第3話:レグリ編
「フシギバナ! ハードプラント!」
何故か隣からよく聞きなれた声がして驚いて顔を向けると、そこにはリザードンにまたがったレッドがいた。
下を見るとフシギバナの技によりヒビキのデンリュウは戦闘不能になっている。ヒビキはこちらをまっすぐに睨みつけている。多分ヒビキの中で俺は大嘘つき野郎になっているに違いない。
「この遊び、危ないと思う」
一瞬だけ低空飛行してフシギバナをボールに戻したレッドは相変わらずの無表情で、そんなとんちんかんなことを呟いた。
「これが遊びに見えるか?」
「⋯⋯⋯⋯」
天然、というよりヒビキがこんな行動に出るのが信じられないんだろう。レッドは黙り込んだ。
「説明している時間はねぇ! とにかく今は逃げねぇと──」
「カモネギ! かぜおこし!」
「うわぁ!?」
既にヒビキは次のポケモンを繰り出していたようだ。
あいつやりやがった! かみなりよか多少ましかもしれないが威力倍増した風攻撃はさすがにきつい。必死にピジョットにしがみつくが目が回りそうだ。
「こっち」
風が収まってから傷薬をこちらに投げたレッドはそのままシロガネ山の上へと向かった。この山のことはレッドの方がよく知っているだろう。俺はぐわんぐわんとする頭を抑えながら後へと続いた。
***
シロガネ山の、どこだか分からない洞窟へと辿り着く。
「ここはまだ誰も来たことないし安全⋯⋯多分」
「た、たすかった⋯⋯」
カバンをその辺に放った時、先ほどの余波で思わずよろめいたのをレッドが咄嗟に支えてくれた。
────あ。
「おおおお俺に近づくんじゃねぇ!!!」
すぐにレッドを突き飛ばしたが、ヒビキの件を考えると恐らくもう遅い。薬が効かないことを祈るばかりだ。ヒビキだからなんとか誤魔化せたが、レッドが相手となると難易度は一気に上がってしまう。こいつとは幼い頃から一緒に育った。俺はレッドほどポーカーフェイスではないので、少しの仕草や表情から考えが読まれる可能性がある。
「⋯⋯⋯⋯」
レッドは心配したのに突き飛ばしてきた俺を睨みつけた。
「──あ、悪い、いや、これには理由があるんだよ。いま俺に近づくと、なんかやばいらしくて、ヒビキの様子がおかしかったのもそれが原因なんだ」
強烈なメロメロ薬かぶっちゃって誰かれ構わず危険なレベルに惚れさせてしまうみたいだ、とはさすがに言いづらく、ふわふわとした説明で誤魔化した。
「⋯⋯⋯⋯ふーん」
不貞腐れた様子のレッドはそのまま洞窟の奥へ行き、リザードンの火で焚火を起こした。少し怒ってはいるみたいだが、別段普段と変わらないような気がした。
「レッド? 何んともないのか⋯⋯?」
「別に」
「そ、そうか⋯⋯!」
そうだ。レッドはこんなロッククライム必須なところに三年も篭っている野生児みたいなやつだ。もしかしたら耐性があるのかもしれない。しかし油断は禁物だ。一応できる限り近づかないように入り口の方へ寄っておこう。
「そんなとこいたらバレる」
しかしレッドにその行動を非難され奥へと連れ戻された。「近づくとおかしくなるんだって言ってるだろ!」と抗議しても知らんぷりだ。洞窟は狭く丸い空間になっており、その一番奥へと俺を引きずったレッドは、壁を背もたれにするように座らせた。
「別に君が相手なら」
そして被っていた帽子を投げ捨てて、
膝に乗り上げるようにして、
顔のすぐ横に手をついて、
もう片方の手で胸倉を掴み上げるようにして───
「おかしくなってもいい」
顔が触れるか触れないかの距離で小さく囁いた。
俺は確信した。
既におかしくなってるじゃねぇか!!!!
***
「君の青空に映える髪が好き」
首から撫で上げるように髪に指を差し込まれる。
相変わらずの無表情だったが、その瞳には熱が帯びていた。
「君の闘志に燃える瞳が好き。君の折れない強い心が好き。君の堂々としてて、だけど時々寂しさをにじませた声が好き。君のポケモンを優しくなでる手が好き。君の立ち向かおうとする姿勢が好き。君の──」
「太陽みたいな笑顔が好き。全部──壊してぐちゃぐちゃにしたいくらいに」
それ嫌いってことじゃねぇの?
突然始まった謎のポエムに一瞬思考が止まりかけたが、なんとかその間にざっくりと作戦を練ることができた。ちくしょう、身の危険がなければ内容覚えてあとで散々からかってやったのに……。
なんだっけ、オレの頭が太陽みたいだっけ? ハゲてるみてぇじゃん。
まず、ヒビキの効果が切れるまでできる限り時間を稼ぐ。一過性がどのくらいを指すのか解らないが、上手く逃げ出したところでレッドとヒビキに追いかけられちゃ分が悪い。少しでも生存率を上げるためだ。
次に、マサキに助けを求める。ポケギアが入ったカバンはここから洞窟の入口までの中間くらいだ。隙をついてダッシュでカバンを掴み逃げるのは流石に危険。ホルダーは腰に着けたままなのでポケモンはいつでも出せるのだが、手を伸ばした瞬間にレッドに気づかれるだろう。だから何とかして気づかれないように救援信号を送る。どうすればいいか?
ポケギアの番号登録だ。
誤って消してしまったから再登録したいといいポケギアを操作する時にマサキにショートメールを送る。レッドは機械音痴なので全て俺任せにするはずだ。うん。完璧な作戦。
まずは時間稼ぎからだな。
「レッド」
「なに?」
「⋯⋯縛るとかはなしな」
嘘は通じないだろうから取り合えず思ってることをそのまま吐き出す。
「そんなことしない」
その答えに俺はほっとした。縛られたときのあの不安はもう味わいたくないし、手足の自由が効けば助かる見込みは高い。そんなことを思っているとレッドは俺の片足を持ち上げて──膝の裏を撫でた。
「ここ切っちゃえばいいんだから」
あ、これヒビキより質悪い奴だ。血の気が引いていくのを感じる。
「よっぽどのことがない限りしないけど」
つまり選択肢を間違えれば最悪なBAD ENDが待ち構えているということだな。よく解った。現実逃避によりもはや完全に思考が他人ごとになりつつある。
「ああでも、君はいっつも僕を置いて先に行きたがるよね。ほっといたらまたどっか行っちゃうかな? やっぱり切った方がいいか⋯⋯」
既に選択肢を間違えてしまっていたようだ。旅に出た頃まで戻らなければ。
「それに君はトレーナーだから足が無くとも誰かと目が合えばバトルをするよね。それって嫌だな。すごく嫌だ。君が僕以外を見るなんて。よし、君の目も潰そう」
リセットボタン!人生リセットボタンはどこだ!?
ああ、神様ルギア様ホウオウ様、もう人の心を弄んだりしないから許してください──あ、駄目だ。両方ヒビキのポケモンだ。
いやこいつがここまで饒舌なの見たことねぇし発想が怖ぇよ。薬が恐ろしいだけなんだろうが、いつかこいつが誰かに恋したら全力で正しい方向へ導いてやった方がいいかもしれない。──俺が生きていれば。
瞼を撫でる指に思わず身体が震える。
「あれ、なんで震えてるの? 僕が怖い? そんな訳ないよね、僕と一緒にいられるならその程度の痛みどうってことないよね。君って僕のこと好きだもんね。何も言わなくていいよ解ってるから。君が素直な性格じゃないってことくらい。世界で一番君を理解しているのはこの僕だ」
俺のことなんてちっとも理解してないくせにそんなことを嘯く。とにかく作戦実行前に少しでもこいつの攻撃性を治めたい。生きるためだ、この際恥は捨てるんだ。
「レッド⋯⋯」
「うん?」
話を聞いてもらえるよう、服の裾を軽く引っ張ってこちらに気を引く。
「俺もさ⋯⋯お前のこと好きだからさ⋯⋯お前のこと見えなくなんのは嫌だよ⋯⋯つーか痛いのやだ無理」
「グリーン⋯⋯そうだね、一生ここから出なければいいだけの話だもんね。解った。君が逃げようとしない限りは優しくしてあげる」
よ、よし⋯⋯! 最後の方で思わず本音が出てしまったが、俺の足と目は守られた、のか? はは、こいつも案外ちょろいじゃねぇか。もう少し何か、時間稼ぎ出来るような話題はないだろうか。
思案していると、突然腰に冷たいものが触れた。
「ひあ!?」
レッドが俺の服に手を差し込んできている。手が冷たすぎて驚いて声を上げてしまった。何してんだよ! と抗議すると、レッドはきょとんと惚けた顔をした。
「何って⋯⋯僕は君が好きで、君も僕が好き。ならやることは一つだろ? もしかして分からない?」
分かりたくねーわ!
不味い。時間稼ぎとか言ってる場合じゃない。想像したくない方法で時間稼ぎはしたくない。そうこうしている内にどんどんレッドの手が侵入してくる。
「れれれれレッド!! あのさぁ!!」
「僕は掃除のおじさんじゃない」
「レレレのレじゃねぇよ。その前にさ、俺お前に言わなくちゃいけないことがあるんだよ」
何? とレッドの動きが止まる。助かった。予定より大分早いがもう作戦実行だ。
「ポケギアさ、誤ってお前の番号消しちゃったから登録し直したいんだけど」
消した、という事実にこいつがキレそうになったら全力で宥めすかそうと身構えていると、レッドは心底理解できないという風に首を傾げた。
「これからずっと一緒にいるのになんでポケギアが必要なの?」
────確かにな!!
やばいやばいやばい。作戦が全ておじゃんだ。どうしよう。そしてそんなタイミングでポケギアが鳴り響いた。マサキだろうか。でももう遅い。居場所を伝えることはもうできない。しばらくしてポケギアの音は鳴り止んだ。何か、何か他に手はないか──!?
焦っているとレッドが、ふふ、と小さく笑った。人の笑顔ってもっと安心を与えるものじゃなかったか?
「君が考えてること当てようか」
「いや、いい」
「どうやって僕を丸めこもうか考えてる」
バレてる。
耳元に吹き込まれるように囁かれたその言葉は恐怖のどん底に突き落とすには十分だ。
「旅してた頃みたいに自分が優位に立とうとしてる」
どうやら、どう逃げようか騙そうかと考えていることはバレていないようだ。全てこれから行われる行為への反抗だと思われてるらしい。そもそも俺にそんな気ねぇからな?
レッドは下から覗き込むようにぐっと顔を近づけた。その目は嘲るように細められ、腕を強く掴まれる。
「でもさ、いい加減素直になりなよ。本当はこうやって──僕に支配されたかったんだろ」
「なっ──!」
どごぉん!!
恐怖とか薬のこととか全部忘れて、思わずレッドの胸ぐらを掴もうとした瞬間、岩が破壊されたような音が洞窟に響き渡った。パラパラと崩れた砂が降ってくる。
「ヒビキかな? ──わっ」
レッドが外に気を逸らした瞬間に、思い切り突き飛ばして全力で洞窟の外へダッシュする。随分久しぶりのような気がする外の空気。そこにいたのは──
「やあ。無事で良かった」
「ワタル!?」
カイリューの背に乗った、ドラゴン使いのワタルだった。
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