いぞんごころ #2
シロガネ山の洞窟を出ると、近くの川にゴールドが立っていた。
声をかけようと近づくと、ゴールドはオレを一切見ずに「負けた」と叫んだ。
「トキワのジムリーダーに、負けるなって言われたけど、負けた!」
「え、ああ……」
「レッドとかいう奴に負けた! でも! 絶対次は勝つ!! んでもって、トキワのジムリーダーに会って、嫌がらせにベタベタしてやる!」
何を言ってるんだこいつは?
「おい──」
「約束しちゃったから、勝つまでは会わないけど、それまでに──トキワのジムリーダーも強くなっとけよ!」
そう叫んで走っていってしまった。
オレのことを一切見ずに、まるでオレが居ないかのように。
ああ、だから、嫌なんだってば。この感覚は。
相変わらず定期的にジムをサボって、オレは出来る限りポケモンを鍛えていた。
さすがに今日はここで引き上げようかと、ジムに戻っている途中、トキワの片隅で何やら怪しいやつに子ども達が絡まれているのを見つけた。
「さっさとポケモンよこしな!」
ロケット団の残党──いや、模倣犯?
黒服の男に迫られた子どもたちが泣きそうに震えている。
「サンドパン! みだれひっかき!」
男に向かってボールを投げれば、出てきたサンドパンが男を引っ掻く。
「お前ら逃げろ!」
男が怯んだ隙に子どもたちに声をかければ、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。それを確認して、オレは男に向き直った。
「おい、お前──」
「す、すみませんでした!! これで許してください!」
目的を問いただそうとしたところで、慌てた男がオレに札束を押し付けてきた。
「なっ──いらねぇよこんなもん!」
突き返したお金を男が無言で受け取った瞬間、どこかで何かが光った気がした。それに気を取られているうちに男は全力で逃げ去っていく。
一瞬の出来事に呆気に取られていると、近くの茂みからガサガサっと何かが離れていく音が聞こえた。仲間がいたんだろうか。
どうしようもないままオレは、何だったんだと疑問に思いつつもジムへと戻った。
それから数日後の朝のこと。
ジムに立ってみたものの、全く挑戦者が来ない。昨日は一人も来なかった。今日はもういいか、とポケモンを鍛えるためジムを出ようと足を動かしかけた瞬間、ジムの扉が開かれた。
挑戦者かと身構えると、そこに立っていたのは三年前にジムリーダーの斡旋をしてくれた男──ワタルだった。
ワタルはオレの目の前まで来ると、強張った表情でオレを見下ろし、ゆっくりと口を開けた。
「──本当に、残念だ」
「⋯⋯何が」
「君に、ジムリーダーを辞めてもらわなければいけなくなった」
「なんだって?」
流石にサボりすぎたか? でもそんなの今更だ。そもそも挑戦者だってあまり来ないし、最強のジムリーダーがいるという事実だけで今のトキワシティには充分じゃないか。
「君が悪人に金を渡して自作自演をしていると、街中の噂だ」
「──はあ!? してねーよそんなこと!」
「俺も庇ってやりたいんだが⋯⋯こんな写真が出回っちゃね」
見せられた写真は、確かにオレが黒服の男に金を渡している写真だった。
──あの時だ。
あの時の男は挙動不審だった。あいつの狙いは子どもたちのポケモンじゃなくて、オレだったのか。一瞬の光はカメラだったんだろう。嫌な汗が身体を伝う。
「違う! これは、ちが──」
「解っている。解っているよ。恐らく嵌められたんだろう。何が目的かは知らないが。だが、もう君をジムリーダーから降ろすと市民の意見が一致してしまったんだ。君は普段からもジムをサボっているし、俺じゃ説得しきれなかった。それにこのままリーダーを続けようとしても、かなり居づらいだろう?」
街中のやつらが、オレが居なくなることを、望んでいる?
オレの三年間は全部無駄になるのか?
心臓がバクバクとうるさい。足元がぐらぐらと崩れていくようだ。今日はこんなに寒かっただろうか。
「もしマサラタウンに戻りづらいなら、しばらくは俺のとこに来るかい? 大丈夫だ、必ず犯人を見つけ出して、君の汚名は晴らしてみせるよ。それに、俺が勧めておいてなんだが、ジムリーダーに拘る必要はない。世界は君が思っているほど狭くはないんだ」
ワタルの口が動いているが、オレには何も聞こえなかった。頭がガンガンして、耳鳴りが酷くて、もはや自分が今、立っているのか歩いているのか倒れているのかも解らない。
ワタルに何かを言った気がするが、ぶつぶつと視界が暗くなっていって、そこからの記憶はもう無かった。
***
オレはシロガネ山の最奥のレッドの元へ訪れていた。
気がついたら、ここに来ていた。
レッドが振り返ってオレを認識すると、ふわりと笑う。
こいつは昔と比べてよく笑うようになった。
「あれ、グリーン──仕事はどうしたの?」
「⋯⋯なくなった」
オレは灯りに誘われるかのように、ふらふらとレッドの元まで歩いていく。
「全部、無くなった。オレ、もう、何も、無くなっちま──」
「僕がいるよ」
レッドは足元の覚束ないオレを受け止めるように、抱きしめた。
「僕は君を独りにしない。世界中が敵になったって、僕は君の味方だ」
優しく耳元に吹き込まれるその言葉は、腹の底で冷えて固まった何かを溶かしていく。
「レッド、オレ──」
「大丈夫、ここなら君の見たくないものも、嫌なものも何も無い。僕がずっとそばにいてあげる」
「うん──」
震える手を恐る恐るレッドの背中に回して縋り付くようにすると、レッドはオレの背中を優しく撫でた。
誰かに依存なんて、したくなかったけど。
もう、オレには。
オレにはこいつしか──
***
ある日、ゴールドはレッドに再挑戦すべくシロガネ山を訪れていた。
──今度こそ絶対に勝ってやる。
あんなに負けて嫌な気持ちになったのは初めてだった。
前回レッドとバトルしたときのことを思い出す。
大きな山肌の前に潜むトレーナー。
振り向いたその男は、まるで笑顔なんて知らないんじゃないかってくらいに冷たい眼差しをしていた。
「へー! まさかトレーナーがいるとは思わなかった。あんたも腕試し?」
ゴールドは笑って声を掛けたが、相手は何も返事をしないどころかぴくりとも動かない。
「少しは反応しろよ。⋯⋯あんたってカントー人? 言っとくけどボクは強いよ。なんたって、カントー最強って言われるグリーンってやつを倒したんだからさ!」
「⋯⋯グリーン?」
ようやく反応した。トキワのジムリーダーと知り合いなんだろうか。
「そうそう! 今やこのボクがジョウトとカントー最強のトレーナー! ってね」
「君がグリーンを倒した? ──嘘つき」
「はあ? 嘘じゃないし」
「ならバトルしよう」
「上等!」
さっそくボールからポケモンを繰り出そうとすると、手で制される。
「もし僕が勝ったら──グリーンには今後一切関わるな。名前も二度と呼ぶな」
「⋯⋯何でそんな約束しなきゃいけないわけ?」
「負けると解ってる勝負の条件は飲み込めない?」
「⋯⋯じゃ、ボクが勝ったらあんたがグリーンと関わるなよ」
正直ゴールドにとって何のメリットもない条件ではあるが、このムカつくトレーナーはトキワのジムリーダーに何かしら執着しているらしいので、ただの嫌がらせだ。
相手は、「別にいいよ。ありえないから」と一ミリも負ける可能性を予想していないようで、腹が立った。その表情を絶望に塗り替えてやろうと思った。だが。
結果はゴールドの負けだった。
「くそ! こんなやつに⋯⋯!」
「約束覚えてるよね」
「⋯⋯解ってるよ。なあ、あんた名前は?」
「レッド。──別に覚えなくていい」
「いーや覚えたね! レッド! 次は絶対にあんたを倒してやる! そしたらこの約束は反故だ!」
レッドはもうこちらを見なかった。吠えるゴールドの言葉なんて興味ないようだ。悔しさに耐えながらゴールドは山を下りた。
これが大体一ヶ月ほど前の出来事だ。
それからゴールドはずっと竜の穴と呼ばれる場所に籠もって修行をしていた。かなりポケモンたちも強くなったし、ようやくあの鉄仮面を剥ぎ取ることができるはずだ。道中の野生のポケモンもあっさりと倒して見せて、奥へ奥へと進んでいく。
そしてレッドが立っていたシロガネ山の最奥にたどり着き、ゴールドは目を見開いた。
そこには二人の男がこちらに背を向けて立っていた。
どちらも知っている人物だ。
「なんであんたがここに居るんだ? ──グリーン!」
叫ぶと二人はこちらを向いた。相変わらず氷みたいな表情をしたレッドと、意地悪く口を歪めて笑う、トキワのジムリーダーであるはずのグリーン。思わず名前を呼んでしまったゴールドを咎めるようにレッドの目が細められる。
「おっ来たな、強そうなトレーナー! ちょうど暇してたんだよ、なあレッド」
「だから! なんでジムリーダーのお前がここに立ってんの! いつものサボり? 本当そういうの挑戦者にとって迷惑──」
「ジムリーダー? 何言ってるんだ? つーかさっきから馴れ馴れしいな⋯⋯お前オレと知り合いだっけ?」
余りのことにゴールドは固まった。
本当に覚えてないかのような口振りだ。
はっとしてさらに言い募ろうと口を開きかけたところで、レッドの「グリーン」と呼びかける声に遮られた。グリーンはちらっとレッドを見て、そうだな、と頷いた。
「よく解んねぇけど、トレーナーが集まったらやることは一つだろ? さっさと始めようぜ! 二対二のバトルでもいいし、シングルならオレかレッドのどっちと戦うか選べ! ──もちろんオレを選ぶよなぁ?」
ゴールドは──
目の前が真っ白になった。
シロガネ山の最奥には、恐ろしく強い二人のトレーナーがいるらしい。
それは、失踪したかつてのチャンピオンによく似ていて、強さを追い求め成仏できない亡霊なのではないかと真しやかに囁かれていた。
そしてその二人に打ち勝てたトレーナーは、まだいない。
→こいごころ(R18ページに収納)
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