放しにしているが、もう少しこう、遠慮しろよ!
「ヒビキ? いい子だから今日はぜっったいにこの家に入るんじゃねぇぞ?」
「ぐ、グリーンさん、来てたんですね。あ──」
ドスの利いた俺の声にヒビキは気圧されて仰け反っていたが、俺の頭の辺りを見て固まった。俺は自分の頭を触ってみた。カチューシャがつけっぱなしだった。ゆっくりと取り外した。
「──殺す」
「あ、あ、僕誰にも言いませんから! 誓って! 誰にも! マサキさんと何してたのかなーなんて邪推しませんから! だからお命だけは!! ご勘弁を!!!」
そう言ってヒビキは全速力で逃げ去った。死にたい。よりによってヒビキに──いや、こんな姿誰にも見られたくなかった⋯⋯。
「どこ行くんグリーンくん」
「どこにも行かねぇよ!」
マサキの聞いたこともない冷たい声が背中に掛かったので俺は思い切り扉を閉めた。
マサキは本当に夜中になっても写真とにらめっこをしていた。恐らく今日は使われないマサキのベッドに勝手に潜り込み俺は眠りについた。若干眠ることがトラウマになりかけていたが、気づかない内に眠りにつけたようだ。
朝起きるとマサキがデスクに突伏して眠っていたので、よし今のうちにデータを消そう──とパソコンを調べたがパスワードが掛かっておりそれは叶わなかった。
パソコンごと破壊したい衝動に駆られたが、貴重なデータが入っているだろうそれを壊せるほど俺は馬鹿にはなれなかった。ちくしょう! 仕方ないのでマサキの目が覚めるまで待つことにする。
マサキが身じろぎしてゆっくり顔を上げる。
「んん? わい何しとったんやっけ⋯⋯」
どうやら薬が効いている頃の記憶は無いようだ。マサキはスリープモードのパソコンにパスワードを打ち込み画面を開いた。
「あれ、なんやめっちゃ画像が──」
その瞬間俺はマサキの目をタオルで塞ぎ後ろで結んだ。
「!? 目の前がまっくらや!」
「ごめんマサキ事情は後でざっくり話すから暫く大人しくしててくれ!」
「グリーンくん!? わいこういうプレイはちょっと」
「アホか! 妙な言い方すんな!」
俺は素早く大量の画像をゴミ箱に移動し、移しきったのを確認してからゴミ箱を空にする。念の為外付けのハードディスク内を確認すると一時間ごとにバックアップが取られており軽く絶望したが、撮影した時間以降のデータを全て消去することが出来た。
一息ついた俺は「今のわい命中率0やー」とか意外と楽しそうにしているマサキの目隠しを取ってやった。拘束してきたこと以外の話をざっくりと説明すると、マサキはしゅんとうなだれる。
「なんや大変やってんな。すまんかったなぁ。やっぱ素人が手ぇだしたらあかんな」
全て事なきを得ることができて俺は安心し、マサキに気にしてないから大丈夫だと伝えジムへ向かった。
俺は普段パソコンをよく使うという訳でもないので気がつくことができなかった。
薬が効いていた頃のマサキが、全てを予想してクラウドにいくつか写真を移していたことに⋯⋯。
0コメント