ヒビグリ - BAD ED

※作中の自白剤の効果は想像です。脳の機能を低下させる、朦朧とさせるものとして書いています。




*******


「グリーンさんが、レッドさんの番号を消すんですか? 本当に?」

「ああ! 男に二言はないぜ」


ヒビキは暫く黙り込んだ後、なおも質問を繰り返す。


「それって、レッドさんと縁を切るってことでいいんですか?」

「あ、ああ」


ここで否定してしまっては意味がない。仕方ないので肯定すると、ヒビキは横向きになってる俺の肩をベッドに縫い付けるように強く押して、仰向けにした俺の目を覗き込むように顔を近づけた。



「嘘ですよね」



先程までの笑顔が抜け落ちたかのように無表情になりじっと目を見開いて俺を見つめる。ピリついた部屋の空気に口の中が少しずつ乾いていく。


「な、なんで」

「グリーンさんが、そんな軽いノリでレッドさんとの縁を切るわけない。それくらい僕でも解りますよ。それに、確かにレッドさんは滅多に下山しないけど、突然ポケギアからグリーンさんの番号が消えたら心配して下りてくるかもしれない。だから番号は消さなくていいです。あの人ってきっと滅多に電話掛けて来ないんじゃないですか? 消すより無視したほうが時間も稼げますし」


思った以上に頭が回る。さすがチャンピオンにまで上り詰めて、ジョウトとカントーを制覇した男というべきか。普段は全然そんな風に見えないのに。言い訳を考えているとヒビキは花が咲くように微笑んだ。


「今はレッドさんのこと忘れられなくてもそれでいいです。すぐに僕がグリーンさんの中の一番になりますから」


拘束を解く気は微塵も無いようだ。



退路は絶たれた。




***


グリーンさんが一向に食事を拒否するので、仕方なく僕は最低限の医療を勉強して、注射で栄養剤を投与することにした。


トイレに行きたくなったら教えてくださいね、と伝えたのに、グリーンさんは自分から絶対に云おうとしない。時間を決めて定期的に、暴れるグリーンさんを何とか抑えながら尿便を使って出させているけど、頻度がよく分からないので無理をさせていないか心配だ。


ポケモンと比べて、人間って世話が大変なんだなぁ、と最近会っていない母の偉大さが身にしみた。


「ただいまー。グリーンさん良い子にしてました?」

買い物を終えて家に帰りグリーンさんの元へ行くと、決まってグリーンさんは怖い顔と罵倒で僕を迎える。


「おまえっ! いい加減にしろよ! ふざけんな!! 俺はペットじゃねぇんだよ! はずせよ!!」


世話をする際たまに手足の拘束を取るときがあるので、逃げないよう最近黒のかっこいい首輪をつけたものの、かなりお気に召さなかったらしい。やっぱり緑の方が良かったんだろうか。本当は健康のためにも適度な運動をさせてあげたいのに、手足を縛られ首輪をベッドに繋げられていてもなお暴れるものだから、未だに拘束を解いてあげることができなかった。


最初の頃はまだ優しく声をかけてくれていたのに、一度下の世話をしてからというものずっとこの調子だ。照れ隠しと解っていても、やっぱりこんな態度を取られ続けたらさすがの僕も傷つく。


だから今日は、多少強引にでもグリーンさんに素直になってもらうことにした。


とある筋から手にいれた自白剤を注射器に流し込んでいく。いつもと明らかに違う容器に入った薬液。それを見たグリーンさんが、少しだけ怯えを滲ませながら僕を睨みつける。


「なんだよそれ⋯⋯何する気だよ。お前が何したって、俺は絶対に、お前には屈しな──」

「危ないんでじっとしててくださいね」


グリーンさんの服を無理やり肩から剥ぐようにして、腕に消毒液を塗る。グリーンさんは黙り込んで、だんだんと顔を青くさせながら針から目をそらして壁をじっと見つめ始めた。毒とでも思ってるんだろうか。


身体の力が抜けて少し目が虚ろになったことを確認して、僕はとりあえず簡単な質問から始めることにした。壁にもたれかかるようにベッドに座らせる。


「グリーンさんが最初に捕まえたポケモンってなんですか?」

「ポッポ⋯⋯」

「へー!その子が今のピジョットなんですね。一番可愛がってましたもんね。どこで捕まえたんですか?」

「マサラタウンとトキワの間の道⋯⋯」


あんなに怒っていたのに素直に質問に答えていくところを見る限り、ちゃんと薬は効いてるようだ。


「そうだなぁ──ワタルさんのことどう思ってます?」

「四天王の大将やってた頃は尖ってたけど、チャンピオンに就いてから丸くなったな⋯⋯。ジムリーダーの斡旋もしてくれて、割と感謝してる⋯⋯」

「ふんふん。ナナミさんは?」

「ねえちゃんは、俺のせいで、自由に遊んだりできなかっただろうから、今度は俺が楽させてやりたい⋯⋯」

「⋯⋯ナナミさんはグリーンさんが幸せなら幸せですよ!」


ナナミさんにはグリーンさんの代わりに時々メールで元気にやっていると送っているので、少なくとも心配で心を痛めることは無いはずだ。姉に恩返ししたいんだろうけど、それを許すことは出来ないので諦めてもらう他ない。


「じゃあ、レッドさんのことはどう思ってますか?」


かなり気になっていた質問だ。正直なところ二人の関係がただの友人なのかとても疑わしい。レッドというワードに反応したグリーンさんは、虚ろだった目を少し鋭くさせた。


「レッド⋯⋯レッド! あいつには絶対負けねぇ、あいつは俺が! 必ず倒してやる!」

どうやらライバル意識が最も心を占めている感情らしい。


「よかった恋愛感情は無いんですね! ていうか、もしかして嫌いなんですか?」

「嫌いだ。じいさんに気に入られてるとこも、俺から全部奪ったとこも、黙ってどっかいっちまったとこも。でも憎んでるわけじゃない。レッド自身は好きなんだ。むしろ一番嫌いなのは、そんなことで嫉妬してる自分自身だ。レッドと遊ぶのもバトルするのも好きだったし、それにあいつは、俺の一番大事な──」

「分かりましたもういいです。大事な幼馴染ですもんね。グリーンさんって意外と家族思いというか身内思いというか──そういうところも好きだなぁ」


あんまり他の男の話を長々と話されても気に食わないので、僕はさっさと切り上げ大本命の質問を投げかけることにした。


「僕のことはどう思ってますか?」

「怖い」


あれ?


「──違うだろ。何云ってるんですか? ああ、グリーンさんにはこのくらいの薬じゃ効かないのか」

グリーンさんの天邪鬼とツンデレっぷりは、この程度の自白剤じゃ崩せないようだ。注射器にもう一度流し込んで、彼の腕へと手を伸ばす。

「やだ、嫌いだ、お前なんて嫌いだ。頭おかしいよお前。こっち来んな、来んなって、来んなよ!!」

「万が一廃人になっちゃっても僕が面倒見るんで安心してくださいね」




***


結果はまあ、失敗だった。


「なあヒビキ知ってるか? 昔はピンチになっても小さくならないポケモンじゃない生物が世の中にたくさん居たんだけど突然変異でその生物はどんどんポケモンに取って代わられていったんだよだからいつか人間もそのうちポケモンに成り代わって絶滅してくんだその証拠にこんな話もあって──」


グリーンさんは質問してもいないことを脈絡なく話し始めたり、意味のなさない言葉の羅列を並べるだけだったり、明らかに嘘と判るような荒唐無稽なことを喋ったりと、完全に壊れてしまった。

でも僕を否定するようなことは云わなくなったので、その点では成功と云ってもいいかもしれない。


時間が経つと今度は人格が崩壊していって、まるで子どものようになった。可愛いしとても世話がしやすくなったから、自白剤を投与した後悔は無くなった。「ひびきー、おなかすいた」というグリーンさんに、ようやく美味しいものを食べさせてあげられるようになって嬉しいばかりだ。


ある朝、グリーンさんと一緒のベッドで眠っていた僕は、身体の自由が効かないことに気づいた。目を開けるとグリーンさんががっちりと僕にしがみついている。最近はおとなしいので、昨日初めて手の拘束を解いてあげていたのだ。


「おはよ、ひびき」

人格が崩壊してからずっと溶けたような笑顔を見せていたグリーンさんだったが、少し目に強さが戻っているような、そんな気がした。でもそんな違いなんてどうでも良かった。グリーンさんに抱きしめられて目覚めるなんて、なんて幸せな朝だろう!


まだ僕は成長途中なので、力はグリーンさんの方が強い。だから抜け出すことは叶わない。抜け出そうとも思わないけど。本当は朝ごはんを用意しなくてはいけないのだが、別に一生このままでも構わないと思った。


そして実際、グリーンさんが僕を離すことはなかった。

数時間経った頃、さすがにグリーンさんもお腹が空いただろう、と声をかけようとしたら、グリーンさんに遮られてしまった。


「ひびき、おまえオレのこと、だいすきなんだな。オレもだいすきだよ。にくいくらいに。だから、とくべつに、このオレさまが──お前と一緒に死んでやるよ」


グリーンさんが僕を好きだと云ってくれた。


グリーンさんが僕を好きだと云ってくれた!

それだけで僕の脳内は多幸感に満たされる。

この人が望むなら、ご飯を作る必要なんてもうない。




グリーンさんが抱きついてからかれこれ三日が経つ。

酷く喉が乾いた。暑くて頭が痛くて意識が朦朧とする。まるで現実感が無い。

少し身じろぎすると、グリーンさんの腕の力がちょっとだけ強まる。この人も限界が近づいているだろうに。身体が震えていて、息も苦しそうだ。


ヒビキ、とグリーンさんの掠れた声が部屋に染み込んだ。



「──俺から逃げられると思うなよ」



久しく聞いていなかった、意志のこもった声。

その言葉は電流となって、僕の身体を駆け巡っていく。

ドクドクと心臓が高鳴る。


──俺から逃げられると思うなよ。



ああ、なんて素敵な殺し文句!


抱きしめ返したいのに、僕にはもうその力が残っていない。

それだけが唯一の心残りだった。



最期に聞いたその言葉を、僕はきっと何度生まれ変わっても忘れない。




マサグリ - 平穏ED


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