第5話:ワタグリ編
「さ、背に乗って!」
「恩に着るぜ!」
助けに来てくれたのはワタルだった。おそらくマサキが呼んでくれたんだろう。というかこいつ、まさかとは思うが俺を探すのが面倒くさくて適当に破壊光線ぶっぱなした訳じゃないよな?
カイリューの背に乗ってしまうと距離的にワタルもおかしくなってしまうので、俺は咄嗟に尻尾に捕まろうとした。
「!? そんなとこじゃ危ないだろう!」
ワタルは俺の腕を掴んで無理やりカイリューの背中──自分の手前に俺を引っ張った。そのままぐんぐん降下していく。
せっかく、せっかく俺が機転を利かせたのに! マサキから事情を聞いていたんじゃなかったのか?
「わ、ワタル⋯⋯マサキに頼まれて助けに来てくれたんだと思うんだけどさ、俺に近づいたらやべぇって言われなかったか⋯⋯? 変な薬被っちゃって匂い嗅いだやつ皆おかしくなるんだけど?」
「そうなのかい? 俺にはなんともないみたいだよ。もう効果が切れてしまったんじゃないかな」
「え、そ、そうなのか? ──はあああ、良かった⋯⋯」
じゃあ後はあの二人の薬の効果が切れるのを待つばかりという訳だ。一気に安堵が広がって、どっと疲れが押し寄せてきた。
「にしてもそれでヒビキくんの様子がおかしかったのか。先程のレッドくんもいつもと違うようだったし──とりあえず一旦避難しよう。隠れるのに丁度いい場所があるんだ」
そう言ってワタルは安心させるように微笑んだ。
さすがワタル、俺より弱いくせに頼りになるぜ! なんて言ったら冗談でも振り落とされかねないので黙っておく。
恐る恐るシロガネ山を振り返ってみたが、もう随分遠くなっていて、レッドの様子は分からなかった。
カイリューが目指す方向はどうやらフスベシティのようだ。
***
龍の穴、と呼ばれる洞窟へ入り、その奥の古めかしい祠に入ると、ワタルは何やら床を探り始めた。するとゴゴゴという音と共に隠し階段が現れる。
「こっちだ」
「隠し部屋か? なんかワクワクするぜ!」
ランプを持ったワタルに続いて俺も階段を降りていく。ランプ以外の明かりは一切なく埃っぽい。随分使われていないようだ。コツ、コツと二人分の足音が響いていく。
「ここはね、大昔に使われていた懲罰房なんだ。まあ、簡単に言うと悪いやつを閉じ込めて懲らしめる部屋だね。もちろん今は使われていないし、ここの存在を知っているのもごく一部だ」
「フスベにもそういう歴史があったんだな」
階段を降りると歪な形をした牢屋があった。ワタルが壁のボタンを押すと換気扇が回るような音がし始める。階段付近の蝋燭に火を付けると、少しだけ明るくなる。
緊急事態とはいえ、さすがに少し抵抗あるな。初めて見る牢屋を珍しく思って眺めていると、トン、と背中を押され中へ入れられる。
ガチャン。
思わず転けそうになったのをなんとか踏ん張って、文句を言おうと振り返る前に不吉な音が聞こえてきた。気の所為であってくれと願いながらゆっくり振り返ると、逆光で表情の読めないワタルが格子越しにこちらを見つめていた。
「懐かしいな。チャンピオン戦でレッドくんに負けたあと、君は小さく震えていたね。それでも涙は零さなかった。君は誰かに弱みを見せるのが苦手なんだろう? でも、もう大丈夫だ。ここには俺以外誰も来ない。君を傷つけるものは何もない。危険で攻撃的なこの世界から、君を守ってやれる」
さっきこいつ薬の効果切れたんじゃないかって言ってたよな?
──がっつり効いてるじゃねーか! 騙された!
「だ、出せよ!!」
格子を掴んで訴える。
「君はあんな目に遭ってもまだ外に出たいと思うのかい? 二人に何をされるかも解らないのに」
「あれは薬のせいで⋯⋯」
「本当に?」
「は?」
薬以外に何があるんだと言うんだろうか。ワタルは少し腰を落として、俺と目線を合わせた。
「人がおかしくなる薬。そんなに強力ならもっと範囲が広いはずなんじゃないか? あの二人の行動は本当に薬によるものなんだろうか?」
「そ、その辺はつっこんじゃいけねーとこじゃねぇの⋯⋯実際明らかにおかしくなってるし⋯⋯」
「薬のせいであって欲しいという君の願望じゃないのかい」
「そんなこと⋯⋯」
「まあいい。時間はたっぷりあるからね。君にとってこの世界がどれほど残酷かじっくり教えてあげようじゃないか。大丈夫、すぐにここにいる方が幸せだと思えるようになる」
格子を掴んでいる俺の手を優しく撫でた後、そう言ってマントを翻し去っていってしまった。
これじっくり時間かけて洗脳してやるってことだよな。というか俺って新旧チャンピオン三人誑かしてるんだな今。恐ろしい。いや俺も元チャンピオンだけど。
どうしようどうしようと、どうしようもないのに俺はひたすら牢屋の中をウロウロする。
大声で叫べば誰か気づいてくれるだろうか? ポケモンの技で扉を壊すという手もあるが、何せここは地下のさらに地下。上は地底湖。暴れて万が一のことがあったら溺死しかねない。
牢屋にはトイレと恐らく壊れているだろう旧型の監視カメラがあるだけだ。穴を掘ろうにも床はコンクリートのようなもので固められている。そもそもここは懲罰房なんだから、脱出する手段なんてあるはずもない。
悩んでいると、階段からコツコツと足音が聞こえてきた。ワタルが戻ってきたんだろうか? なんとかしてここから出してくれるよう説得できないだろうか。
「ワタルがこそこそしてると思ったら⋯⋯これは一体どういう状況?」
「おまえは⋯⋯イブキ!」
フスベのジムリーダーを務めている女だ。あまり話したことはないが何となく彼女には親近感を感じていた。水色のぴったりとした露出の高いボディスーツと黒いマントという、相変わらず可笑しいんだか一周回ってお洒落なんだかよく分からない格好をしている。
「ちょっと色々あってな⋯⋯皆おかしくなっちまってるんだ。後でちゃんと説明するから、一旦出してくれないか?」
「いいわよ。その為に来たんだから」
ガチャリと扉が開かれる。今まで散々油断して人を近づけてしまっていたので、流石に学んだ俺はイブキが近づこうとしたのを手で制止した。
「あ、俺に近づくんじゃねぇぞ。詳細は省くけど変な薬品被っちまってその匂いのせいで皆おかしくなるんだ」
「何よそれ。どこまでなら近づいてもいいの?」
「分かんねぇ⋯⋯1~2メートル離れてりゃ大丈夫だと思うけど」
「呆れた。ワタルもこんな奴のどこがいいのかしら」
「だから薬のせいなんだって」
イブキはワタルとどういう関係なんだろうか? ジョウトの人間関係はあまりよく知らない。ただイブキはワタルに対して好意を持っていそうな気がする。ワタルを助けるためとか言えば協力してもらえるかもしれない。
「じゃあ私は端に寄っておくからさっさと──」
そう言いかけたイブキは唐突にきゃああああっと悲鳴をあげた。思い切り俺の腕にしがみついてくる。そのギャップと柔らかさに平素ならドキマギしてしまったかもしれないが、俺はただ顔を青くさせた。
一体何に悲鳴を上げたのかと視線の先に目をやると、小さな虫がそこにいた。
ポケモンですらないその存在により俺の命は無くなるのかもしれないと思うとやるせない気持ちになった。ピジョットに食べさせようかと思ったが身動きが取れないので、とりあえず抱きつかれたままそれを足で追い払い牢屋の隅の方へ隠れされると、イブキははぁぁと息を吐いた。
「取り乱して悪かったわね⋯⋯もう大丈夫よ」
「ああ⋯⋯」
イブキは俺の腕を解放した後、俺をじっと見つめたかと思うと急に首を締めてきた。
やっぱりな!
「く、苦し⋯⋯」
「おかしいわね、何だか急に貴方が欲しくなってきた。貴方を殺せばワタルはきっと私だけ見てくれるわよね⋯⋯」
何だかややこしいことになっている。
あまり女性に乱暴を働きたくないが、状況が状況だ。俺はイブキを思い切り突き飛ばして牢屋から出た。階段を全速力で駆け上がる。ギャラドスに超特急で地底湖を渡ってもらい、洞窟から出て即ピジョットを繰り出しマサキの元へ向かった。
イブキが追いかけてくる気配はない。怪我させてないといいが⋯⋯。
とにもかくにも、今は自分の命が最優先だ。
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