おしえて
あの一件から、俺は記憶障害を患ってしまったらしい。らしい、というのは、すっかり何もかも思い出せないのではなく、生活しているうちで気付くレベルのほんの一部だからだ。
そして俺は今朝、とんでもない記憶の欠落に気付いてしまった。
「どうしよ──これ」
ベッドから起き上がると、硬くたちあがっている己自身を見て溜息をついた。さっさと処理すればいいのだが、恐ろしいことにどうしたらいいのかが解らない。変に見切り発車でやってみてもっと大変なことになったらと思うとぞっとする。トイレで用を足した後も半だち状態で、放置して治まるのを待つしかなかった。
記憶のこともあるし、ジムリーダーのみんなに今日はジムは休みだと伝えて、なかなか治まらないそれを見て俺は悩んでいた。冷蔵庫の中身はちょうど切れてしまっている。今は夏だから服で誤魔化すのも少し不安だ。ただでさえ外に出れば注目の的だし。早く買い出しに出かけたいのだが──
ピンポーン
半ば諦めの境地の俺を追い詰めるようにインターホンが鳴る。無視だ無視!と居留守を使ったものの鳴りやむどころか連打してきやがった。
ピンポンピンポンピンポーン
ああうるせえな!どこのどいつだと画面を確認しにいくと、意外な人物に思わず通知を押してしまった。
「レッド!?おまえっ今までどこにっ」
『あ、やっぱりいた。久しぶり』
三年前に失踪していた俺の幼馴染でありライバル、レッドだ。
「どこ行ってたんだよ。三年も──三年だぞ!?」
『まあ、その辺はちゃんと話すから。取り合えず開けてくれない?お土産もあるんだ』
「えっそれは──」
『グリーン?』
開けられるはずがない。まだアレは治まってないのだ。こんなとこレッドには絶対に見られたくない。
「その──俺もお前に言いたいことは山ほどあるんだけどさ。ちょっと今日は──体調が悪くてな。明日また来てくれよ」
『え、大丈夫なの。看病くらいするけど。ナナミさん呼んでこようか?』
「いい!!余計な事すんな!」
姉ちゃんとかもっと見られたくないわこんな姿!
ありがた迷惑なレッドの申し出を速攻で拒否する。
『すごく元気そうじゃないか。もしかして怒ってる?僕の顔も見たくない?』
「そ、そうじゃねぇよ」
『いいよ、無理しなくて。──ごめんね』
俺だって久々の再会に思うところがないわけでもないけど、そんな寂しそうな声で謝られたら──
「わかったよ、いいよ、上がれよ。開けるから待ってろ」
折れるしかない。
体調が悪いといったわけだし、厚着しててもまあ誤魔化せるだろう。とりあえずコートを着て、玄関のドアを開けてやる。
「グリーン。あ、確かに顔赤いね、熱?」
「まぁな──」
身体冷やすのはよくないけど夏にコートは逆に汗で冷えるんじゃないかとかなんとか言ってきたが全てうるせぇで済ませた。
若干猫背気味にレッドを連れて部屋にいき、即ベッドに潜り込む。
「そういうわけで俺は寝てるから、満足したら帰れよ」
「さすがに病人を放っておくほど僕も冷徹な人間じゃない」
放っておいてほしいんだよ今回は!そんな思いも口には出せず、あっそ、と返して布団を頭からかぶろうとしたが、レッドに阻止された。ただでさえこんな状態を隠しながらこいつといるという状況に、変な気分になってきているところだ。勘弁してほしい。ただの生理現象から違うものになってしまいそうだ。
「熱あるんだから、冷やした方がいいよ」
そういって、熱を確かめようとしたレッドの手が俺の頭に──
「──んっ」
「えっ」
触れて、変な声がでた。もう嫌だ。レッドがびっくりしている。死にたい。
「きゅ、急に触られたらびっくりするだろ!ドアホ!!」
「ご、ごめん」
慌ててレッドが俺から離れる。
「えっと──あ、溶けない氷があるんだ。ちょっと待ってて」
しばらくすると額にひんやりしたものが乗った。氷を小さく削って袋に詰め、ハンカチで巻いてくれたようだ。別に熱はないんだが、恥ずかしさで血が上っている頭を冷やすにはちょうど良かった。
「他に何かしてほしいことある?それとも寝る?」
「あー、俺が寝たら、おまえどうすんの」
「雑誌でも読んどく」
「帰れよ」
「グリーン放っておくとすぐ無茶するから見張ってないと」
どうやら今日は帰ってくれなさそうだ。やっぱり傷つけることになっても部屋にいれるべきじゃなかったか。
そもそもこんなこと、誰に相談すればいいんだ。程よく距離感があって、真面目に聞いてくれそうで、口の堅い奴──
脳内で俺のポケギア番号リストを必死にめくる。消去法でもいいから、あいつなら、という人物は──
いた。
ベッドを背もたれに雑誌を読み始めたレッドの半袖をひっぱる。
「あの、さ、レッド。お願いがあるんだけど」
「なに?」
顔をこちらに向けて優しく返される。病人だと思っているからなんだろう。本当に労わるような声だった。
「俺のポケギア、そこにあるからさ、ワタルここに呼んでくんね?」
「ワタルさん?てかポケギアってなに」
まじか。一体本当に三年間どこにいたんだ。仙人にでもなっていたのだろうか。
「その机の上の白い奴。遠くの人とも連絡が取れる画期的なアイテムなんだぜ」
「へええ」
レッドは感心して素直にポケギアを取ってきてくれた。あまりに日常的な空気で、こうしていると、三年間の空白の時間なんて無かったみたいだ。──あのチャンピオン戦のことさえ。
番号表からワタルの番号を探す。
「今からワタルに掛けるからさ、グリーンが大変だからきてくれって言ってくれよ」
「僕が?」
「おまえの方が来てくれるだろ──ほら」
番号をプッシュしてレッドに渡した。グリーンが掛けても変わらないと思うけど、といいつつ、初めて触れる機械に興味津々のようだ。少し楽しそうにポケギアを眺めている。
『もしもし、ワタルです』
「あ、すごい、本当に声が聞こえる」
『あれ、グリーンくんから掛かってきたと思ったんだが──君は?』
「レッドです」
『えっレッドくん!?いやあ久しぶりじゃないか!急にいなくなってみんな心配していたよ』
「すみません」
『まあ、元気そうで何よりだ。それよりどうしたんだい』
ちら、とレッドがこちらを見やるので、俺は頷いた。
「グリーンが体調崩してるみたいで、ワタルさんに来てくれないかと」
『え、俺がかい?お姉さんは?』
「なんか、来てほしくないみたいで。姉に弱ってるとこ見られたくないんじゃないかな」
余計なことをいうレッドを思い切り叩いた。通話中のため声は出さなかったようだが少し歪んだ口元に溜飲がくだる。
『うーん、今日はフスベに行く予定だったんだがな。まあ、他でもない君の頼みだ。すぐ行くよ』
「すぐ来るってさ」
ポケギアを不器用に閉じて、レッドが報告してくる。良かった。こんなことワタルに頼るのもどうかと思うが、ワタルなら真面目に真摯に助けてくれる気がする。というか正直本当に消去法だ。あいつなら弱みを握られても大丈夫だろという。
「ワタルさんと仲いいの?」
ぎ、とベッドに腰かけてきた。その振動でまた変な声が出そうになるのをなんとか堪えた。
「──っ!ま、まあ、な」
かくして三十分も経たないうちにワタルはやってきた。玄関の方でひとしきりレッドと近況報告のようなものをしてから、レッドに通され俺のベッドまでやってくる。
「やあ、珍しいね。君が俺を頼ってくるなんて」
「──ん」
「一応ゼリーとか、いろいろ買ってきたけれど病院には行ったのかい?」
「ん、その前に、レッド」
ぽけーっと俺とワタルのやり取りを見ていたレッドに声をかける。
「もう帰っていいぜ、悪かったな。明日には治ってると思うからさ」
「え、僕もいるよ」
「おまえは親御さんとこ行けよ。親孝行ってのは、できるときにしておくもんだぜ」
レッドは渋ったが、親のいない俺から親孝行と言われては強く出れなかったらしく、分かった、と引き下がった。
「じゃあ、明日またくるから」
「ん。じゃーな」
ワタルがりんごを剥きつつ俺に声をかける。
「やっぱり幼馴染といってもライバルだし、こういうところは見られたくないんだろうが、たまには素直になってもいいと思うよ」
「余計なお世話だ。ていうか、違うんだよ、レッドが勘違いしただけで俺は風邪とかじゃないんだよ」
「どういうことだい?」
ワタルは訝しげだ。そりゃそうだろう。
「俺、誰にも言ってないんだけど、記憶が一部欠落してるみたいでさ、何を覚えてて何を忘れてるのかも解らないレベルで。一応覚えてること書き出してはいるんだけど」
「なんだって?病院は?」
「有名な博士の孫で、最強ジムリーダーで、元チャンピオンの俺が記憶喪失なんて、絶対騒がれるだろ?」
「グリーンくん──」
ワタルの目には哀れみが浮かんでいた。同じチャンピオンとして思うところがあるのかもしれない。しかし俺はそんな不幸自慢がしたいわけじゃない。さっさと本題に入らなくては。
「で、今朝も、記憶の欠落に気付いて、俺、どうしたらいいかわかんなくて。もうワタルしか頼れるやついないんだよ──」
兄貴肌のワタルならこう言われれば無下にできないだろう。案の定真剣な目をして、俺にできることならなんでも言ってくれ、俺は君の味方だ、と力強く言ってくれた。そのまっすぐな目を見つめ返してこの悩み事を言えるほど俺は鈍感な人間ではないので、布団で口元を隠して目を逸らす。
「最初に行っておくけど、真面目な話だからな。俺は本当に困ってるんだよ」
「大丈夫、もちろん、真面目に聞くよ」
「朝起きたら──勃ってたんだ」
「──うん?」
「でもどうやって処理したらいいかわかんなくて」
「──え?」
「レッドも来ちゃうし、なんか苦しくなってきて」
「──えっと?」
全く予期していないことだったのか、ワタルはひとつもぴんと来ていなかった。
「まあ、簡単にいうと、抜いてほしいというか──」
ワタルは固まっている。大混乱中だ。あいにく手元になんでもなおしはない。
「その、うん、なるほどね。レッドくんをすぐ返した理由も、俺を呼んだ理由も分かったよ。身内には知られたくないよね」
やっぱりこいつは優しい。こんなこと頼まれて怒るでも呆れるでもなく誠実に接してくれる。こいつにしてよかった。
「じゃあ、すぐ終わらせてしまおう。電気消そうか。恥ずかしいだろうから君は布団をかぶって目を瞑っていてくれていいよ」
「──ほんとごめん」
「構わないさ。むしろ君が頼ってきてくれて嬉しいよ」
聖人かこいつは。パチン、と電気が消えると同時に、俺は布団を手繰り寄せて頭からかぶった。
スウェットが脱がされて、肌に当たる外気が、これからすることを教えるようでだんだんと緊張して居た堪れない気持ちになってきた。
「わ、わたる──」
「すぐに済む。何も考えるな。いや、好きな子のことでも考えるといい」
「う──」
主張するそれをゆっくり掴まれ、びくっと膝が上がるのを片手で押さえつけられる。繊細な触り方がもどかしくて声が出そうになるのを布団を噛んで耐えた。
上下の動きで背中にぞくぞくとしたものが這い上がってくる。
「──っ、はっ……、ンぅ……」
声が出るのが嫌で、息を止めようとしているせいで二重に苦しくなってきた。好きな子のことでも考えろと言われたが無理だ。こんな大きくて硬い女の子の手があるか。でもそれで感じている自分も情けない。そもそも強くなることに夢中で、自分に足りないものを探すのに必死で、恋愛とかそれどころじゃなかった。
というか、さっきのレッドとの再会が衝撃すぎてあいつの顔ばっかでてくる。
「…たのむ、からっ……はや、くっ」
思わず腕の辺りを掴み息絶え絶えに懇願すると、一気にペースがあがる。震えながら襲い来る快感にできるだけ身を任せて──俺はようやく果てた。
ぐったりと、一気に罪悪感と虚無感が襲い掛かってくる。
チャンピオンに俺は何をさせているんだ。
「はぁ、──は、」
出したものを拭われきちんと服を着せられる。それがさらに俺を追い詰める。ワタルは何も言わずにキッチンへ向かった。
のろのろと布団を退けて、もう一度溜息をついた。どういう顔して接したらいいんだろうか。す、と目の前にコップに入った水が出された。
「はい。気にしなくていいよ。医者に措置されたくらいに思えばいいさ」
「──サンキュ」
それ以上は何も言わずに、ワタルはりんごの皮むきを再開した。ほどよい距離の取り方が上手い。こういう大人になりたい。水を一気に飲み干した。
「騒ぎになるのが嫌なら、専門の医者を紹介するよ。君はもっと人を頼っていいんだ」
皿に盛られた切られたりんごとフォークを差し出して、ワタルが俺の頭をがしがしとなでる。下から慕われる理由を知るには十分すぎるほどだった。
普段なら振り払っているところだが、さすがの俺も今日は素直に甘えることにした。
*
グリーンに追い出されるような形で外に出た僕は、しばらくしてポケギアを持って出てしまったことに気付いた。慌てて引き返そうとしたら、ポケギアから何やら音が聞こえる。見ると画面には通話中とかかれていた。
──電気消そうか
聞こえてきた声に思わず手が止まる。
わ、わたる──
──何も考えるな
途切れ途切れに聞こえてくるそれに、血の気が引いていくような感覚に襲われた。あの二人は何をしているんだ?
──っ、はっ……、ンぅ……
たのむ、からっ……はや、くっ
グリーンの聞いたことないような声が聞こえる。手が情けないほどに震えて指が当たった拍子に通話は切れた。目の前が真っ暗だ。
今あの部屋に行きたくない。だがポケギアを持ったままでもいけないだろう。僕はのろのろとトキワシティへと折り返した。
*
ピンポン、とグリーンの家のインターホンを鳴らす。ドアから出てきたのはワタルだった。少し驚いたようにこちらを見やる。
「親御さんにはもう会ったのかい?」
「あの、ポケギア持ってでてきちゃって」
「ああ。グリーンくんならもう大丈夫そうだから、良かったら君が見ていてあげてくれ。さっきも言ったが僕はフスベに用事があってね」
何事もなかったかのように笑顔でそう言って、ワタルはそのまま出て行ってしまった。玄関に入り扉を閉めて鍵をかける。キッチンでグリーンが洗い物をしていた。
「あれ、レッド。どうしたんだよ。母ちゃんとこちゃんと行ったのか?」
同じく何事もなかったかのようにきょとんとしているグリーン。この疎外感はなんだろう。
「三年間で、随分ワタルさんと仲が良くなったみたいだね」
「んーまぁ仲いいっていうか、困ったときに助けてもらってるっつーか」
洗い物を終えたグリーンはゴム手袋をキッチンに放って、部屋に戻っていく。
僕も後について部屋へ入ると、グリーンがくるっと振り返り僕に指をさしてきた。
「つーかお前!マジで今までどこいたんだよ」
元々その話をしに来たのだが、後回しだ。
「グリーン熱は?寝てなくていいの?」
「へ?──ああ、もう平気だ」
目を逸らすグリーンに、少しずつ疑念が確証へと変わっていく。
「ワタルさんに元気にしてもらった?」
「な、なんだよ、ワタルワタルって。なに、嫉妬してんの?」
にやにやと自分の優位を疑わずにそんなことを言う愚かなグリーンに、僕の中の何かが切れて床に突き飛ばした。
「いって──何すんだよ!」
その上に乗り上げて、右手でグリーンの片手を床に抑え、左手で動けないよう肩を掴む。痛そうに歪めた顔を無視して僕は問いただす。
「さっき、ワタルさんと何してた?」
「え──」
面白いくらいに青ざめていく。だがそんなことで情をかけられる余裕は今の僕にはない。
「こういうことしてたんじゃないの」
肩、首筋から撫で上げるように耳へと指でなぞった。びくりと肩が揺れて触れた場所に鳥肌がたっていく。
「な、なに──やめっ」
動揺して動けないでいるグリーンの服の中へと右手を滑り込ませると、ぎょっとするように目を見開いた。
「待て待て、どうしたんだよ急にっ──やめろよ!」
「ワタルさんと何してたかを聞いてるんだけどな」
探るように服の中をなでるとびくびくと身体が跳ねる。まるでのぼせたように顔を赤くして目を細めるグリーンを、あの人も見たのかと思うと嫌で仕方が無かった。
「なんも、してないって」
「嘘だ」
逃れるように顔を横にそらすグリーンの耳を追うようにすりつつ、腰を這わせていた手を下げていく。
「おまっ──どこさわっ、ほんと、ありえねぇ……っ!」
「ここどんな風に触られた?」
「は?え?──なんでっ、知って──!?」
完全な肯定の反応に眩暈がして、触れたそこを強くすりあげた。大きく跳ねたグリーンの息が、怒りか興奮か、乱れていく。
僕も詰まっていた息をゆっくり吐いて、グリーンのスウェットを下着ごと引きずり下ろした。
「あっ!ばかやろ……!」
慌てて引き戻そうとする腕をどけて膝を押さえて間に割り込む。
「生憎ワタルさんはいないから、僕が代わりに”助けて”あげる」
「助けるって、おまえが加害者だろーがぁ!!」
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