冗談なのに

トキワジムの応接室にあるソファーで、リーダーである俺は仮眠を取っていた。


別にサボっている訳ではない。必要な休息時間だ。それなのにいっつも俺の部下は、俺が居ないことに気付いては捜し始めて見つけては文句を言う。断じてサボっている訳ではない。ただちょっと誰にも言わずに休んだり外出したりしているだけだ。


とまあ言い訳はさて置き、寝るというよりただ仰向けに目を瞑っているだけの俺は、応接室の扉が開く音を聞いて、ああもう終わりか──と短かった休憩を惜しむように狸寝入りを決め込んでいた。ジムリーダーってのはいろいろと疲れるんだ。引き受けた時はただバトルするだけだと思ってたのになぁ。


足音がすぐ近くまで来て止まり、瞼越しに感じていた光が弱まる。


「リーダー? 起きてる?」


この声はヤスタカだ。いつもは揺さぶって雑に起こしに掛かるのに、今日は起こす気が本当にあるのか小声で呼び掛けるだけだった。ひょっとして見逃してくれるのか? 淡い期待が胸を過る。


「起きないとキスしちゃいますよー」


──何言ってんだこいつ。


狸寝入りに気付いた上でのおちゃめな脅しだとして、何故そんなに小声なんだ。いや、違うな。恐らく俺が寝ていると信じ込んで一人で巫山戯ているだけだろう。そう思うと悪戯心が沸いてきた。


「うわっ!?」


薄目を開けて位置を確認しつつヤスタカの胸倉を掴み、ぐいっとぎりぎりまでこちらに引き寄せる。驚いて体勢を崩したヤスタカはソファーの背もたれと俺の顔の横に手をついた。


「いいぜ? しても」


しっかり目を開けてニヤニヤ笑いながらそう言い放てば、やっぱり俺が起きてることに気付いていなかったヤスタカは顔を紅潮させて固まった。年上を遣り込めるのは楽しい。さーてどう言い訳するかな、と面白く見守っていたらヤスタカの顔がさらに近づいて唇に温かいものが触れた。


「んっ──!?」


こ、こいつ⋯⋯!

本当にやりやがった!


でもここで抵抗したらまるで俺がしてやられたみたいだ。それは悔しいので動揺を隠して受け入れる。ほんの数秒我慢すればいいだけだ。このくらい──


だがすぐにその考えの甘さを知ることになった。一瞬離して小さく吐息を掛けてきたかと思えば、あろうことに今度は口をこじ開けて舌まで入れてきやがった。思わず逃げていく舌を無理やり絡ませられるたびに背中にぞくぞくしたものが走る。


「んっ、待て、ちょ──んん」

角度を変えてキスをする合間を縫って制止の声を上げたいがペースが早すぎてままならないし、上半身だけとはいえ身体が密着していて抵抗も叶わない。そして何より──


妙に上手くて腹が立つ!



散々口内を荒らされてからようやく解放された。唾液が糸を引くのが見えて気持ち悪い。

俺は身体を半分起こしてヤスタカの頭を思い切り殴った。


「誰が! 舌まで入れていいって言った!!」


殴られたヤスタカは全く堪えてないようで、放心したようにぼうっとしていた。かと思うと、「たってる」と俺の股間に手を伸ばそうとしたので慌てて叩き落す。ヤスタカの言う通りそこはゆるく主張していた。でも断じて勃ってるというほどではない。断じて。どちらにせよ最悪だ。男のキスでこんな風になるなんて!


「リーダー若いから、仕方ないですよ」


にへら、と笑ってフォローする目の前の男に軽く殺意を覚えた。殴り飛ばして床に蹲らせた上でひたすら蹴り続けてやろうか。物騒なことを考えていると完全に自分を取り戻したヤスタカが俺の肩を押して再びソファに寝かせ、信じられないことに俺のそれをゆっくりなぞってきた。


「な、な、なにすんだよ!!?」


せっかく整えた息がまた乱れてくる。ヤスタカは開き直ったように笑う。


「いや、腰抜けちゃったみたいだから、俺が処理してあげようと思って」

「抜けてねぇし! なんの気遣いだよ! いい、放っとけ、触んな、誰か来たら──」

「大丈夫ですって。来たとしても、みんなノックしてから入りますから、いくらでも誤魔化す時間はあります」

「そういう問題じゃ──あっ」


裏側を撫でられ思わず声を上げてしまった。咄嗟に手で口を覆って相手を睨みつける。これ以上の悪巫山戯は本当に悪質だ。俺の睨みを受けたヤスタカは興奮するように、は、と息を漏らした。



ガチャ。



ソファで仰向けの俺にヤスタカが覆いかぶさって服越しにアレを握っている最悪な恰好のまま、無情にも扉が開かれた。ノックはされなかった。


現実逃避したい気持ちで一杯になりながら恐る恐る扉の方へ目を向けると──


「レッド!?」


俺はびっくりして思いっきりヤスタカを突き飛ばす。ヤスタカも突然の登場に気が抜けたらしく、よろけて床に尻もちをついた。


レッドが黙って回れ右をして去ろうとしたので俺は必死にその背中を呼び止める。


「待て待て待て黙って去ろうとするんじゃねぇ!!」

「いや、だって──」


扉を出ようとしていたレッドは戸惑うようにまたこちらに向き、俺とヤスタカを交互に見つめた。


「お邪魔みたいだから──」

「邪魔じゃねぇよ! 襲われてたんだよ俺が! 被害者なんだよ俺!」

「ええーひどいですよリーダー。リーダーがしていいって言ったのに!」


まさにその通りだ。でもあそこまで許可した覚えはない。そもそも冗談のつもりだったんだよ!


「ひどい、リーダーから誘ったのに⋯⋯むしろ俺が被害者ですよ⋯⋯」

「部下をいじめちゃ駄目だろグリーン」

「なんでお前は俺より他人のこいつに味方すんだよ!」


レッドは俺ではなく大人のくせにめそめそ泣いて見せるヤスタカに同情の目を向けた。凄く腹が立つ。ヤスタカはヤスタカで「リーダーに他人って言われたー俺とは遊びだったんですね!」とか叫んで走って部屋を出て行った。修羅場演出してんじゃねぇ。


俺には分かる。あれは嘘泣きだ。要するにこの状況から逃げやがったのだ。


「なんか変なタイミングで来ちゃったな」


一応レッドは窮地に現れた救世主なわけだが、俺に向けられる呆れた眼差しはただただ不愉快でしかない。


「部下にいつもあんな事させてんの?」


もはや誤解じゃなくてわざとなんじゃないだろうか。怒りで頭に血が上っていく。俺のことをそういう目で見るっていうならもういい、いっそ開き直ってそうだと言ってやる! いや違うけど!


「そうだな分かった、教えてやる。その通りだよ! せーっかく好いとこだったのになぁ。お前みたいなヤツの事なんて言うか知ってるか? おじゃまむしって言うんだよ!」


ついでに怒りも思いっきりぶつけてやった。

レッドは「そんなどっかのおてんば人魚みたいなこと言わないでよ」とかなんとか言いながら、開けたままだったドアを閉めてようやく部屋の中に入り、ソファに座る俺の前にスタスタとやってきた。


「ヒビキから伝言。今日の夜ヤマブキの道場に来てって」

「いいけど、なんでお前通して言うんだ? 電話してくれりゃいいのに」

「カントーとジョウトのジムリーダーに順に声かけてるみたいで、僕も呼ばれたからついでにグリーン連れてくって約束したんだ」


あいつのコネすげぇな。ヒビキというのは俺の、まあ後輩みたいなもんだ。へらへら気の抜けた笑いをしておきながら、ジョウトとカントーを制覇しチャンピオンにまで昇り詰めた、四つ下の少年。一歳の差とはいえ、俺よりも一年早く旅に出てそこまで成し遂げているのだから大したものだ。


「なんでまた」

「コトネとヒビキでタッグ組んで、ジムリーダー二人ずつ相手に勝ち抜き戦するらしいよ。レベル制限あり。少年漫画の修行みたいだよね」

「へー楽しそうなこと考えるな。俺も挑戦する側やりたいぜ」

「言うだけ言ってみれば?」


それを思いついて実現できるのがヒビキの凄いところだ。断る理由なんて無い俺はもちろん参加することにした。最近はレッドにもヒビキにも負けが込んできており燻っていたところだ。絶対にこいつらをぎゃふんと言わせてやる。


「つーかお前さ。あっさりと流しやがったけど俺とヤスタカに関して何も言いたい事とかないわけ」

「ヤスタカ?──ああさっきの可哀そうな部下か」

「可哀そうなのは俺だ!」

「どうせ君が挑発して逆に遣り込められたんだろ」

「うっ」


何で解るんだ。図星すぎて流石に言い返せない。


「それで君は気持ちよくなっちゃったと」

「ん、なわけねぇだろ男相手に!」


今日のレッドは当たりが強い。そりゃ、見たくないもん見せられて嫌な気持ちになったんだろうけど、俺だって被害者なんだ。いや加害者なのか? もんもんとしていると、急に顔を掴みあげられた。少し首が痛い。


「ふうん」

「な、なんだよ」


顔を近づけて目を覗き込むようにしてくるせいで、訳も分からず緊張してきて、顔に熱が集中していく。


「ま、いいや」


と、急にパッと離された。


「バトルに集中して欲しいし、これ以上揶揄うのはやめとく。他人の後って嫌だし」


後半意味が分からなかったが、やっぱり揶揄っていただけらしい。身体の力が抜けたあと、またふつふつと怒りが沸いてきた。今日はなんて最悪な日だ!


「てめぇ後で覚えとけよ。ヒビキもろとも完膚なきまでに叩き潰してやるからな!」

「うん、じゃあ夜八時にヤマブキで。レベル制限は五十だから」


俺の宣戦布告にもどこ吹く風のレッドはそのままどこかへ立ち去った。


そして俺はその日やって来たジムの挑戦者たちを八つ当たりの様にぶちのめし、日が暮れてからヤマブキへと向かったのだった。



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