酒に呑まれた先輩が見たい
シロガネ山の頂上には、いつもと変わらずレッドがいた。
ヒビキが近づくと足音に気付いて振り返り、ボールを取り出して身構える。
「レッドさん。今日はバトルをしに来たんじゃないんです」
「⋯⋯⋯⋯?」
「愚痴りにきました! あんたの幼馴染のことで!!」
「⋯⋯⋯⋯え」
ヒビキはつい先日二十歳を迎えた。それを聞いたグリーンは「酒飲めるようになったんだろ? お祝いしようぜ!」とヒビキを誘ったのだ。レッドもそうだが、何だかんだヒビキとグリーンの付き合いは長い。バトルの実力は同等か時にはヒビキが上回っているのだが、相変わらず先輩風を吹かすグリーンに甘えて喜んで誘いに乗った。それがいけなかった。
健全に人生を送ってきた、送らせてもらってきたヒビキは知らなかったのだ。酒は人を変えてしまうということに。
お祝いだからということで、サシで飲むにはかなり広い座敷の個室で酒盛りをした。お酒を飲む前から既にグリーンのテンションは高かった。ヒビキも初めてのお酒に浮ついていた。話は大いに盛り上がった。気を遣われたのかヒビキのお酒はアルコール度数が低めで少しほろ酔い程度だったが、グリーンは浴びるように酒瓶を開けていった。それをヒビキが驚いてすごいすごいと持ち上げるものだからグリーンはさらに増長した。
「後輩の前でかっこつけたかったんだろうね」
「大変だったのはここからなんです!」
酔いに酔ったグリーンは、もはやかっこいい先輩像なんて完全に崩れ去っていた。「おまえコトネとはどこまでいったんだよ」とか、「バトルのときおまもりこばん持たせんじゃねー」とか、「キスくらいはしただろ? はあ!? まだ!?」とか、「ほら最強ジムリーダー様の酒だ!」とか⋯⋯
ヒビキはひたすら呂律の怪しい酔っ払いに絡まれたのだ。しかも朝日が昇るまで。店長と仲が良いらしく一日貸し切りにでもして貰っていたのか助けてくれる人はいなかった。
「あんなうざ絡みするグリーンさんなんて見たくなかった」
「なんか──ごめん?」
レッドは話を聞いていて大体通常運転のような気がしたが黙っておいた。普段グリーンがヒビキにどう接しているのか分からない。
「しかも次の日疲弊しきった僕をみてまだまだだなーとか笑うんですよ! なんなんですか!」
「⋯⋯⋯⋯」
「いつも酔うとあんな感じなんですか!?」
「いや、その日は君とお酒が飲めて嬉しかったんじゃないかな」
「僕もそう思ってあまり文句言えなかったんですよ⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯でもそれはまだマシな方。実はもっと上がある」
「う、上? どうなるんですか」
「それは──」
秘密。そう言ってレッドは背を向けてまた山頂からの景色を眺めた。
「ええー。気になりますよ」
「うざ絡み程度じゃまだまだ。もっとピンポイントに度数高いの飲ませればさらに面倒くさいことになる」
「あれよりもさらに──?」
気になる。ただでさえ面倒だったグリーンがさらに面倒になると聞くと関わりたくはないのだが、そう意味深に情報をチラつかされると元来好奇心旺盛なヒビキは何としても確認してみたくなってしまう。
ヒビキの葛藤に気づいたレッドが余計なことを言ってしまったと溜息をついた。
「うーん⋯⋯じゃあ僕の番号教えるから、次またグリーン絡みで困ったことがあったら呼んで」
「──ポケギア持っていたのにこの十年間番号教えてくれなかった事実を知って僕は今傷ついています。ていうかまだポケギアなんですか!?」
「めったに使わないし登録上限があるから──」
「上限アリってポケギアの中でも古い機種じゃないですか! まあいいや。お守り替わりで古いポケギア持ってるので登録しますね」
***
一週間後、ヒビキは早速グリーンを飲みに誘った。グリーンは嬉しそうに笑って「もちろんいいぜ! 少しは強くなったかよ? ⋯⋯なんてな!」と冗談めかして挑発してきた。
店は前回と同じ座敷で個室の場所だが、さすがに今回は四人分程度の小さな部屋だ。向かい合って座りアルコールのメニューを開く。
少しも疑わない様子に若干の罪悪感を感じながらも、ヒビキは強い酒を指差して、「これすっごく度数高いですね! さすがのグリーンさんもストレートじゃ飲めないですか?」と言うと、案の定グリーンは「余裕だっての」とヒビキに誘導されるがままに強い酒を煽っていった。
そして二時間後。
あんなに騒いでいたグリーンが大人しくなった。酒に頬が紅潮して目がとろんとしている。なんだ大人しいじゃないか。そう思いつつヒビキはぼうっとしているグリーンが心配になって隣に行って肩を叩いた。
「大丈夫ですかグリーンさ───わっ」
すると急にグリーンが抱き着いてきて、ヒビキは勢いと重力に抗えずそのまま後ろに倒れこんだ。グリーンさんに押し倒された! きゃー襲われるー! と脳内で茶番を繰り広げていたがグリーンは一向に動く気配も喋る気配もなかった。
「グリーンさん?」
「んー」
背中をとんとん叩いてみると、イーブイのように胸に頭を摺り寄せてきた。幸せそうだ。手持ちのポケモンとでも勘違いしているんだろうか。
そういえば昔彼の姉に、ああ見えて寂しがり屋なんだと教えてもらったことがある。つまりはまあ、普段は全然そんな風に見えないけど、本当は人肌恋しいのかもしれない。
成人男性に抱き着かれたところで嬉しくはないのだが、あのうざ絡みをされるよりは気を許されているみたいで断然いい。このときヒビキはまだそう楽観していた。
それからおおよそ二十分が経過した。
グリーンが動く気配はない。暑いわ重いわ暇だわでもう既にヒビキは疲れていた。この姿を見られたところで恥をかくのはグリーンだし、誰か来て助けてほしい。
いや、むしろ、このまま朝まで誰も来なかったら? がっちり抱き着いているせいで、自力では抜け出せない。途中でトイレに行きたくなったらどうしよう。ヒビキはようやく事の重大さに気付いてぞっとした。
「グリーンさん!! 起きて!! どいて!!」
「へへ」
ばんばん叩いてもへにゃへにゃ笑うだけだ。酔っ払いって怖い。テーブルの下を見ると自分のバッグが見えた。こちらに伸びている肩掛けの部分を掴んでなんとか手繰り寄せ、バッグの中からポケギアを取り出す。そして最近登録したばかりのレッドに電話をかけた。
『もしもし。心配しなくても僕は元気にやって──』
「挨拶はいいです!! 助けて!!」
『どうした』
「グリーンさんが! 酔って抱き着いて押し倒してきて動かなくなりました!」
『は? ああ、だから言ったのに』
「もう二度としないので助けてくださいレッドさん。トキワシティの飲み屋です」
『はいはい。近いからすぐ行く。それまでに寝かしつけておいて』
そう言って通話はすぐに切れた。
寝かしつけるって!?
確かにグリーンはずっと笑ったり身じろぎしていて起きてはいるようだ。取り合えずヒビキは一定のリズムで背中を軽く叩いてみることにした。こうすると眠くなると何かでやっていたのを思い出したのだ。
「ん、ねえちゃ⋯⋯」
──なんかすごく見てはいけない一面を見てしまった気がする。プライドが高い人のこういう姿を見てしまった罪悪感は凄まじい。
「ひ、ヒビキです⋯⋯」
「ひびきー? でかくなったなぁ」
親戚のおじさんか。成長を確かめてるつもりなのか、ほっぺをぐいぐい引っ張ってきて痛い。
「やめれくらひゃい」
「オレさ、小さい頃からずっと大人に囲まれてたし、おまえといると、おとうとができたみたいで、うれしいんだよ」
グリーンは今まで見たことない優しい表情でそう言った。
「グリーンさん⋯⋯」
すぱん! その時勢いよく襖が開かれた。救世主レッド様のご登場だ。早い。
「寝かしつけといてって言ったのに」
「レッドさん!!」
「れっど?」
すたすた二人の元へやってきてそのままべりっとヒビキに抱き着いていたグリーンを引きはがした。流れで床に放られたグリーンは仰向けでへらへら笑っている。酒に飲まれた者の醜態をまだ見慣れていないヒビキはただ怖くなった。
「れっどぉ! バトルだばとる! あいてしやがれぇ」
「はいはい今度ね。今日はグリーンの奢りでいいよね」
レッドはグリーンのバッグをがさごそ漁った。中から鍵を取り出して自分のポケットにしまい、財布の中身を確認している。すごく馴れた手つきだ。
レッドに適当に流されたグリーンはむっとして、起き上がって床を這いずるようにレッドの元へ向かい背中にのしかかった。
「オレとバトルできねーっていうのかよぉ」
「そんな状態でできるわけないだろ」
「そんなじょーたいってなんだ。どく? まひ?」
「酒に呑まれた状態。まひかな。こんらん?」
「おれ酔ってねぇし」
「酔ってるやつは皆そう言う」
しばらく黙り込んだグリーンは突然ぼろぼろ泣き始めた。初めて泣いたところを見たヒビキはぎょっとした。
「ぐ、グリーンさ───」
「よ、弱いやつとはたたかいたくないってことか──?」
「そんなこと言ってない」
「じゃーなんでたたかってくれないんだよぉ」
「よし、所持金は充分そうだ」
「おれのこと、きらいならはっきり言えばいいだろ⋯⋯!」
心底面倒くさそうな顔をしたレッドはポーチからモンスターボールを取り出しフシギバナを繰り出した。テーブルにはもう酒瓶しかなく、咄嗟にヒビキがそれを避けたので最悪の事態は免れた。
ねむりごな。
グリーンを指さしてそう指示すると、フシギバナは器用にグリーンにねむりごなを振りかけた。グリーンはレッドの背中からずるっと落ちて寝息を立て始める。レッドはフシギバナの頭を撫でてやり、またボールに戻した。
「泣き上戸になって面倒だから眠らせといて欲しかったんだけど」
「あの、すみません。力不足で⋯⋯」
ヒビキもねむりごなが使えるポケモンを持っていたが、半分パニック状態だったために思いつけなかった。そして泣き上戸と言うよりレッドが泣かせたようにしか見えなかったが、それを言う勇気は無かった。
少し前まで幸せそうに笑っていたグリーンは目じりに涙を残してすやすや眠っている。その涙をレッドが雑に拭って背中におぶった。グリーンの財布をヒビキに押し付ける。
「先に行って支払っといて」
「ほんと、すみません。レッドさん」
「気にしなくていいよ」
ヒビキは小走りでレジへ向かい、支払いを済ませた。お店の外で待っているとグリーンとバッグを持ったレッドが出てきたので、財布を適当にバッグにねじ込む。
「じゃ、僕はこのままグリーンを家まで運ぶから。君も気を付けて。疲れたでしょ」
「見ちゃいけないものを一通り見た気分です」
「あはは。こいつ普段かっこつけてるからなぁ。年下相手なら尚更ね。──まあ、これに懲りずにまた相手してやってよ」
心底楽しそうに笑うレッドも、ナナミのようなことを言うレッドも初めてで、今日はすごくレアな一日だったなぁと思いながらヒビキは帰路についたのだった。
次の日。
ヒビキの家にインターホンが鳴り、出てみるとグリーンが気まずそうに立っていた。
「あーその、昨日は迷惑かけちまったらしくて、悪かったな」
「あ、いえ。レッドさんが来てくれましたし」
「そうか──あのさ、俺昨日どんなんだった? 全く思い出せねぇしレッドのやろーは詳しく教えてくれなくてよ」
実をいうとヒビキはまだ昨日の疲れが残っていた。ありとあらゆることが一気に起こったため中々眠りにつけなかったのだ。完全に自業自得ではあるのだが、まあ。
「昨日は──普段のグリーンさんからは想像できないくらい可愛かったですよ」
「か、かわ──!?」
少しくらい意趣返ししてもバチは当たらないはずだ。
「え、待て。どういうことだ。俺なにやらかした? なに言った俺」
「知りたいですかー? 知らない方がいいんじゃないかなぁ」
さぁっと、分かりやすいぐらいにグリーンが青くなって顔が引きつっている。思った以上に効いたようで、さすがに可哀そうなのでヒビキは早めにフォローすることにした。
「冗談ですよ。そうですね、僕のこと弟みたいだって言ってくれました」
この辺ならダメージは少ないだろう。ヒビキに抱きついて離さなかったり、レッドに縋り付くように泣いていたことは伏せておく。
「なんか、悪かったな。これ侘びってほどじゃねぇけど」
照れたのか少し赤くなったグリーンは目を逸らしながら紙袋をヒビキに押し付けた。
「あっニビあられじゃないですか。ありがとうございます!」
少し前に誕生したニビシティの名物だ。
「⋯⋯ちくしょーおまえの前ではかっこいい大人でいたかったのによ。とんだ醜態さらしちまったな。でも酒ってのはいろんな楽しみ方があるから、こういうもんだとか思うなよ」
多分グリーンは、自分のせいでヒビキがお酒を嫌いになることを恐れているのだ。
「グリーンさん⋯⋯また飲みにいきましょうね。僕グリーンさんとバトルするのも、話をするのも好きです」
このままだとグリーンは二度と自分を飲みに誘わないんじゃないか、そう思ってヒビキは先手を打つことにした。グリーンはというと一瞬呆気にとられて、そして嬉しそうに笑った。
「おまえほんっと──そうだな。じゃあ次は大人のバーに連れってってやるよ!」
「やった! 憧れてたんですよー! 僕の友達がもう行ったとか言ってて! 連れてってって頼んだらお前はうるさいから嫌だとか言うんですよ!」
「友達ってもしかして、赤毛のあいつか? バーにもいろいろあるからな。じゃ、そいつも誘って三人で行こうぜ!」
「レッドさんはいいんですか?」
「──あいつはいいんだよ!!」
喧嘩でもしたんだろうか。グリーンは顔を赤くして怒りに震えていた。
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