酒に呑まれた君が見たい
突然やってきたヒビキがグリーンの愚痴を話している間、レッドは数ヶ月ほど前にグリーン宅で酒盛りした日を思い出していた。
レッドはザルと言っていい程に酒が強く、グリーンもそこそこ強いので二人で飲むときは結構な量を消費する。毎回の後片付けが面倒に思えてきたレッドは、最初から強い酒にすればいいんじゃないかと、その日はウォッカを持参した。さすがに九十度超えのものは勇気が出なかったので、五十度ほどのウォッカだ。
「お前にしては気が利くじゃねーか」とオレンジュースを取り出してきたグリーンを見つつ、コップにウォッカを注ぎそのまま飲み干す。ジュースで割ろうとしていたグリーンが口を開けてこちらを見ていたので、「このくらいなら酔えそう」とレッドが素直に感想を言うと、グリーンは無言でオレンジュースを冷蔵庫へと戻した。
「やっぱウォッカはストレートだよな!」
でも少しずつ飲むのが大人の飲み方だぜ、とか言いながらグリーンはレッドと同じくストレートでゆっくりと飲んでいった。口の中をリセットするかと言い訳しつつ、たまに水も飲みながら。
対抗して一気飲みするほど命知らずでは無かったことがせめてもの救いである。
レッドは生まれて初めてほろ酔い状態になり感動していた。いつも酔ったグリーンが楽しそうにケラケラ笑っているのを少し羨ましく思っていたのだ。とてもいい気分だった。
そしてレッドが飲み続ける限り途中で辞めることもできずに強い酒を煽り続けたグリーンは大いに乱れた。天の邪鬼はなりを潜めて喜怒哀楽全てを素直に表現していた。己の欲求に実に忠実だった。
翌朝グリーンは、「頭ガンガンする⋯⋯やべぇ昨日の記憶マジでないわ」と青ざめながら起き上がった。
レッドはそんなグリーンに、昨日は甘えたり縋り付いて泣きついたり普段からは想像を絶するくらいに可愛かったと伝えると、絶句しながら顔を赤や青に変化させたグリーンはそれきりお酒をセーブするようになってしまった。
だがレッドはもう一度あのグリーンが見たい。
ヒビキに対しては気を許しているようだから、ヒビキをふっかければまたあの状態に出来るんじゃないか? そう思いわざとヒビキの好奇心を煽るように情報を小出しに伝える。
──さて、ポケギアの番号登録もしたし、後は期待せずに待っているだけだ。
一週間後、レッドの作戦は想像以上に上手くいくこととなった。
***
ヒビキから電話が掛かってきた。普段電話を取る時、最初の頃は「もしもし」くらいしか言わなかった。酷い時は無言で相手を困らせたくらいだ。
だが前にグリーンに電話を掛けた時、
『もしもし、心配すんな、俺は元気でやってる──ってレッドかよ』
と言っていたので、ああそれが正しい挨拶なのか、と以来できるだけちゃんと挨拶するようにしている。
「もしもし。心配しなくても僕は元気にやって──」
『挨拶はいいです!! 助けて!!』
緊迫したヒビキの声が聞こえてくる。まさかトラブルに巻き込まれたんだろうか。グリーンのことで何かあったら掛けろ、と伝えたのに。まあ一応付き合いの長い後輩トレーナーだ。見捨てるわけには行かない。
どうした、と聞くと、
『グリーンさんが! 酔って抱き着いて押し倒してきて動かなくなりました!』
なんてことを言ってきたので一瞬低い声で「は?」と言ってしまった。
いけないいけない、こうなることは分かっていたじゃないか。少なくとも抱き着くまでは予想していた。
「だから言ったのに」
『もう二度としないので助けてくださいレッドさん。トキワシティの飲み屋です』
ヒビキにはすぐ行くと伝え、ついでに寝かしつけるよう頼んでおいた。これ以上グリーンがヒビキに何かしないとは限らない。僕の時はあんなに誘ってきたのだ、いろいろと。まあ、いろいろと。それは僕が好きだからで、酔いで感情を素直に出した結果だと信じたいが、あいつはああ見えて人肌好きなところがある。あまり信用ならない。
超特急でトキワの飲み屋に向かい、顔馴染みの店長にグリーンの居場所を聞き出す。このお店はチャンピオンやジムリーダーなどの有名人が、人目を気にせず食事をするための会員制の飲み屋だ。
二人の部屋まで来ると、中からヒビキのうめき声とグリーンの声が聞こえてきた。
「──オレさ、小さい頃からずっと大人に囲まれてたし、おまえといると、おとうとができたみたいで、うれしいんだよ」
「グリーンさん⋯⋯」
そこで僕はすぱん! と思い切り襖を開いた。その先には進ませない。
ヒビキは、レッドさん! と心底助かったという顔でこちらに顔を向けた。グリーンは思考が鈍っているみたいだ。取り敢えずヒビキにくっついているグリーンを思い切り引き剥がした。浮気者め。
引き剥がされたグリーンは満面の笑みで僕を見つめて、「れっどぉ! バトルだばとる! あいてしやがれぇ」と強請る。思わず表情が崩れそうになるのを抑えつつ、僕は適当に受け流した。
それがお気に召さなかったらしいこのライバル兼恋人様は、カバンから財布と鍵を確認している僕の背中にのしかかってきた。吐息が熱い。酒臭い。
「オレとバトルできねーってゆうのかよ」
「そんな状態でできるわけないだろ」
「そんなじょうーたいってなんら。どく? まひ?」
「酒に呑まれた状態。まひかな。こんらん?」
「おれ酔ってねぇもん」
「酔ってるやつは皆そう言う」
背中から伝わる熱を誤魔化すように素気ない返事を繰り返していると、グリーンは唐突に泣き始めた。ヒビキがぎょっとしている。恐らく初めて見たのだろう。彼の泣いてる姿なんて、僕だって普段は見ることがない。夜はともかく。
一気に感傷的になっていくグリーンに、不味いな、と思った。
このままだとヒビキに聞かれてはならないことまで言い出しかねない。一応二人の関係はグリーンの強い希望により秘密なのだ。ああ面倒くさい。
僕はフシギダネのねむりごなでグリーンを眠らせた。家に連れ帰ったらすぐに起こそう。水も飲ませてやらないと。
「泣き上戸になって面倒だから眠らせといて欲しかったんだけど」
「あの、すみません。力不足で⋯⋯」
あくまで介抱が面倒なだけ、という態度を保ちながら文句を言うとヒビキは申し訳無さそうに俯いた。
財布を押し付けて支払いを頼んだ後もそんな態度だったので、さすがに罪悪感を感じた僕は「気にしなくていいよ」とフォローする。この子は僕に誘導されるままに行動しただけだ。
「じゃ、僕はこのままグリーンを家まで運ぶから。君も気を付けて。疲れたでしょ」
「見ちゃいけないものを一通り見た気分です」
「あはは。こいつ普段かっこつけてるからなぁ。年下相手なら尚更ね。──まあ、これに懲りずにまた相手してやってよ」
あまりに作戦が上手く行ったうえに、これからの事を考えると楽しくなって、笑って返すとヒビキは目を丸くした。それが面白くてまた少し笑ってから、僕はグリーンの家へと向かった。
そして酔いが抜ける前にグリーンを起こし、口移しで水を飲ませながら彼を散々堪能した次の日。
朝が来て起き上がったグリーンは前回よりもさらに顔面蒼白にさせていた。
「ここ俺の家⋯⋯? レッド? なんでレッドがいるんだ? 俺ヒビキと飲んでたはずなんだけど? 昨日何があった? おいレッド知ってるんだろ教えろよ頼むから」
酒に焼けて掠れた声で不安げに僕に問う。
グリーンが酔っ払って大変だとヒビキに呼び出されたので、連れ帰って介抱した。そう伝えるとグリーンは分かりやすく落ち込んだ。
「まじかよ。あいつの前で酒に呑まれるとか⋯⋯情けねぇ」
ちなみに家に帰ってからは甘えたり縋り付いて泣きついてきたりして相変わらず可愛かったと伝えると、グリーンは固まった。顔に赤みが戻っていく。
「お、おい! 色々言いたいことはあるけどその前に──俺ヒビキの前ではどんなんだった!?」
「⋯⋯⋯⋯」
事実とはいえ押し倒してたとか言って、変にヒビキを意識するようになったら嫌だなぁ、とか考えてしまって、僕は無言を貫くことにした。
「なんで何も言わねぇんだよ⋯⋯! 教えろよ⋯⋯! なぁ!! ていうかお前の策略じゃねぇよなこれ!?」
僕の胸ぐらを掴んで涙目で睨み上げしつこく聞いてくるので、キスで口を塞いで黙らせてみた。一瞬びくりとしたグリーンはすぐに僕を殴り飛ばし「ふざけんなよクソが!!」と口悪く叫んで立ち上がると、素早く服に着替え上着を羽織り、財布をポケットに突っ込んで家を出ていく。
どこ行くの、と聞くと、ヒビキのとこ! と答えながら扉を乱暴に閉めた。かなりご乱心のよう。──大変だ。
グリーンが帰ってくるまでここで過ごさなければならなくなってしまった。
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