疑心暗鬼バレンタイン

今日は休日のバレンタインデー。どことなく浮き足立つ世間も気にせず、マサキはレアポケモンを求めて草むらを探索していた。


すると突然ポケギアが鳴り出したので画面を確認すると、オーキド博士の孫であり現在トキワジムのリーダーを務めているグリーンからだった。


「もしもーし。どないしたん? あ、こっちか? こほん──はい、こちらポケモンお預かりシステム管理サー⋯⋯」


違う違う、と、全てを言い切る前に電話の向こうから呆れ気味の声が聞こえてきた。


『ボックス関連じゃなくて個人宛でかけたんだよ。てか番号分けた方がよくね? まあそれは置いといて。急で悪いんだけど、ちょっと今から会えないか?』

「えー、明日でもええ? 今ちょーど外出しとんねん」

『いや今日じゃないと意味ないんだよ。頼む。一生のお願い。どうせ外出って言ったってレアポケ求めてウロウロしてるだけだろ?』

「なんで知っとんねん。しゃーないなぁ⋯⋯」


しゃーなしやで、と言うとグリーンは心底ほっとしたように「んじゃハナダのマサキの家に向かってるぜ!」と電話を切った。


そう、この妙な誘いとグリーンの不審な様子にマサキは気づくべきだったのだ。


嫌な予感というものに⋯⋯。




***



ハナダの岬の家に戻ると、玄関前には少し洒落た格好のグリーンがいた。左手には大きな紙袋を持っている。その中身はたくさんのファンから受け取ったチョコレートに違いない。


こちらに気づいたグリーンは「よっ」と軽く手を上げた。


「急に呼び出して悪かったな」

「まぁ別にええけど。なんやーいつもよりオシャレさんやん」

「バレンタインだし」

「貰う側もカッコつけるんがモテる男の秘訣っちゅーわけか」

「なんでちょっとトゲあるんだよ。やめろよ」


二月の海は風も強くかなり寒い。ひとまずは家に招き入れてから、なんの用や? と要件を聞くと、ちょっと渡したいものがあってさぁ、と大きめの紙袋をがさごそ漁る。


これなんだけど、と言いつつグリーンが手渡してきたのは、透明な袋に赤いリボンで結ばれた、いかにもなバレンタインチョコだった。


「ナナミさんか? 毎年悪いなぁ、申し訳ないわ」

「あ、いや、姉ちゃんでは無い。姉ちゃんのは別にあるよ」


ナナミでは無い? マサキの妹や仕事関係者のチョコをグリーンが届けるはずもないし、他にわざわざチョコを用意してくれる相手は思い浮かばなかった。カスミやアカネの可能性がなくもないが、グリーンにチョコを預けるなら直接渡すか配達員に頼むだろう。


「んん? ほな誰からなん? ま、まさかわいのファンの女の子が!?」

「えっと⋯⋯」


期待に胸を高鳴らせていると、グリーンは実に気まずそうに目を反らし──



「お、俺から⋯⋯⋯⋯」



しん、と部屋が冷え切ったように沈黙が落ちた。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯き、気持ちだけ受けとっとくわ」

「待て違う誤解そういうんじゃなくて」

「ご、ごめんな、今まで気づいてあげられへんくて⋯⋯」

「おいガチっぽいのやめろ」

「わい異性愛者やねん⋯⋯ほ、ほんまごめんな⋯⋯」

「露骨に怯えんな傷つくだろ!! 分かった。話す。ちゃんと事情話すから聞いたら必ず食べると約束してくれ」

「嫌な予感が強すぎて確約できひんわ⋯⋯」


グリーンは、ふ、と遠い目をして窓を眺めた。ちなみに窓はカーテンが閉まっているので遠くどころか外も見れない。


「そう、あれは今日の昼過ぎのことだった⋯⋯」

「聞いたら食べるとは言うてへんからな。一旦聞いたるだけやからな」



***



コトネにワカバタウンへ呼び出され、少し期待に胸を踊らせながらピジョットで向かったところ、そこには俺以外にもレッド、ヒビキ、シルバーの三人がいた。


やっぱり義理か、と思いつつ声をかけ合流すると、コトネは華やかな笑顔を浮かべながら後ろに隠していた紙袋を胸に抱えた。


「今日集まってもらったのは他でもありません」


そして紙袋から五つの包装されたチョコを取り出す。


「日頃の感謝もこめて、私から皆さんにバレンタインチョコです!」

「わ、ありがとうコトネ!」

「でも普通に渡すだけじゃつまらないので⋯⋯」


素直に喜ぶヒビキを遮るようにコトネが不穏な言葉を口にするから、俺は少し身構えた。



「一つだけワサビチョコを混ぜました。好きなのを取ってね!」

「「「「………!!!」」」」



和やかな空気が一転、全員に緊張が走った瞬間だった。

なぜ彼女はバレンタインという行事に面白さを求めてしまったのか?


──くっ、どれがワサビだ!?

すべて同じ透明な袋にリボンが結ばれているが、それぞれリボンの色は、赤、緑、金、銀、茶。⋯⋯露骨に誘導されてる気がするぜ!


これが俺たちのイメージカラーだとすると、コトネはレッドにはワサビを入れないだろう。リアクションが面白そうなヒビキの金が危ない。いや、ヒビキも赤いイメージはあるけど、レッドが確実に赤だろうから帽子の色から金だと見た。シルバーはどういう立ち位置なのかよく知らない。つまり確実に安全なのは赤⋯⋯! これが俺の答えだ!


「じゃ、じゃあ俺は赤いのを貰うぜ」

「へぇぇグリーンさん赤にするんですかぁー。どうぞ!」


うっ⋯⋯なんだこの笑みは⋯⋯!

まさか読み違えたというのか!?


グリーン、と神妙な顔をしたレッドに声をかけられる。


「赤がストロベリーとは限らない」


あ、そういう考え方もあったか。


「これは心理戦だ。軽率に行動するなんてグリーンらしくない」

「⋯⋯ならお前は何を選ぶんだ?」

「ワサビを彷彿させる緑。皆が避けるこれこそが正解のピスタチオ⋯⋯!」

「レッドさんは緑ですか。ふふふ」


強い決意を抱いた表情でレッドが緑のリボンのチョコを取ったが、コトネは始終ニヤニヤしているせいで当たりなのかハズレなのか全く分からない。ある意味ポーカーフェイスだ。

ヒビキが震えながら手をのばす。


「えっとじゃあ僕は金のやつで⋯⋯」

「ヒビキくんは金を選ぶんだー。なるほどねー」


こんなに青ざめながら受け取るバレンタインチョコがあるだろうか。

残るは銀と茶。シルバーくんは何にする? とコトネが声をかける。


「ふん、別にどれでも構わないが⋯⋯これを貰おう」

「シルバーくんは銀ね。そのまんまだね」

「バレンタインなんて浮かれた行事に興味はないが貰ってやる」


ツンデレ発言をしながら、あろうことにシルバーは銀のリボンを解いてその場でチョコをかじった。俺の背中に戦慄が走る。


──あいつ、いきなり行きやがった! ワサビが恐ろしくないのか⋯⋯っ!?


「うっ⋯⋯!?」


数回噛んだシルバーが、バッと口を手で塞いだ。


「だ、大丈夫シルバー!? まさか⋯⋯」

「み⋯⋯」

「み?」


顔を歪ませたシルバーは、なんとかゴクンとそれを飲み込み──


「ミント⋯⋯」

「あっミント苦手!? じゃあ僕のと交換しよ!! ね!!!」

「オレに苦手ナモノナンテ無イ………」

「いや強がらなくていいから!! 今そういうの要らないから!!」


わーきゃー騒ぐヒビキを横目に俺は絶望を感じていた。ワサビの確率が1/5から1/4になってしまった。

シルバーが完食して一通り騒ぎ終わったヒビキは、ちら、と最後の茶色いリボンのチョコに目を向ける。


「ち、ちなみに残りの一個は誰の?」

「ウツギ博士の分だよー」

「え、ウツギ博士巻き込んで大丈夫⋯⋯?」

「大丈夫大丈夫!」

「そ、そっか⋯⋯」


そして皆一様に黙り込んでしまい固まっていると、コトネがうるうると涙を浮かべ悲しそうに眉尻を下げた。


「私が作ったチョコ⋯⋯食べてくれないの?」

「うっ⋯⋯いや、その⋯⋯家に帰ってからゆっくり味わって食べるよあはは」

「そ、そうだな俺もそうさせてもらうぜ⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」

「そっかぁ。じゃあ明日なんの味だったか聞かせてね!」



⋯⋯⋯⋯ひえっ



***



「ってわけで受け取ってくれ頼む⋯⋯そしてなんの味だったか教えてくれ⋯⋯」

「その話聞いて受け取るわけないやろ」

「マサキは俺が可哀想な目に遭ってもいいのか!?」

「わいが可哀想な目に遭うんはええんか!?」


グリーンが今までに無いくらい強い力で無理やりチョコを渡そうとしてくるのでマサキは慌てた。


「ちょ待てや、もしかしたら既に誰かがワサビ当たっとるかもしれへんやろ」

「そ、そうだな。ちょっと電話してみる⋯⋯」


ポケギアを取り出してグリーンが操作する。スピーカーモードになり、プルル、という音が鳴り響いた。


「よぉ、レッド。チョコ何味だった?」

『ストロベリー』

「超美味そうじゃんずるいぞ!!」

『絶対ピスタチオだと思ったのに⋯⋯僕もまだまだ未熟だったみたいだ。もう三年ほど山にこもるよ』

「なんの修行だよ」

『グリーンは何味──』


ブツ、とポケギアを切ったあと、グリーンが絶望の表情をこちらに向けるので、マサキは勇気づけるように背中をぽんぽんと叩いた。


「落ち着き。ええか? 要はなんの味か分かればええんやろ? あっためて溶かせば匂いで分かるはずや⋯⋯」

「なるほどな!! さっすがマサキ!! よっ天才!!」

「ふふふ、もっと褒めてええんやで」


若干の罪悪感を募らせながらも、キッチンで綺麗に形づくられたチョコをボウルに割り入れ湯煎で溶かし、マグカップに移してみた。

甘ったるい香りが部屋に広がる。


「チョコの匂いしかしないな⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」

「ワサビでは無いってことでいいのか?」

「ま、まあワサビでは無いんちゃう? ほら飲みぃや」

「い、いやここまで手伝ってくれたしマサキが飲んでいいぜ」

「自分がもらったもんを人にあげんのはアカンで」

「こんな時だけまともな説教しやがって!」


しばらく考え込んだグリーンは、もう一度ポケギアを取り出した。またプルル、と呼び出し音が部屋に響く。


「もしもしヒビキ? 何味だった?」

『あ、グリーンさん。まだ食べてないです⋯⋯』

「そうか。レッドはストロベリーだったらしいぜ」

『え、さっきウツギ博士がチョコ美味しかったって言ってたんですけど、つまり⋯⋯』

「俺かヒビキのどっちかってことだな」

『⋯⋯ぐ、グリーンさん。先に食べてください』

「いやいやお前コトネの幼馴染だろ。食べるべきだろお前は」

『いやいや後輩の窮地を助けるのが先輩ってもんでしょ。別に食べないとは言ってないですよただグリーンさんに先に食べて欲しくて』


ヒビキとグリーンがぐだぐだと押し付けあっている。今日はネットで話題のレアポケモンを探す日と決めていたのに、このままでは日が暮れてしまいそうだ。


グリーンがばっとマサキの方へ振り向いた。


「マサキはどっちが先に食べるべきだと思う!?」

『えっ今マサキさんと一緒にいるんですか!? マサキさん!! マサキさんは僕の味方ですよね!!』

「せやなぁ⋯⋯」


マサキは溶かしたチョコが入ったマグカップを持ち、グリーンの背後に回って腕をふさぐようにがっちりとホールドした。


「わいは先輩が先に食べるべきやと思うなぁ⋯⋯」

「えっ、あっ、ちょ」

『よっしゃ! マサキさん信じてた!』


片手でホールドしながらもう片方の手でマグカップをグリーンの口元に持っていく。


「ちょっ、マサキ!? ストップストップ! いや、押し付けようとして悪かったよ!! 確かに最初は何も言わずに食べさせようとか目論んでたけど⋯⋯あっごめんやめて何でもするから俺まじ無理──」

「ちゃんと口開けとかな顔と服が汚れてまうで~」

「待ってあのほんと姉ちゃんと二人だけで寿司食べるときはワサビ抜くレベルで無理であっこれレッドには絶対言うなよマジであのツンとする感じだめでガチで死ぬからマサキ頼むちょっと」

「まだワサビとは決まっとらんやろ。あんま騒いどると気管に入って危険やで。ほーら怖ない怖ない」

「ふざけんなクソ──あっあっ近づけんなってば! や、やだ無理むりむり⋯⋯! 殺される!! 殺される!! マサキに殺され──んぐっ、うっ⋯⋯」

『あ、あの⋯⋯音声だけ聞いてるとすごく不安になるんですけど何が起こってるんです⋯⋯?』


必死に首を振り抵抗していたが、顔や服を盛大に汚すよりチョコを飲むことを選択したらしいグリーンは、最終的に身体を弛緩させ大人しく飲み込んだ。


なんだか物凄く悪いことをしている気分だが、そもそもマサキは巻き込まれた側だ。これは本来グリーンが食べるはずだったものだ。


さすがに一気飲みさせるほど鬼畜ではないので、一口二口飲み込んだところを見計らって解放する。


「何味やった?」

「⋯⋯よく分かんねーな」


強烈な味ではなかったようで、グリーンは小首をかしげた。


「カカオが強くて味分かんね」

「うーん? どれどれ──あ、ココナッツちゃう? そんな感じせぇへん?」

「確かにココナッツっぽい? てかすげー飲みずらいわこれ。牛乳ある?」

「うちには無いわ。水足しとくか?」

『ちょっ、ちょっと待ってください。シルバーがミント、レッドさんがストロベリー、グリーンさんがココナッツということは⋯⋯』

「どんまいヒビキ」


ポケギアから悲痛な声が上がった。


「まーワサビって分かっとるんなら食べなくてもええんちゃう?」

『いや⋯⋯僕も男です。せっかくコトネが作ってくれたんだから、全部食べきってみせる⋯⋯!』

「どっかの誰かさんと違って男前やなぁ」

「うるせ」


よし! と気合を入れる声が聞こえたあと、暫くして軽い咀嚼音が聞こえてきた。


『⋯⋯⋯⋯』

「──ヒビキ? 生きてるか?」

『⋯⋯バナナ味でした』

「え?」

『ワサビじゃないですね』

「あれ? じゃあワサビが入ってたのは──」



***



「ウツギ博士! チョコどうですか?」

「うん! 美味しいよ。ピリッとした甘さがくせになるね。案外チョコにワサビって合うもんだなぁ」

「そっかぁ。ウツギ博士に当たっちゃったかぁ。せっかく美味しく作って逆ドッキリみたいにしたのに」

「どういう意味だい?」

「ワサビ味が1つだけあるって、ロシアンルーレット装って配ったんです。みんなの表情面白かったなぁ。でもこれじゃ、シルバーくんがはずれ引いちゃったみたい。チョコミント美味しいのに。苦手って知らなかった」

「あはは、味覚は人それぞれだからね」



***



ひとまずワサビを逃れたグリーンは、わざわざ牛乳を買ってきてホットチョコを作り飲み干した。余った牛乳を冷蔵庫につっこみ、マサキにナナミからのチョコを渡し玄関へ向かう。いつもはよく喋るのにその間ほとんど言葉を発しなかったことがマサキをとても不安にさせた。

牛乳は持って帰ってや、と声をかけたが無視されてしまった。


玄関を閉める直前グリーンはマサキに振り返り──


「マサキ」

「ん?」

「チョコありがとな」

「へ?」

「水も牛乳も足されてないワサビが入ってる可能性のある溶かしただけの超濃厚なチョコ飲ませてくれてありがとな」

「ちょ、ちょお待ってや! あれはコトネが──」

「ホワイトデー楽しみにしてろよ⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯ひえっ」



その日、結局レアポケモンは見つからなかった。





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