見つからない花

ノートには四十二本の線がある。


今は四十二日目の夜だ。何度も数えたから間違いない。何故だかとても静かだ。それでもいつレッドが来るか分からない中で眠りにつこうとは思えなかった。仮に何らかの方法で侵入されたとしても対抗する術なんてないが、無抵抗の状態に自らなれるほど図太い神経は持ち合わせていない。レッドも焦っているはずだ。どんな手段で来るか解らない。


それにしても今夜は本当に、風の音がよく聞こえるくらい静かだ。葉が擦れる心地よいその音は、まるであの夏の記憶を運んでくるようで。


疲労が蓄積した身体はもう限界で、ほんの少しだけ、心とは反対についウトウトと──眠りについてしまった。




***


戸を叩く音で目が覚めた。カーテンの隙間から光が差し込んでいる。朝まで眠ってしまっていたようだ。⋯⋯思いの外、俺は図太い神経の持ち主だったらしい。


「大丈夫かい? 今までよく耐えたね。もう安心だ」


扉越しのワタルの言葉に一気に全身に熱が行き渡るのを感じた。慌ててノートを開き、勢いよく四十三本目の線を引く。


終わった。全部終わったんだ。ゆっくりと長くため息を吐く。永遠のようにも思えた恐怖の日々は終わりを告げた。身体の震えが止まらない。


「⋯⋯返事が無いな。まさか何かあったんじゃ──」

「あ、ワタル! 俺は大丈夫だ。いま開ける!」


ワタルの訝しげな声に慌てて返事をして、一刻も早く太陽の光を浴びるために扉を開けた。



そうして最初に目に飛び込んできたのは、ワタルでも、身体を優しく包むような陽の光でもなく──




美しい満月だった。




夜が、明けて、いない?


全身に悪寒が走る。

もう遅い。




***


グリーンが小屋に籠もってから四十三日目の朝。ワタルは自らグリーンの元へ朝食を持ってきていた。

全てが終わって酷く消耗しているはずだ。馴染みのない一族のものより、知り合いの方がまだ安心するだろう。そう思ってひとまずはワタル一人で様子を見ることにしたのだ。


小屋の扉を叩く。


「大丈夫かい? 今までよく耐えたね。もう安心だ」


──返事がない。寝ているんだろうか? それとも、何かあったのか。何だか厭な予感がして、ワタルは躊躇せずに扉を蹴り開けた。


小屋の中を見て、思わず息を呑む。


「なんてことだ⋯⋯」


部屋の中は、壁も、床も、あちこちに大量の血が飛び散っていた。しかもそれを何度も何度もこすったような跡がついている。痕跡を消そうというよりも、そこには血の一滴も惜しいかというような執念が見える気がした。そして何かを探していたかのように部屋中が荒らされている。


グリーンの姿はどこにもない。


部屋の真ん中にある血で汚れたノートには正の字が八つと下の字が一つ、計四十三本の線が書かれている。その近くには彼がいつも身につけているペンダントが落ちていた。チェーンの切れたそれを拾い上げてよく見ると、ロケットペンダントのようだった。写真などを入れておけるアクセサリーだ。


開けると中には小さな押し花が収まっていた。シロツメクサだ。どうしてこんな野花をグリーンが大事にしていたかは知らないが、部屋が荒れているのはこれを探していたからじゃないか、という気がした。


死んでなお生き続けるその花は、入り口から差し込む陽の光に照らされて、心なしかほんのりと熱を持っているように感じる。



そしてその後、どんなに探しても彼の死体が見つかることはなかった。




***


── グリーン。手、出して。左手。

── ああ。

── 結婚してください。

── はは、ままごとみてぇ。

── 返事は?

── はいはい。

── 真面目に。



一生幸せにするから、幸せにしてくれよ

約束する




青く澄んだ空の下。

トキワの森にある小さな白い花畑。




誰も居ないその場所に、ただ一陣の風だけが通り抜けていく。




side story - R


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