人形遊び

 薄々気付いてはいた。

 いや、本当は最初から予感はあったのかもしれない。心のどこかでその真実を否定してしまったために、こんなにも多くの犠牲者を出してしまった。

 "彼"が全ての事件の黒幕だと明瞭に訴える証拠品を手に、もう逃げ場は無いのだと識る。


 別荘の地下にぶら下がる心もとない電球の光。

 私を利用して生み出された影に、手のひらの証拠品が溶けて消えてしまえばいい。探偵としてあるまじき考えを巡らせてしまうあたり、自分で思う以上に疲れているようだ。

 ずっと黙り込んでいる私の背中に、木更津、とじれったそうな声が落ちた。

「君のことだ。もう犯人が解っているんじゃないか」

 黙り続けている私に焦れて推理を引き出そうとする君は、いつもと変わらない気がした。きっとどこかで私のロジックは破綻していて、君はただ純粋に答えを強請っているのだと、そう思いたかった。

「まさか、私情で真相を闇に放るなんてことはしないだろう? 君はいつもストイックで強靭な意志を持っていて──完璧な名探偵なんだから」

 心の底から尊敬して、期待しているような、そんな囁き声。

 二人きりの地下室では、小さな声でも容易に耳に届いてしまう。


「これが──君の望んだ事なのか、香月くん」


 彼の方を向かず絞り出すようにそう問うと、少しの間があった後、彼はふはっと吹き出した。

「むしろこれ以上の望みなんてないさ! こんな特等席で名探偵を鑑賞できるんだから」

 特等席? 鑑賞? 巫山戯たことを。何人の命を犠牲にしたと思っているんだ。

「さあ、どうする? 皆を呼んでこようか? ここで君の推理劇を独り占めするのも悪くないが、やっぱり関係者を集めて犯人を追い詰めていくのが名探偵の醍醐味じゃないかい。君の好きな方で構わないけど」

 追い詰められているのは私の方だ。

「君は、その推理劇が見たくてこんな事をしたというのか」

「動機が気に入らない? 金のため、痴情の縺れ、好きなものを選べばいい。君がこの事件をどう解釈し結論付けるのかとても興味深いよ」


 さあ、早くその手で幕を引いてくれ。私の名探偵──


 立ち上がって振り返ると、恍惚とした彼が居た。まるで自分の作り上げた舞台が最高傑作だった監督のように。

 いや、実際そうなのだろう。全ては彼の脚本通りだったのだ。

 私は彼の望む通り、舞台の上で丁寧に丁寧に"名探偵"を演じさせられていた。


 倫理をとれば友人を失い、友人をとれば友情を失う。

 なんて悪趣味な選択肢だろう。


「──君ほど僕を追い込んだ人間は、後にも先にも居ないだろうね」

「まあ、本当は私だってこんな事したくはなかったんだよ。ただ──うん、そうだな。解決する前に蛇足の部分を今のうちに済ませてしまおうか」

 彼の手が何人もの血で染まっているのが信じられないくらいに、彼は落ち着いていて、日常的だった。

「木更津、先ほど君はこう云ったね。推理劇が見たくてこんな事をやったのかって。確かに私は君という名探偵に惚れている。でもだからって、犯人になる必要はないんだよ。捕まったら君のこれからの推理劇を見逃してしまうわけだし。それでも今回私は犯人にならざるを得なかった。何故だと思う?」

 理解できないものほど恐ろしいものはない。

 だがこちらの動揺を相手に気取らせてはならない。犯人の揺さぶりに負けていては、探偵という職業などやっていけない。例え相手が、友人であっても。

「さて、残念ながら見当もつかないね」

「本当に? いや、君は気付いているはずだ──」

 一歩、彼がこちらへ近づく。後ずさりたいのを堪え、彼を真っすぐに睨む。

「数年前、犯人と被害者の父親が偶然鉢合わせてしまい、父親が殺されてしまった事件があったね。君は覚えてるだろう? まあ、正確には偶然というより作為的だったわけだけど。君は裏でそれを操った相手を見事に当ててみせた」

 忘れるはずもない。自分の無力さを呪った日、目の前の友人が自分より遥かに早く真相に辿り着いていた衝撃。そして何より、その友人の殺人教唆といえる行動。

 それでも私は彼と友人であり続けた。

「君は随分あっさりとしていたね。幽霊事件を解く君の姿が見たいという誘惑に負けて、今まで目を逸らしていたけど、ずっと引っかかっていたんだ。人を殺してないまでも、小さな犯罪者を君は見過ごした事にならないか」

「香月くん、何度も云っているが、探偵は──」

「依頼されないと動けない? 興味本位で暴くのはただの覗き屋? 君のポリシーには感心させられるし、そこが君の名探偵たらしめる点だと思うけど。今回に限ってそれは当てはまるのかな」

 謎かけの答えでも考えるかのように、彼は顎に手を当て首を傾げた。

「一旦引き受けた依頼は必ず"完遂"する。君はそう宣言した。被害者が殺される悪魔的な環境を作った罪人を世にのさばらせて、それは完遂といえるのか」

 あの時の私の選択が、この惨劇を生み出したとでも?

「一応世間的に君の名に傷はついていない。一応君は狭い世界の中で私のしたことを云い当てた。これだけなら名探偵として間違ってはいない。ただそれを君が──"イタズラ"で済ませた事がひっかかるんだ」

 一歩ずつ彼が近づいてくる。

 彼の影が私を覆う。

 彼の口は回り続ける。

 つ、と首筋に汗が伝う。

「だってまるで、まるで倫理よりも友人を取ったみたいじゃないか。そんな欲に負けるなんて君らしくない。君と私しか知らない事実だとしても、完璧な君に一つでも汚点がついてしまうなんて──」


 そんなことあってはならないんだ。


 氷のような目で言葉を落とす彼。

 だからね──ふわりと笑う。

「君が強く惹かれるような事件を起こして、ちゃんと君に依頼が行くよう手を回して、今度こそ犯罪者を捕まえてもらおうと思ったのさ」

「香月、くん」

「面白かっただろう? 見立て殺人に密室に時間差トリック。自分でもちょっと盛りすぎたかなとは思うけど。こう見えてスプラッタ苦手だし。でもだんだん興が乗っちゃってね。私はどうしたってこっち側の人間にしかなり得ないんだと落ち込んだよ。でも、おかげで一生分の名探偵を堪能できた。天才犯罪者と名探偵の戦いなんて、ホームズみたいでかっこいいね。なんならこのまま滝にでも行くかい? まあこの場合モリアーティが直接手を下しちゃってるけど。解きがいがあっただろう? なあ木更津」


「解った。君のことはよく解ったよ」


 喘ぐようにして"蛇足"を終わらせる。これ以上彼の言葉を聞きたくはなかった。

「香月くん、広間へ行こうか。皆を呼んできてくれるかい」

 軽やかに階段を駆け上がっていく彼は、もう私の友人ではない。


 私の自尊心も、怒りも、哀情も──

 全てを地下室に置き去りにして、重い足取りで階段を上がる。



 彼の望む名探偵を、完璧に演じ切るために。




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