第2話:ヒビグリ編

メロメロ薬とかいう巫山戯た名前の薬を被ってしまった俺は、人に近づかないよう注意しつつ、カントー地方を当てもなく歩いていた。どこかに効果を確かめやすい──そして揶揄いやすい──知り合いは居ないかと見渡していると、ちょうど草むらを歩いているヒビキを見つけた。


なんだこっちに来ていたのか。よし、最初の実験体はあいつだ。笑いをかみ殺しながらそうっと近づいて、俺はヒビキに後ろから抱き着いた。


「よーおヒビキ!」

「うわ! グリーンさん!?」


びくっと身体を跳ねさせたヒビキを一旦解放し、肩に手を回す。即効性と言っていたから、もう効き始めているはずだ。さあて、こいつはどんな醜態を見せてくれるかな。一過性と解っているから気楽なものだ。


「なんだよ、嫌だったか?」

そう尋ねるとヒビキは分かりやすいくらいに顔を赤くさせて、

「い、いやじゃないですけど⋯⋯」

と目を逸らして小さな声で呟いた。

なんだ、結構かわいい反応するじゃん。年上の女性にウケそうだ。


「ぐ、グリーンさんはどうしてここに?」

「え? ああ──マサキんとこ遊びにいった帰りなんだけど、折角だから散歩でもしようかと思ってさ」

嘘は言っていない。

「ふうん。マサキさんと知り合いだったんですね」

「じいさん繋がりでな。大人の中じゃ割と仲良いかな。あいつ面白いし」


一瞬でガスマスクを身に着けたマサキを思い出して笑う。それに対してヒビキは「へえ⋯⋯」と面白くなさそうな顔をした。


「でも、まさかお前に会えるとは思わなかったぜ。今日の俺はついてるな」


こんなレアで面白いものが見れるなんて本当に俺はついてる。

頭を撫でながらそう言ってウインクしてやると、ヒビキはさらに顔を赤くして口をパクパクさせた。分かりやすい。シロガネ山の誰かさんとは大違いだ。あいつは子供の頃に俺が無表情を崩そうとくすぐり攻撃を仕掛けたときも「は?」で終わったからな。あれはさすがに傷ついた。


「そ、それって、僕に会いたかったってことですか⋯⋯?」


もじもじしながらそんなことを聞くので、俺は最大限の笑顔を引き出して、

「ああ! 当たり前だろ? 俺お前のこと好きだもん」

と言ってやった。ヒビキはガーディなら今頃しっぽをばたばたさせていそうなくらいに嬉しそうだ。我ながら罪な男だぜ。でもどうせ薬が切れれば何も思わなくなって、せいぜい黒歴史と化すくらいだろうし、別に良いよな? 思っていたより素直な反応に少しだけ罪悪感が募る。


「グリーンさん、せっかくだしバトルしませんか?」


ヒビキは連れ歩いていたギザみみのピチューを戻して、ワタッコを繰り出した。こちらがまだ何も言っていないのにポケモンを繰り出すなんて、やる気まんまんだ。薬の効果もあるんだろうか? トレーナーとして相手をしてやりたいところだが、この薬がいつ切れてしまうか解らない。出来るだけ色んな奴に試して揶揄ってやりたい、という人でなしな思考に到達した。


「悪いけど、俺このあと用事があるんだよ、だから──」


断ろうとしたそのとき。

急激に猛烈な眠気が襲ってきた。唐突なその欲求に抗えず、俺は意識を手放した。




***


目が覚めるとどこかの一室のベッドの上にいた。ところどころ散らかっていて生活臭がする。寝室のようだ。腕が痛い。


痛む腕を確かめるため身じろぎしようとしたが動けない。頭が冴えていくと同時に血の気が引いていった。


手が、後ろ手に縛られている。足も同様だ。何んとか這って動けないかと試そうとしたが、キャタピーの方がまだしっかり動けるというくらい無様な動きしか出来なかったのでやめた。


一体何が──ヒビキは無事なんだろうか?


すると、部屋の扉が開き、まさに頭に浮かんでいた本人が現れた。


「ヒビキ! 無事だったか! なあ、このロープ──」

「グリーンさん」


ロープを外してくれ、と言いかけたところを遮られる。ヒビキはとろけたような、恋する乙女みたいな顔をしていて、まだ効能は切れていないようだ。惚れている相手を見捨てるようなことはしないだろう、そう思ったのだが。


「ここ、僕の家なんです。チャンピオンになってしばらくしてから僕、一人暮らし始めたんですよ。グリーンさん知らなかったでしょ。グリーンさんて、自分のこととかレッドさんのことばっかり話して、僕にちっとも興味持ってくれないんですもん⋯⋯」


えへへ、と笑うヒビキに背中に悪寒が走った。まさか。


「これ、縛ったの、おまえなのか」

「そうですよ? 他人にこんな事させるわけないじゃないですか」

あっさりと肯定されてしまった。


「グリーンさん起きたら混乱して暴れちゃうかもと思って。危ないから縛っておきました。グリーンさんに怪我させるわけにはいきませんし」

そう言ってベッドサイドに座り、俺の髪をさらりと梳いた。手も足も縛られて身動きが取れない俺は、ただ見上げることしかできない。


「僕こう見えて結構お金持ってるんです。美味しいご飯毎日食べさせてあげますからね。ちゃんとお世話してあげますから。寂しい思いだってさせません。だから──ずっとここにいてくれますよね?」

そういうヒビキの目は据わっていた。ごくりと唾を飲み込んで、混乱する頭をなんとか落ち着かせていく。


「⋯⋯俺のポケモンたちは?」

「ああ、グリーンさんが倒れた瞬間みんなびっくりして出てきちゃったので、ねむりごなで眠ってもらいました」

「六匹全員? あいつらが?」


確かにヒビキの実力はこう見えて遥かにレベルが高い。だが俺の相棒たちだって充分強いのに、あのワタッコ一匹で全てを眠らせたっていうのか? 到底信じられない。


「えっと、実はあの時二匹出してたんですよ。ずるじゃないですからね! 応えてくれたら二対二のバトルにしようと思ったんです。本当です。ワタッコのねむりごなと、カモネギのかぜおこしを組み合わせて、六匹全員に浴びせたんです。ポケモン捕まえるために連れていた二匹だったんですけど、ちょうどよかった。ね、なかなかテクニカルだと思いません?」


褒めて褒めてというかのように目をキラキラさせて説明してくれた。確かに咄嗟の判断でそこまでやってのけたのは凄い。だが、平然と人間相手に技を出すのは誰かの悪い影響としか思えない。

まあ、はかいこうせんとか、そういうシャレにならない攻撃技を人に打つなんてことはしないだろうが、ヒビキの将来が心配になった。



──まずい。非常にまずい。どうやら俺の予想をはるかに上回って危険な薬だったようだ。一過性と言っていたが、一体いつまでこれが続くのか⋯⋯。

マサキにきちんと確認しておくべきだった。いや、忠告をちゃんと聞くべきだった。後悔してももう遅い。今やれることはできるだけ相手を刺激しないことだ。


「そ、そうか、すごいなお前。ヒビキ、ちゃんと状況は分かったし、暴れないからさ、これ解いてくれないか?」

「えー? でもグリーンさん、用事があるんですよね? 解いたらどっか行っちゃうんでしょう? どこ行く気ですか? レッドさんのところ? レッドさんのところでしょ」


目を眇めて拒否を示すどころか、まるで俺が悪いかのように責め立てる。落ち着けグリーン。口先なら上手い方だろ。まずは何としてでもこのロープを解いてもらわねぇと。


「いや、おまえが居て欲しいっていうんなら、どこにも行かねぇよ。そうだ、バトルしようぜ。なんだか無性におまえと闘いたい。この格好じゃできねぇからさ、な、解いてくれよ」


一生のうちにここまで優しい声を出したことがあっただろうか? というくらいに、宥めるようにゆっくりと説得する。ヒビキはバトルというワードに揺れているようだ。


「──でも、レッドさんから連絡きたら、そっち優先するんでしょ」

かなりレッドに対して嫉妬を抱いているらしい。レッドと俺はまあ、長い付き合いで自他共に認めるライバルなわけで、そんなことないと説得するのは骨が折れそうだ。──仕方がない。


「じゃあ、こうしようぜ。お前がこのロープを解いたあと、俺はポケギアからレッドの番号を消す。そうすりゃレッドから掛かってくることなんてないだろ? それにあいつが滅多に下山しないことはお前も知ってるはずだ」


ヒビキは暫く俺の話を吟味するように腕を組んで唸った。


「グリーンさんが、レッドさんの番号を消すんですか? 本当に?」

「ああ! 男に二言はないぜ」


まあその後もう一回登録しなおすけど。嘘は言ってないから嘘だと見抜かれるはずもない。ヒビキはようやく顔を上げて、花が散るように微笑んだ。


「分かりました! そういうことならいいです。バトルしましょう! 本当は僕もしたくてうずうずしてたんです」


足、腕とロープが外され身体が自由になる。だがまだ焦ってはいけない。今逃げようとしてもすぐ捕まるだろうし、そうなればもっと最悪な目に遭うのは火を見るより明らかだ。


「じゃ、消すからな」

ヒビキに画面を見せるようにして、レッドの番号を消去した。まああいつは滅多に掛けてこないし、このタイミングで掛かってくることはないだろうが、再登録するためには消したことを伝えなければならない。あいつ怒るかなぁ。


「よーし、じゃあ早速バトルだ。外に出ようぜ、ヒビ──」


ヒビキの方へ顔を向けようとしたら、一瞬にして視界がヒビキで一杯になり、唇に暖かいものが触れた。

ポッポが甘えてつつくかのようなキスは一瞬で、呆然としている俺に、顔を離したヒビキは、

「奪っちゃいました」

そう言っていたずらっ子のように笑った。


落ち着け落ち着け落ち着け。今目の前にあるこの笑顔を殴ってはならない。そんなことしたら全てが水の泡だ。そもそもこいつは薬のせいでこうなっているのであって、加害者は圧倒的に俺の方なのだ。落ち着け俺。ああでも、どう返すのが最適解なのか全く分からない。拒絶は論外としても、余りに俺の通常の反応から離れてしまえば逆に疑われてしまうだろう。


「は、はは」

結局俺は適当に笑うしかできなかった。




***


外へ出てみるとシロガネ山のポケモンセンターの近くだった。出てきた建物を振り返ると、外観を損なわない質素な色合いの家がそこにある。


「おまえ、戸建てかよ」

「まあ、お金は有り余ってますし──チャンピオンになってから、いろんな人に声かけられて落ち着かなくて。ここに家を建たせてもらったんです」

「へー。ま、気持ちは分からなくもないが。おまえって結構図太いよな」


家からほんの少し離れた草むらで立ち止まり、先ほどヒビキから受け取ったモンスターボール専用のホルダーからピジョットを選び繰り出す。こいつはバトルの最後に出すと決めているのだが、状況が状況だ。アイテムが入ったカバンを落とさないようしっかりと持ち直す。


「さあヒビキ! バトルだ!」

「負けませんよ!」


ヒビキがボールを選んで繰り出す、その一連の流れのうちに俺はピジョットにまたがり指示を出す。

「ピジョット! 空を飛ぶ!」

ぶわっと砂ぼこりが立ち上がり空へと飛び立った。

「え、え、グリーンさん!?」

「悪いなヒビキ! ちゃんと埋め合わせはする!」


「──デンリュウ! かみなり!」


ピジョットと俺の隣に雷が落ちた。

おいおいおい。俺が乗ってるんだぞ!?

「な、なにしやがんだ!」

下からこちらを見上げるヒビキは無表情で、思わずぞっとした。口だけがずっと動いていたので目を凝らして読み取りを試みる。


うそつきうそつきうそつき⋯⋯


見なきゃよかった。

その後も容赦なくかみなりが落ちてくるのをピジョットがすんでのとこで避けてくれる。かみなりが打てるのは確か十回までだったはずだ。なんとかそれを全てよけきることができれば──! いや、無理だろ。命中率七割だぞ? どんなに運が良くても一回は当たってしまいそうだ。久々に冷や汗がでてきた。


「フシギバナ! ハードプラント!」


何故か隣からよく聞きなれた声がして驚いて顔を向けると、そこにはリザードンにまたがったレッドがいた。




第3話:レグリ編

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