03-大切なものは

「勝者、レッド!!」


チャンピオン戦で、僕はグリーンに勝った。


オーキドがやってきて、僕を褒めたたえ、自分の孫に説教を始める。だが当のグリーンはぼうっとしていて、話なんてちっとも聞いてないようだった。

負けたショック? いや、違う。彼ならもっと、悔しくて堪らなくてもっと苦しそうな顔をするはずだ。それでも目に宿る闘志だけは失われない、僕は彼のそんな姿が好きだった。勝てば勝つほど彼が僕に執着して躍起になるのが嬉しかった。

それなのに今のグリーンは、何が起こったか理解していないかのように呆然としているだけだ。見てるとなんだか哀しくなって、オーキドに連れられるままその場を去った。


***


ロビーに戻った時にはもう、グリーンの姿はなかった。彼が先に先にと行動するのはいつものことだ。そして後からやってきた僕に何かしら絡みに来る。今回もそうなんだろう。落ち込む時間は充分にあったから、きっともう立ち直って宣戦布告でもしにくるに違いない。チャンピオンという座を無下にした僕に文句のひとつでも言って。


リーグを出ようとしたところでワタルに声をかけられた。

二人のチャンピオンの対面に周りがざわめいて聞き耳を立てている。

ああ、こういうのが煩わしいから僕は──


「チャンピオンを辞退したんだって?」

「⋯⋯⋯⋯」

「グリーン君はあの性格じゃチャンピオンに戻らないだろうし、俺が続けることになるんだろうなぁ」

そう言ってワタルは溜息をついた。

「少年二人に二連敗してなお頂点に君臨させられる人の気持ちも考えてほしいね」

言葉とは裏腹に面白がるような声でそう言う。


「⋯⋯⋯⋯性に合わないんで」

「ふ、そうか」


束縛されるのも、持て囃されるのも勘弁したい。好きなポケモンと気ままに旅をする方が自分には合っている。

そんなことより、あまりグリーンを待たせる訳にはいかない。あのライバル様はああ見えて寂しがり屋なのだ。

会釈して帽子をかぶり扉に向かう僕を、ワタルが呼び止める。


「ああ、最後にひとつ。レッド君、グリーン君にトキワのジムリーダーになるよう君からも言っておいてくれないか」

「⋯⋯⋯⋯?」

「今の彼に必要なことが学べる場所だと思うんだ。彼はもっと強くなれる。ただ俺じゃ口説き落とせそうになくてね」


はいともいいえとも答えず、帽子のつばを掴んだままリーグの外へでた。リーダーなんかになったら自由に戦えなくなってしまう。負けることにも意味があるんだと気付いて、僕への執着が薄くなってしまう。それは厭だ。


グリーンはきっと僕が自宅に戻ると考えるだろう。だから一旦自宅へ向かうことにする。記者たちの群れをリザードンで越えてから、徒歩でマサラタウンへ向かった。


だが道中、グリーンの姿はどこにもなかった。



***


グリーンの失踪が事件として取り上げられたのはそれから数日後のことだった。取材をしようと記者が必死になって探しているのにどこにも見当たらない。自宅に戻った形跡もない。はて敗北のショックに耐えられなかったか──と、好き勝手書かれた記事が街に散乱している。


「言い過ぎたかのぅ⋯⋯」

「大丈夫よ、あの子は強い子だから。きっとすぐにひょっこり戻ってくるわ」


オーキドは見るからに落ち込んでいて、研究室は気まずさに満ちていた。

励ますナナミの声も少し震えている。

こんなにも愛されているのに、一体どこに行ってしまったのか。もしかして記事に書かれている通り──いや。


彼はそんな弱い人間じゃない。ナナミさんと同じく、僕もそう思う。

──本当に?


僕が長年見てきた彼の内側は、表面に過ぎなかったんじゃないか。チャンピオン戦後のグリーンの異変に気付いたのはきっと僕だけだった。あの時声をかけていれば何か変わっていたかもしれない。後悔と苛立ちだけが募っていく。


旅をする気分にもなれずにいると、グリーンに回るはずだったトキワのジムリーダーの話が僕に回ってきてしまった。


トキワシティを助けてくれと懇願されて、断れる大きい理由もなかった僕は結局ジムリーダーを務めることになった。最年少にして頂点に上り詰めた少年が務めるジム。トキワは上の狙い通りに栄えていく。

ワタルが手配してくれたトレーナーは強い。だがバトルの回数を重ねるたびに手ごたえがなくなっていき、ただジムの奥で立っているだけの毎日にも嫌気がさして、度々抜け出してはグリーンを探したり、強そうな相手を見つけてはバトルをして過ごした。バトルをしている間は厭なことも忘れられた。


そんな僕の目の前に現れたのは、ジョウトを制覇し、カントーもほとんど制覇したという年下の少年。名をヒビキというらしい。


***


トキワジムに現れた彼とバトルし、僕は負けた。

ジム用に調整したポケモンで、手加減していたとはいえ、彼のセンスはなかなかのものだ。カントーを出ればまだまだ自分の知らない世界がたくさんある。そう思うとわくわくした。バッジを渡してあげてジムリーダー用のポケギア番号も教えてやる。一人のトレーナーとして闘ってみたかった。


プルルル──

ヒビキからの電話だ。早速再戦かと電話に出ると、なにやら興奮した様子で喋りだした。

『レッドさん! 今さっきシロガネ山に登ってきたところなんですけど、頂上にすっごく強いトレーナーがいて! 幽霊じゃなくて生きた人でした!! 負けちゃいました!! ピジョットってそんなに強いポケモンじゃないと思ってましたけど、上手く育てるとあんなに強くなるんですね──』


シロガネ山、頂上、ピジョット。

胸がざわざわとして落ち着かない。

これだけの情報なのに、全てが彼を指し示しているように感じた。この中で彼を指すものなんて、ピジョットくらいのものなのに。

一度深呼吸をしてからヒビキに尋ねる。


「どんな、人だった?」


『どんな?うーん⋯⋯フード被って何故かサングラスしてたんで見た目はよく分かりませんが、男の人で、なんかちょーっと生意気そうな感じでしたね。あとやたら喋ってました』


グリーンだ。

僕の勘がグリーンだと告げている。


今すぐ飛んで行って確かめたいが、その前に。


「どんなポケモン使ってた?」


ヒビキからできるだけ詳しく戦闘スタイルを聞き出す。彼はきっと強くなっている。闘って、もし僕が負けたら。きっと彼はもう僕を見てくれなくなる。そんなのは耐えられない。



大切なものは何をしてでも傍に置いておかなければ。



この三年間、僕が学んだことだ。




***


シロガネ山の頂上にいたグリーンを連れ戻すために、僕はバトルを挑んだ。彼とバトルをしている間、何故かずっと厭な予感が纏わりついて離れなかった。比較的近くにある崖にやたらと目が行ってしまう。


──雪は境界を曖昧にするから、危険だ。


一度わざと技を外して崖付近の雪を溶かし、少しずつ離れた場所へと誘導した。これで大丈夫だろう。それでも不安を完全に拭うことはできなかった。

僕はこんなに心配性だったろうか。


バトルの結果は僕の圧勝だった。

当然だ。彼の戦術をヒビキから全て聞き出して、事前準備を完璧にしてきたんだから。

グリーンは力が抜けたのか膝をついて、何か言葉を探しているようだった。


彼はプライドが高い。このまま放っておけば、負け惜しみの一つでも言って、すぐにどこかへ行ってしまうだろう。虚勢を張る前にグリーンの傍へ行き、僕は彼を強く抱き留めた。


「捕まえた」


その瞬間、僕の心に安堵が広がって、思わず息を吐いた。それにびくりとしたグリーンが抵抗しようとしたが、より力を強めて動けないようにする。

抵抗を諦めたグリーンの肩の力が抜けた。


「ん、だよ、ポケモンじゃねーぞ、オレは」


喘ぐように当たり前のことを口にした。そんなもの、厭というくらいに──


「知ってる」

「何がしたいんだよ」


心底解らないという顔をしている。解らないだろう。

洞窟から嬉しそうな笑顔とともに出てきた彼には、僕の気持ちなんて。


──グリーンがポケモンだったらモンスターボールに閉じ込めておけるのに。


思わず声に出ていたらしい。グリーンは一瞬固まって、必死に僕の真意を探ろうとしている。


「でもグリーンは人間だから、違う手段で捕まえておかないと」


その手段は用意している。片方の腕でバッグの中から水と睡眠薬を取り出した。僕が飲む予定だったものだ。

グリーンが失踪したと大きくニュースになって、半年もしない頃、僕は睡眠不足に悩まされることになった。眠るたびに見るのだ、彼の夢を。



何もない白い空間に彼が倒れていて、赤い水たまりが広がっていく。

僕は何もできなくて、ただそれをじっと見つめている。



軽い睡眠薬じゃ眠ることはできてもその悪夢は回避できなかった。

どうしても辛いときだけという条件で処方してもらった即効性のある強い薬が、今手の中にあるものだ。残しておいてよかった。

これを差し出したところで当然彼が飲むはずもないので、僕はそれを口に含んで見せて、彼の顎をつかみ、飲ませた。

訳もわからず思わず飲み込んだ彼を見て、ああようやく彼が戻ってくるのだと思った。僕がやっていることは普通じゃないと解っている。

それでも。


──待ってくれなかった君が悪い。


少しずつまぶたが落ちていく幼馴染を見守ってから、僕は彼と共にシロガネ山を下りた。



04-裏切りと救済は紙一重

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