04-裏切りと救済は紙一重
朝目が覚めて、足首につけられた鎖を見て溜息をつく。
この悪夢はなかなか醒めてくれないようだ。
久々に会ったライバルに惨敗したあと、オレはトキワジムの一室に軟禁状態にされていた。ベッドに繋がれた鎖は長く、部屋の中ならどこへでもいける。まだまだ遊び盛りの若者をこんなところに閉じ込めるなんてとんだ鬼畜だ。そう頭の中で惚けてみせては憂鬱になる。
いやだって、ここまで拗らせるとか想像できないだろ。さすがレッド、いつもオレの予想の斜め上を行くぜ。オレだってあいつが失踪してからは感情がぐちゃぐちゃになったりしたけど、ここまでじゃなかった。
むしろ引きこもりがちなレッドをあっちこっち連れまわしてやったくらいだ。感謝されるならともかく、こんなことされる筋合いはない。まあそんな別世界のことなんて、レッドが知るわけないんだけど。
──もちろんオレも、この世界のレッドが三年間何を思ってどう過ごしたかなんて、知ることはないんだけど。
なんだかなぁ。
軟禁生活は今日で一か月を迎える。なんだかんだこの状況に馴れてきてしまっている自分がいる。順応力は人より高い方だ。いつか自力でこの鎖を切ってやろうと最近筋トレを始めた。手で引きちぎれるようになるのは当分先になりそうだ。
最初の内はレッドに惨敗した事実にひどく劣等感を感じてただ辛かった。だが知ってしまえばネタは簡単で、レッドはヒビキと知り合いで、あいつからオレのことを細かく聞き出していたらしい。対策は完璧だったわけだ。
──次に闘ったら今度は僕が負けるかもしれないね。
そう言って希望という餌をチラつかせるレッドに怒りが湧かない訳ではなかったが、その事実はオレを少し楽にさせた。
扉からノックの音が聞こえる。朝食を持ってきてくれたんだろう。こんなことしてるくせに一緒に食事をとるときは昔と変わらないように接してくるのだから恐ろしい。慣れてきたオレが時々ふざけて見せると、あまりに幸せそうに笑うものだから何もかもどうでもよくなってくる。
「はいよー」
気のない返事をして迎え入れる。
ガチャ、という音とともに入ってきたのはレッドではなかった。
「生憎リーダーは呼び出されててね、俺は代理」
好奇と同情の混じった目をして朝食を持ってきた相手は、見知ったやつで。
オレは大きく目を見開いた。
「ヤスタカ!」
呼ばれた相手は驚いた目でオレを見つめる。
「あれ、俺のこと知ってるの?」
ああそうだ。この世界のジムリーダーはレッドだ。オレとジムトレーナーに面識があるわけがない。ちょっとな、と適当に笑ってごまかしつつ朝食を受け取る。
「あんたさ、三年前一瞬だけチャンピオンになった子でしょ。リーダーとどういう関係?」
一瞬だけ、という言葉にかちんときたが、その通りではあるので何も言えなかった。それより、前の世界ではリーダーはオレだったわけで、ため口で喋りかけられるのも、レッドをリーダーと呼んでいるのも、違和感だらけで気持ち悪い。
「ライバルで幼馴染。それだけ」
トーストをかじりながら素っ気なく答えると、
「最近の子は幼馴染のライバルにこんなことするんだ。怖いなぁ」
軽い調子でそういった。
レッド以外と会話するのは久々だ。それにこいつと喋るの結構楽しいんだよな。懐かしく思っていると、そんなオレの表情にヤスタカは勘違いをしたらしい。
「あんたも満更じゃないんだ」
「んなわけあるか! オレにそんな趣味ねえよ」
「へえ?」
トーストを食べ終わってミルクを飲み干し、オレは勢いよくベッドに倒れこんだ。
「あーあ。こんなことならジムリーダーの話蹴るんじゃなかった」
「なんの話」
「本当なら今頃オレがここのジムリーダーになってたんだぜ」
「あんたが俺の上司だったかもしれないんだ?」
「そうそう。だからオレを敬え」
「残念だけどあんたリーダーじゃないしなー」
ぽんぽんと、テンポの良い会話のキャッチボール。
前の世界じゃ上司と部下の関係だったが、友人として案外相性がいいのかもしれない。ふざけたやり取りを暫く続けていると、ヤスタカはふと真剣な表情になった。
「あんたがここにいることは、リーダーと俺達ジムトレーナーしか知らない」
世間には知らせてないだろうことは予想がついていた。きっとあいつは、オレの姉や祖父にだって、話していないんだろう。あの二人がこの事を知ったなら、絶対に止めるに決まっている。これからいくらでも未来のあるレッドの経歴を、こんなことで汚すわけにはいかない。あの二人は、レッドのことを家族のように思っているだろうから。
ただ、ジムトレーナー全員に話していたのは意外だった。誰も止めようとしなかったんだろうか。そんなオレの疑問をヤスタカは察したらしく、続きを話してくれた。
「異常だってことは、もちろんみんな解ってる。でも、あんたがいることでリーダーが安定するならってことで、みんな黙って従ってるんだ。アキエは最初だけ説得しようとしてたけどね。でもこの事を俺たちに共有してくれたリーダーを裏切りたくなかったし、苦しむ姿も見たくなかった。みんな──」
リーダーのことが好きだからさ。
そこまで言うと、ヤスタカは小さく息を吐いた。
リーダーが好きだから。ここでいうリーダーはオレのことではない。それに対して何かを想う資格は──オレにはない。
「あいつ慕われてんだな」
「意外?」
「別に」
みんなはさ、ヤスタカは続けた。
「現状維持を望んでるんだ。つぎはぎだらけと解っていても、ほころびた糸を引っ張って、元に戻せる自信がないから。どんどんボロボロになっていくだけなのに」
そう言って、扉を見つめた。そこから現れるはずの主でも幻視しているんだろうか。しばらくそうしていたかと思うと、ベッドで寝転ぶオレに真っすぐ視線を向けた。
「あんたにもう一度聞きたい」
「本当にジムリーダーになりたい?」
「は?」
「さっきリーダーの話蹴るんじゃなかったって言ってただろ? この生活を捨てて、あるべき姿に戻りたいかって、聞いてる」
オレはゆっくり起き上がった。
どういう意味だろう。だが、もしまたあの分岐点に戻れるなら、全てを許してもらえるなら、オレが選ぶ道は間違いなく──
「戻りたい」
はは、とヤスタカは嬉しそうに笑った。
そして内緒話でもするかのように、オレの耳元に口を寄せた。
「じゃあさ、俺と手を組まない?」
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