06-みずたまりの色
君を繋ぎとめられるなら、苦しみだって利用する。
捨てられた子犬のような目を向けたなら、君は簡単に絆される。
***
「いつまでそこにいんだよレッド」
部屋にまたもや閉じ込められたオレはベッドに座ってふてくされていた。
レッドは椅子に座ってじっとこちらを見ている。
「どうしたら逃げなくなるのかなって考えてる」
質問の答えになっていない。
逃げらんねぇよ、と言っても前科を作ってしまったのでもう説得力はないだろう。部屋に沈黙が落ちる。するとおもむろにレッドは立ち上がって、オレをぎゅ、と抱きしめた。背中に回る手にぞわりとする。
こんな異常な状況で、ベッドの上で、様子のおかしい幼馴染に抱きしめられてる。よく解らない焦りが沸きあがってきた。
「ちょ、レッド! な、なにしてんだよ!」
「こうしてると落ち着く」
「は? ──ああ、はいはい」
子どもが寂しがってくっつくようなものなんだろう。変に動揺した自分に飽きれて、あやすように背中をぽんと叩いてやった。
レッドは一旦オレを離して、上着を脱いで、それをオレの肩にかけて、上着ごとまたオレを抱きしめた。捕まえているつもりなんだろうか。レッドの匂いに包まれて妙な気分になる。
そのままゆっくりとベッドに倒れこんだ。
レッドはオレの肩に手を置いたまま上半身を起こして暫く黙っていたかと思うと、
「赤いみずたまり」
よく解らないことを言って、微笑んだ。
そしてそのまま落ちるように近づいて──唇が合わさった。
「ん──!?」
驚いて思わず暴れるとすんなり解放される。レッド自身も自分の行動に驚いているようだった。
「おまえ、ほんと、なに考えて──」
「────ごめん」
絞り出すような苦しそうな声に、こちらが悪者のような気分になってくる。
「何やってんだろ、僕」
「本当だよ」
「こんなことして、また君に、置いてかれたら」
「は?」
「毎日見るんだ。君が死ぬ夢。もう、苦しくて、僕自身どうしたらいいのか──」
今まで気づかなかったが、よく見ると目に隈がある。顔色も悪い。
オレはただ、レッドに勝ちたかっただけなのに。こんな顔が見たかったわけじゃないのに。こんな未来になると知っていたら、あの大きな分岐点で、オレは。罪悪感が心に満ちる。こいつの苦しみが染みていく。
「レッド」
手を伸ばして、頭を引き寄せた。
「グリーン、まって、こんなことされたら──」
「いいぜ」
「え?」
重力に落ちたレッドの髪を軽くかきあげて、いつものように精一杯虚勢を張った笑顔を向けてやる。
「全部受け止めてやるよ」
それで今だけでも、楽になれるなら。
***
翌日。オレは痛む身体に耐えながらシャワーを浴びていた。
身体を拭いて着替えて部屋に戻ると、レッドはまだ眠っている。
今のオレに足かせはない。このまま逃げることもできる。だがオレはレッドが起きるのを待つことにした。
「ん──」
レッドがぼんやりと目を開いた。昨日より顔色が良くなっている。ちゃんと眠れたようだ。
「おはよ、レッド」
「おはよう⋯⋯逃げなかったね」
「当たり前だろ。でも、オレはやっぱり行くよ。それを言うために待ってた」
「は?」
レッドが目を見開く。ばっと起き上がった。
「やだ。行くな」
腕を強く掴まれる。
「やだってなんだ。子どもか」
「子どもだ。君も僕も」
「ま、大人ではねぇな。でももう子どもでもねぇよ」
「受け止めてくれるんじゃなかったの」
睨むようにこちらを見上げる。腕を掴む力も緩むことはない。
「散々受け止めてやっただろ⋯⋯じゃなくて! オレはさ、おまえを置いていこうとしてるんじゃなくて、助けたいんだよ」
「じゃあここにいろ」
「埒が明かねぇな。予想してたけど。なぁレッド」
バトルしようぜ。
レッドの手を振り払ってモンスターボールを目の前に突きつける。
思ってもみない展開だったのだろう、レッドは少し驚いた顔をして、目を細めた。相変わらず昏く淀んだ目だった。
「負けた方が勝った方の言うことを聞く、で良いんだよね?」
「当たり前だろ。さ、行こうぜ。ここはジムなんだからさ」
定休日で静かなジムに、オレとレッドが対峙する。
「ナッシー!」
「ピカチュウ!」
バトルが始まった。相変わらず的確な指示出しで、やはり一筋縄ではいかない。でも、勝算はあった。
トレーナーの動揺はダイレクトにポケモンに伝わる。
様子のおかしい主人の様子に、ピカチュウは戸惑っていた。いや、ずっと傍にいたんだ。もっと昔から、追い詰められていくようなレッドを心配していたんだろう。今も、どうするのが一番いいのかと、迷っているようだった。
そしてオレはその隙をついていく。
オレに負けたことのなかったレッドが、じわじわと押されて、段々焦りがでてきたようだ。鉄壁の戦術が崩れていく。
「な、なんで──」
残るはカメックス一匹。レッドが信じられないといった様子で拳を握っている。
「なんで、みんな言うことを聞いてくれないんだ!」
「おまえのことが、大好きだからに決まってるだろ」
オレの言葉に、レッドは、はっとした表情で固まった。これで終わりだ。
「今のおまえに負ける気はしねぇよ」
初めてバトルでレッドに勝った。嬉しさも感慨もない。望んだ形じゃない。
レッドはカメックスをボールに戻して、ごめん、とひと撫でした。
「レッド、約束どおり、オレはいくぜ」
「分かった⋯⋯分かったよ。君を縛り付ける権利なんて僕にはない⋯⋯でも」
「頼むから、僕も連れて行って」
迷子の子どもみたいな顔してそんなことを言うレッドに、オレは笑った。
「最初からそう言やいいんだよ、ばーか」
***
ポケモンセンターに寄ってから、レッドとともにヤスタカの元へ向かう。
縛られたロープと格闘していたヤスタカはオレたち二人を見上げて、間抜けな顔をした。
ロープを解いてやり、事情を説明すると、
「さすがというか、なんというか。無茶するよねあんた」
そう言って苦笑した。
「で、結局どこいくの?」
「ああ、えっと、おまえジラーチって知ってる?」
「今すごく話題になってるやつ?」
話題になっていたのか。そりゃそうか。閉鎖空間にいたため世情には完全に疎くなってしまっている。
「多分それ。そいつに会いに行くんだ」
「何のために」
「それは──」
思わず言い淀んだ。おまえがおかしくなったから、とは流石に言えない。だがオレが死ぬかもしれないから、とか言ったらこいつは何をするか分からない。
「リーダーを助けるためですよ」
迷っているオレの後をヤスタカが引き取った。
「僕?」
「はい。近い未来、リーダーは死ぬかもしれないんです」
驚いてヤスタカを見ると、口を出すなと目で制される。
「色々と事情がありまして、俺達は未来を知ることができたんですよ。ちょうどこの時期、シロガネ山でグリーン君とあなたがバトルして、事故で崖から落ちるんです。まあここはシロガネ山じゃないですが、何が死と直結するか解らない以上、出来ることはすべきだって」
そうか、この世界ではシロガネ山にいたのはオレ、ジムリーダーはレッドだ。ならレッドが死んでいたかもしれないのか。その事実にぞっとした。
大丈夫だ。オレなら、オレ達なら、もっとありふれてて幸せな日常を取り戻せる。
さあ、勝負はここからだ。
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