小さい頃の約束
「オーキド博士! メンテナンスに参りましたー」
「あ! マサキだ!」
マサキがオーキドの研究所に入ると、小さな少年がこちらに駆けつけてきた。
「オーキド博士のお孫さんか。相変わらず元気やなー」
「孫っていうな!」
頬を膨らませて怒るので、ぽんぽんとその頭を撫でる。
「すまんすまん。グリーンくんやったな」
「ワシの孫がすまんのう、マサキくん。何度言い聞かせてもちっとも大人しくせんで困っとるんじゃ」
「子どもの内はこんくらい元気な方がええと思いますよ! 気にせんでください。それに僕、子ども好きですから」
苦笑いで現れたオーキド博士ににっこりと笑顔で応える。別に子どもが特別好きという訳ではなかったが、相手は世界的権威の博士だ。まだまだ駆け出しの今のマサキにとって最も重要な上客。好感は高ければ高いほど良い。
その孫も、正直仕事の邪魔をされるのは困りものだが、懐かれていた方がオーキドからの印象も良いだろう。そんな打算的な考えが頭にあった。
博士の孫がぐいぐいと手をひっぱる。
「なあなあ、おれの部屋きて! ポケモンの話聞きたい! いいだろ?」
「これグリーン! マサキくんはこれから大事な仕事なんじゃ」
「ごめんなぁ。終わったら相手したるから、ちょお待っといてな」
「ちぇっ! つまんねーの」
不満そうに口を尖らせて、グリーンは研究所を出ていった。文句は言いつつも引き際は弁えている。その辺は小さい頃からずっと大人に囲まれている故の"慣 れ"なんだろう。
「全く仕方のないやつじゃ」
「まあ遊びたい盛りでしょーし。同い年の子どもおらんのでしょう?」
「うむ、まあ数週間後に同い年の子を持つ母親が引越してくるんじゃがの。ちっとは良い影響受けるといいんじゃが」
その子が引越してきたら自分はお役御免かもしれない。それはそれで若干の寂しさが無いことも無いが、仕事に集中できるのはありがたいことだ。
オーキドと例の話をする時間も取れる。
***
マサキがマサラタウンにやってくると、ずっと空だった家に明かりが灯っていた。どうやら例の親子が引越してきたようだ。とはいえ自分には関係ない。マサキはまっすぐにオーキド研究所へと足を運んだ。
「おはよーございます!」
「おお、わざわざここまで来てもらってすまんのうマサキくん」
「いえいえ! なんや僕にご相談があるとか」
「そうなんじゃよ」
パソコンと向き合っていたオーキドに促され、用意された椅子に座る。
「実はワシには夢があってのう。その一つがポケモン図鑑を作ることなんじゃ」
「ほほー、図鑑ですか」
「それもただの図鑑じゃない。ポケモンを捕まえたら自動で更新されていく図鑑にしたいんじゃ。その方が子どもたちも勉強になるし、捕まえたポケモンのことがすぐ分かって便利じゃろう?」
「なるほど、モンスターボールと連動した図鑑っちゅーわけですね」
マサキと同じようにオーキドにも作りたいものがあったようだ。これは。
──チャンスやな。
ここで恩を売っておけば、まだ構想段階である例の開発の資金調達に力添えしてくれるかもしれない。それにこれは自分の腕試しの場にもなる。わざわざカントーに来た甲斐があったというものだ。
詳しく聞こうと口を開きかけたところで、研究所の扉が開き二人の少年が入ってきた。
一人は博士の孫であるグリーン、もう一人は帽子を深く被っており顔は見えないが、恐らく引越してきた例の子どもだろう。
「なんじゃ、何かあったのか?」
そう声を掛けたオーキドにマサキは少し驚いた。いつもなら大事な話をしているから入ってくるなと追い払うところだ。だが今日は優しい声音で語りかけている。気のせいかもしれないが、その目は例の子どもの方へ向けられている気がした。
──身内に厳しくしてまうタイプのお人なんやろうなぁ。
気持ちは分からないでもない。マサキの場合は年の離れた幼い妹なので、むしろ他人の子どもよりもつい甘やかしてしまうが。まあ生意気で調子の良い身内の子どもよりも、他人の子どもに優しくしてしまうのは、遠慮もあるだろうし仕方のない事かもしれない。
入り口に立つグリーンはムッとしたように目を眇めた。二人の少年はあまり仲が良いように見えない。何だか複雑な人間関係が見えてしまいそうだ。
グリーンは暫くオーキドをじっと見てから、マサキの方へ顔を向けてパッと笑顔になって駆け寄ってきた。
「マサキ! 来てたんなら言えよなー! なあ、珍しいもん拾ったから、おれの部屋こいよ! マサキにだけ特別に見せてやるぜ!」
「グリーン、今大事な話をしとるんじゃ。そういうのは後に──」
「おれは! いま! 見せたいの!」
いつも何だかんだ聞き分けのいいグリーンは、今日はマサキの腕をがっちり捕まえてテコでも動かない。色々と察してしまったマサキは苦笑いをしながらオーキドに声を掛けた。
「ええと、僕、行ってきますわ」
「しかし──」
「さっきの話は一旦僕なりに調べてみますんで、進行とか実現可否とか、細かいことはまた後日に」
「ふむ、分かった。すまんのう⋯⋯」
ぐいぐいとグリーンに引っ張られるままに研究所を出る。途中、もう一人の少年がこちらに声を掛けようとしたが、オーキド博士が引き止めていた。何か話したいことがあったらしい。それに気づいたグリーンはマサキの手を握る力を強めて早足で歩いていく。
***
「ほらこれ! 草むらに落ちてたんだ」
「草むらて。ポケモン持たんと入るんは危険やからあかんで!」
「気をつけてっから大丈夫だって! ⋯⋯分かったよ、これきりにするよ。それよりほら! 綺麗だろー?」
部屋に着いてグリーンが机の中から取り出し見せてくれたのは、中に稲妻が見える緑色の透明な石だった。
「ってこれ、かみなりの石やん!」
「知ってんの?」
「これはな、特定のポケモンを進化させられる特別な石やねん。めっちゃレアやで! ええなー」
「欲しいんならやる!」
グリーンはかみなりの石をマサキにぐいぐいと押し付けた。
「いや、でも、グリーンくんが見つけたんやろ?」
「いっつも面白い話してくれるからそのお礼! おれは将来旅に出たときにまた見つけるからいーの!」
正直なところ今とても欲しかった石だったので、マサキはお言葉に甘えることにした。というか、むしろ受け取らないと拗ねてしまいそうだ。
「おおきにな、恩に着るわ」
「へへ」
「ところで──最近同い年の子が引越して来たんやろ? 仲良うなれた?」
出来るなら関わりたくない所ではあるが、石も貰ってしまったし、放っておくのも可哀想な気がしてマサキは一歩踏み込むことにした。
するとグリーンは明らかに憤然とした様子で腕を組み、ぷんっと顔を背ける。
「別に。じいさんも他の奴らもみんなあいつのことばっか! 姉ちゃんもあいつの母ちゃんの手助けするとか言って忙しそうだし、あいつが来てからマジつまんねぇ」
子どもらしい嫉妬だ。親が生まれた弟にばかり構って拗ねるのと似たような心境だろう。──いや。
マサキにとってグリーンは"博士の孫"という存在でしかなかった。
マサキにはどうしても作りたいものがある。でも圧倒的に資金が足りない。地道にコネを広げていってようやくオーキド博士に目を掛けてもらえるようになったのだ。アリアドスの糸を伝って登るように、慎重に付き合わなければならない。だからその孫のグリーンが遊びたいと言えば付き合うし、面白い話が聞きたいと言えば話した。
だが、他の大人たちも皆そうだったとしたら? 周りの誰からも、"博士の孫"としか見られなかったとしたら?
それは何だか──とても寂しいことじゃないだろうか。
それが当然な内は良かった。でも普通の少年という比較対象が現れてしまった。そこから見えるのは通常の大人と子どもの関係だ。もしかするとグリーンは、幼い兄が弟へするような嫉妬とはまた違う、本人にしか分からないような複雑な感情を抱いているのかもしれない。
「ほんなら、わいがグリーンくんの兄になったるわ! いつでも弟のこと最優先したんで。そしたら周りがその子に構っとっても気にならんやろ?」
「マサキが、おれのにいちゃん?」
「せや!」
「それって──」
「最高だな!」
初めてマサキの中でグリーンが"博士の孫"から、個人として認識された瞬間だった。
***
最近めっきりグリーンが遊びに来なくなった。何かあったのかと心配だが、オーキドとはそれをわざわざ聞けるほどの仲でもない。あくまでビジネスライクな関係なのだ。
ある日、オーキド研究所の定期メンテナンスを終えたマサキはすぐに帰らずこっそりとグリーンの様子を伺うことにした。
姉とともに家から出てきたグリーンは、楽しそうな表情でまっすぐ隣の家に向かった。姉にインターホンを押してもらい、玄関の扉が開かれた瞬間に「遊ぼーぜ!!」と声をあげる。どうやら例の子と仲良くなれたみたいだ。
つまりは同い年の友達と遊ぶのに夢中で、マサキのことは二の次になったというわけだ。
──うん。子どもってそういうもんやんな。分かっとった。分かっとったで。
マサキという存在のおかげで心に余裕が出来て、仲の良い友達が出来たのなら喜ばしいことじゃないか。
一抹の寂しさを感じながらも、マサキは緑が薫るマサラタウンを後にしたのだった。
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