お悩み相談
ちゃんと恋人として向き合うようになってから、幾度目かの夜。
グリーンから教えられた準備の手伝いは、未だに少し抵抗があった。
「グリーンさん、痛くないですか?」
「平気。もういつでも来ていい」
「え、でも⋯⋯僕グリーンさんに無理はさせたくないんですよ」
「お前のそういう優しいとこ、好きだけどさ。十分準備したから本当に大丈夫だってば。だから──」
グリーンはヒビキの頭を引き寄せて、目を細めた。
──あんまり焦らすなよ。
間近で熱の籠もったグリーンの瞳にくらくらした。もう何も考えずに気持ちよくなりたい衝動は、それでも痛いんじゃないかという不安に抑えられる。
だからグリーンにどんなに煽られても、未だにヒビキはゆっくりとした行為しか出来なかった。それでも幸せそうに笑うグリーンのその表情は、本心なのか優しさなのか。
***
「という訳で僕はグリーンさんを満足させられているか心配なんです」
「⋯⋯⋯⋯」
ヒビキはレッドに会いにシロガネ山に来ていた。誰かにグリーンのことで相談がしたい、と悩んだ時に真っ先に思いついたのがレッドだった。グリーンにレッドの居場所を聞くと、「は? レッド? あいつは夏になるとシロガネ山を根城にするから、今なら大抵頂上とかにいるんじゃねぇか?」と返答があったので、ダンジョンマップを自作しながら何とか頂上に来たのだ。
しかしレッドは話を聞いてるのか聞いていないのか、先程から無心でラプラスの甲羅を洗っている。専用ブラシを使った本格的なお手入れだ。何故かヒビキが話し始めた瞬間に開始した。
一度だけ反応はしてくれたが、『グリーンはヒビキに負担を掛けないよう無理して受け入れる側になってくれているんじゃないか』という悩みに対して「あいつ抱かれる側なんだ。へー」と興味なさそうに返しただけだ。
「あのう、レッドさん。聞いてますか?」
「聞いてる。何が悲しくてあいつの性事情を聞かなくちゃいけないんだって思いながら聞いてる」
「う、すみません。レッドさんが一番グリーンさんのこと詳しそうだったんで⋯⋯」
レッドはふうと息を吐いた後、要するに君は──とヒビキに振り返った。
「グリーンがどういうプレイが好きで何すれば余裕無くなってタガが外れたように喘ぐかが知りたいと」
「本当に話聞いてました!?」
「違う?」
「いや、その──まあ、最終的に、そういうことに、なるんですかね⋯⋯?」
「僕は全く興味ないけど──まあ、貰ったいかりまんじゅう分の働きはするよ」
それって──とヒビキが期待の目を向けるとレッドは少しだけ目を細めた。
「それとなく探っておいてあげる」
頼もしい。でもどうやって聞きだすんだろう?
大人びた二人ではあるけど、猥談とかするんだろうか。気の知れた幼馴染同士ならそういう話も普通にするのかもしれない。ともかくヒビキはレッドを信じることにした。
三日後、ヒビキがシロガネ山を訪れると、レッドは実に悔しげに俯いて、ごめん、と謝ってきた。聞き出せなかったんだろうか?
「あの、別に僕は気にしてないので──」
「躱された。本当に後少しのところだったのに。性感帯くらいは解明できるはずだったんだ」
「──は? え? 何の話ですか!?」
意味が解らず問い返すと、あれは昨日の夜──と、レッドは語り始めた。
レッドはグリーンの家に向かい、半開きの窓を全開にしてそのまま土足で上がり込んだ。グリーンの「玄関って何の為にあるか知ってるか?」という言葉も無視してドンっとグリーンを押し倒す。
「こんばんは。夜這いに来た」
「いや何で!? ちょっ、どういうつもりだ!?」
それとなく探ると言った手前ヒビキの話をする訳にはいかないので、レッドは適当に言い訳することにした。
「いや──どんな反応すんのかなって」
「好奇心で!? え、なに、お前、もしかして、俺のこと好きだったりすんの──?」
「は? 頭沸いてる?」
「何でだよ! ち、違うなら何で、そんな、反応とか知りたがるんだよ⋯⋯!」
適当に耳とか首とか触っていると本格的にグリーンが暴れだしたので両手を掴んで床に縫い付けた。上に乗っている分こちらの方が有利だ。だがそのせいでレッドの両手も塞がってしまったので、取り敢えずグリーンの疑問に何かしら答えることにした。
「──ストレス発散?」
「理由酷すぎないか?──よ、よし解った。じゃあさ、今度ポケスロン行こうぜ。発散ならそっちの方が健全だろ? 最近細かいタイプごとの競技出来たんだってよ。電気タイプの競技とか、お前のピカチュウ張り切るんじゃねぇか? ほら、俺とピカチュウどっちを選ぶ?」
「ピカチュウ」
「はい解散」
「とまあこんな具合でグリーンの弁舌にやられた」
「──いや、人の恋人に何してくれてやがるんですか!? それとなく聞くって言ってたじゃないですか!」
「面倒だし襲いながらそれとなく弱点探ろうと思って」
それとなくってどういう意味だっけ。
ヒビキは学んだ。この人の常識は常人のそれを超えている──!
「仕方ないからグリーンとの過去を元に予想して話すよ」
「最初からそうしてください⋯⋯」
レッドは暫く腕を組んで考え込んだ後、探偵のようなするどい目つきをヒビキに向けた。
「僕が思うに、グリーンは恐らくMだ」
「え? グリーンさんでもMなんですね。Lかと思ってました」
「服のサイズじゃないよ巫山戯てんの?」
「す、すみません⋯⋯」
プレゼント作戦かもしれないじゃないか。だが今レッドの機嫌を損ねる訳にはいかないのでヒビキは素直に謝った。
「あのメンタルの強さはマゾヒストだ。被虐趣味。この毒消しを賭けてもいい」
とん、と毒消しを目の前に置いた。チェックメイトとでも言わんばかりに。ちなみに毒消しはフレンドリィショップで百円払えば購入できるものだ。
「メンタル強いですかね⋯⋯? あんまりマゾってイメージつかないんですけど⋯⋯まだサドの方が解るような」
「強いよあいつは。旅してるとき連敗してるくせに連勝してるかのような顔して何度も勝負挑んできたし。それにもし僕がグリーンより先に図鑑埋めてジム制覇して四天王も倒しチャンピオンになったのに、後からやってきたグリーンに負けたあげく目の前で博士にグリーンを褒めちぎられてから説教くらったら──今頃僕は少年院にいる」
「そ、そうですか⋯⋯」
急に早口で喋りだしたレッドにヒビキは気圧された。よっぽど思うことがあったんだろうか。
「それに何度傷ついても懲りずに新しい──あ、これは言っちゃ駄目なんだった」
傷つく? 新しい?
凄く気になったがこの人は言わないと決めたら絶対に教えてくれなさそうだ。
「その、仮にグリーンさんがマゾだったとして、僕はどうすれば? SMって全然解らないんですけど⋯⋯」
「人間として扱わなきゃいいんじゃない」
飽きたのか投げやりにそう答えたので、これ以上レッドからアドバイスはもらえなさそうだと判断し、ヒビキは不安を抱えながらも山を下りた。
***
グリーンの家で過ごしていた夜。何となく、そういう雰囲気になった。この人は『そういう雰囲気』を作るのが妙に上手い。
ベッドに寝っ転がったグリーンが、縁に座っていたヒビキの腕を引っ張る。体勢を崩して上に覆いかぶさると、グリーンはゆるく笑う。
その笑みは蠱惑的で、バトルをする時の子どもっぽさとは対照的なそのギャップにドキドキした。
「ヒビキ」
「グリーンさん──」
その首に顔を埋めて、いつものように始めようとしたところでヒビキはガバっと起き上がった。
「違う!!」
「へ?」
そうだ、今日こそは例の作戦を実行しようと思っていたんだった! 正直やっぱり抵抗はあるが、グリーンに満足してもらえるような男になると決めたのだ。やるしかない。大丈夫! 僕ならできるはずだ! ヒビキは少年漫画でしか得たことのない知識をフル動員させた。
「グリーンさ──じゃなかった。こ、この雌バネブーが!」
「め、雌バネブー!?」
「ええっと──何でバネブーが人間の言葉を喋ってるんだい!」
「誰!?」
ヒビキは左手を振り上げた。グリーンに手を上げたく無かったが仕方がない。これも全てグリーンに気持ちよくなってもらう為だ。──いや、何か違う気がする。盛大に間違っているような気がする。だけどもう引き返せない。
振り下ろしたヒビキの手をぱしっと掴み、グリーンは己の両手で包み込んだ。
「ヒビキ⋯⋯! 頼むから正気に戻ってくれ⋯⋯!」
涙目で怯えながら見上げるグリーンに不覚にも一瞬ときめいてしまったヒビキだったが、ようやく我に返った。
「あ、グ、グリーンさん。えっと、その」
「ヒビキ! 良かった⋯⋯さっきまでお前おかしくなってたんだぜ」
どうやら何かに取り憑かれていたのだと思っているようだ。
──そういう事にしておいた。
***
「というわけで失敗しました」
取り敢えずヒビキはレッドに報告すべくまたシロガネ山を登った。道も大体覚えてきたのですんなりと頂上に辿り着く事ができた。黙って聞いていたレッドは呆れたようにため息を吐く。
「いや下手すぎる。それじゃSMじゃなくて漫才だ。言葉責めを君は理解してない。何バネブーって。普通に可愛いじゃないか」
「だって、何言えばいいのか解らなくて⋯⋯」
「まず君らしさを忘れちゃいけない。いきなりキャラが変わったらさすがのグリーンも動揺が先に走るよ」
僕らしさ? と聞き返すと、レッドは顎に手を当て真剣に考え始めた。
「そうだな、例えば君の立場を取り入れて──『グリーンさん? 最強と謳っておきながら旅に出て一年にも満たない新米の僕に負けたくせに、どうしてまだトレーナーを名乗ってるんですか? そんなので愛されようなんて甚だおこがましいですね。ほら弱者は早く床に這いつくばって──』」
「ストップストップストーーップ!! 長いしガチの精神攻撃じゃないですか! 嫌ですよ! 僕らしさとは!?」
「楽しくなってきた」
「目覚めないでください!」
表情の読めない人だと思っていだが、今は心なしか生き生きしているように見える。
「その後に優しくしてやればイチコロだ」
「そんな犯人に自白させるための手管みたいな⋯⋯DV男みたいな⋯⋯」
ヒビキはここに来てようやく気がついた。この人に相談するの間違いだったのでは? と。だがレッド以外に頼れる相手もいないのでヒビキは全力でその疑念を振り払った。
「SMはもういいので、グリーンさんの好みを教えてください! そこから考えます。 そもそも僕のどこを気に入ってくれたんでしょう?」
「あいつの好みか⋯⋯難しいな。バトルの強さとか? ──分かった、次会うまでにそれとなく探って」
「夜這いじゃないですよね?」
「⋯⋯⋯⋯」
ヒビキは丁重にお断りした。
もう下手な小細工はやめだ。
本人に思い切って聞いてみよう。
***
「早くお前も酒飲める歳になったらいいのになー」
いつものようにヒビキはグリーンの家のベッドを椅子に、ローテーブルでグリーンと会話を楽しんでいた。グリーンが酒の入ったグラスをカランと揺らす。少し頬が紅に染まっていて色っぽい。
「でもお前すごく弱そう」
「そんなことないですよ! って言い切れないのが悔しいところですね⋯⋯」
「はは、それにしてもお前ってまだ十四歳なんだよな。未成年に手を出してる俺ってもしかしてヤバい? 捕まっちまうかな? 俺が捕まったらどうする?」
冗談めかして笑っているが、もしかして不安を感じているんだろうか。未だにグリーンの心を上手く読めなくて、ヒビキはもどかしい思いをしていた。
「僕は十三歳未満じゃないし、ちゃんと愛し合ってますし、そもそも手を出してるのは僕ですから!」
「あはは! そうだな! ⋯⋯お前って本当恥ずかしいことを平然と言うよな」
「それにグリーンさんが捕まったって、僕が牢屋から颯爽と助け出して見せます!」
グリーンの手を取り誠意を込めた瞳で見つめれば、酒に潤んだ瞳でグリーンは嬉しそうに笑った。そしてヒビキの手をゆっくりと外すと、ヒビキの首に手を回してゆっくりベッドに倒れ込む。その瞳が細められた瞬間に、部屋の空気が一瞬にして変わる。
この人はどうしてこんなに空気を作るのが上手いんだろう? あまり深く考えてはいけない気がした。
さて、グリーンから聞き出そうと決意をしたのはいいものの、どうやって切り出すべきか。 あまりちゃんと作戦を考えていた訳でもなかったヒビキは迷っていた。それに気付いたグリーンが「どうした?」と不思議そうに問う。
「そのう。グリーンさんは受け手ばっかりで良いんですか?」
「受け手? ああ──」
かなり恐る恐るとした聞き方になってしまったヒビキに、グリーンは頭を撫でながら優しく笑った。
「そんなこと気にしてたのか? 俺はこっちが好きだからいいんだよ。相手の負担とかあんま考えずに集中できるし、気持ちいいし、嫌なことも忘れられるし」
嫌なこと? と問おうとすると、意地悪く目を細めて、それに──と続けた。
「俺のこと支配してると思い込んでる相手を支配する快感ってのが、たまんないんだよ」
「ぐ、グリーンさ──」
「なんてな! 支配は言いすぎたけど、お前が俺に夢中になってる姿は好きだぜ」
嘘は吐いていないんだろうが、やはり気を遣われている気がする。
ヒビキはもう一度レッドの元へ訪れることにした。
***
最近ヒビキの様子が変だ。
どこか挙動不審で、何かを隠しているような気がする。たまに電話に出なくて、近くを探しても見当たらない時がある。今もそうだ。
何となくワタルに電話をしてみてヒビキを見かけなかったかと尋ねたら、先程シロガネ山に向かうのを見かけたと返答があった。いきなりビンゴだ。今日はツイている。
それにしても何故シロガネ山? 前は滅多に登山しなかったのに。そういえば先日レッドの居場所を聞かれた。まさかレッドに会いに行ったのか──?
そう思い当たった瞬間どす黒い感情が腹の中を蠢いた気がした。きっと強いトレーナーなら誰だって、レッドの強さを知れば夢中になるだろう。失敗した。レッドの居場所なんて教えなきゃ良かった。
そもそもヒビキの俺に対する恋心は、俺が優しさにつけこんで騙して錯覚させたようなものだ。そんな気持ちなんてすぐに消えてしまって当然か。
いや、まだそうと決まった訳じゃない。とにかくこの目で確かめないと。
***
洞窟の影に隠れながら頂上の様子を伺うと、其処に居たのはレッドとヒビキ。しかも内容は聞き取れないがあのレッドが積極的に喋っている。嫌な予感は当たってしまった。その二人を目撃してしまった時に感じたのは怒りでも嫉妬でもない。
失望、だった。
俺は二人に気づかれないよう静かにその場を立ち去った。
ヒビキと部屋で二人きり。俺は何てことない風を装って口を開いた。
「俺さ、今日シロガネ山に行ったんだよ」
さあ、どう反応する?
ヒビキは「えっそうなんですか?」と目を丸くしている。とぼけるつもりなのか。仕方ない、じわじわと聞き出してやろう。
「お前は? どこ行ってた?」
もし、嘘なんて吐いたらその時は──
「僕もシロガネ山行ってたんですよ! レッドさんに会いに!」
「──え?」
「どうしたんですか?」
「あ、いや⋯⋯」
隠そうともしなかった。これは予想外だ。ヒビキは少し照れながら頬を掻いた。
「レッドさんにちょっと相談があって」
「相談? 何でレッドに? 俺にしろよ。俺じゃ駄目なのか?」
「そりゃ、グリーンさんのことですし──あっ」
「俺のこと?」
レッドに俺のことで相談──?
不安になって思わずヒビキに詰め寄った。
「俺の、何を相談したんだ? なあ、教えてくれ。俺のどこが気に入らなかった⋯⋯?」
「き、気に入らないなんてそんな! その、ですね。夜、もしかして、グリーンさんを満足させられていないんじゃないかなーって、不安になっちゃって、そのう⋯⋯」
「夜ぅ?」
「⋯⋯はい」
「もしかしてこの前の奇行はそのせいか?」
「まあ、その、そうですね⋯⋯。グリーンさん優しいから、聞いても僕が気にしないようにって本心を話してくれない気がして。それで、一番グリーンさんと付き合いの長いレッドさんに⋯⋯」
つまりは俺のためにあの険しいシロガネ山を登っていたのか。なんだ。そうか。そっか。いや、それにしても。
「なるほど、それでレッドに相談したのか⋯⋯レッドに⋯⋯レッド⋯⋯。なあヒビキ、そういうの何ていうか知ってるか?」
「え?」
「人選ミスって言うんだよ!!」
***
「君達、三ヶ月で別れるかと思ってたけど意外と続いてるね」
「そんなこと思ってたんですか!?」
グリーンにああ言われたものの、ヒビキは相変わらず時々レッドの元へ訪れていた。一応ヒビキはもう友人くらいの気持ちでいるが、向こうがどう思っているかは解らない。
今日はグリーンの誕生日プレゼントの相談をしに来たのだが、開口一番に聞き捨てならないことを言われそれどころじゃ無くなってしまった。
「うん。半年も続くと思わなかった。まあでももって二年かな」
「本人を前にしてそんなこと言わないでくださいよ! えっ、僕捨てられちゃうんですか──?」
レッドは一瞬きょとんとした後、いやいや、と手を振った。
「それはない。あいつ意外と一途だし」
「⋯⋯僕はグリーンさんのこと振ったりしませんよ」
「そういう言葉を僕はもう何度も聞いてきたよ」
「え──?」
──それに何度傷ついても懲りずに新しい⋯⋯
あの時のあの言葉はやっぱり、そういうことなんだろうか。
「君が初めてだと思った?」
「いえ⋯⋯凄く手慣れてるなとは⋯⋯思ってましたけど」
「まあ君がまだ嫌気さしてないなら、グリーンも少しは懲りたのかな。それか君が特殊な人間なのか。一応これでも君のことは応援してるんだよ。今までのグリーンの恋人って、僕のこと大概目の敵にしてくるからさ。相談してきたのは君が初めてだ」
「一度だけ巫山戯てグリーンとこれからも付き合いたいなら僕を倒せって言ったことがあるんだけど⋯⋯次の日二人は破局してたよ」
うん。
もうレッドにグリーンのことで相談するのはやめておこう。
ヒビキは心に固く誓った。
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