裏切り者
レッドと結ばれた俺は、書類上では他人だが、まるで夫婦のように同じ家で共に過ごした。実りの秋を過ごし、今は冬を迎えている。
しかし順風満帆、幸せな毎日──とはいかなかった。別に喧嘩をする訳でも、他人から不幸な介入を受けている訳でもない。ただ、なんだかつまらないのだ。レッドとの生活が。
関係が明白に変わってからというもの、レッドの俺に対する態度はまあ、優しくて甘い。それが嫌な訳じゃないのだが、もしかして俺はライバルとしてのレッドが好きだったんじゃないかってくらいには不満を感じてしまう。
恋人同士のときはまだ、互いに張り合うことも多かったから。
それに同棲を始めてからというものレッドが真面目に実力派トレーナーとして活動するようになってしまったので、中々休みが合わなかったりする。
──つまりは刺激が欲しかった。
互いに稼ぐ量が多いので生活水準は他人に比べるとすこぶる高い。そもそも同性同士で両思いなんてなかなか無いだろうし、文句を云うなんて贅沢だ。
それでも俺は、無意識の内に新しい風を求めてしまった。
***
「よ! トキワジムのグリーン! またサボってんの?」
いつものようにジムを抜け出し、誰も居ないグレン島で岩肌を背もたれに座ってぼうっと海を眺めていると、上から声が降ってきた。見上げると逆さまで生意気そうに笑う少年の顔がひょっこりと出ている。
「いっつもサボってるみたいに云うなよ。まあ、サボりだけどな」
声を掛けてきた主は黒と黃の帽子を被った十四歳の少年、ゴールドだ。最近ジムバッジを渡してやった実力の高いジョウト出身のトレーナー。ジョウトのジムを制覇して暫くはフラフラ過ごしていたらしいが、ワタルに勧められてカントーのジムも回ることにしたらしい。
レッド以外で俺と同等の実力を持つトレーナーは初めてで、正直こいつとのバトルはとても楽しい。
なんだか妙に懐かれてしまったが、俺もゴールドのことは気に入ってるので声を掛けられる度に相手をしてやっている。
「ジム行くよりこっちに来たほうが大抵会えるし。ほーんと迷惑なリーダーだなぁ」
「お前な。云っとくけど俺はお前より年上だからな。生意気な口聞くんじゃねぇよ」
「貴方もそういう事気になさるんですねー、グリーンさん?」
あまりにも違和感が酷かったので、やっぱり今まで通りでいい、と云うとゴールドは「ほらな?」と笑った。何がほらな? だ。
上から飛び降りて俺の隣に座ったゴールドは、手を頭の後ろに組んで同じく岩肌にもたれた。
「飽きもせず海眺めて、何が楽しいんだよ?」
「お前にこの良さは解らないだろうな」
「全っ然解んないね! 物凄くつまんなそーな顔で冬の海眺めてるヤツの気持ちなんてさ!」
ぎくり、とした。今の生活に対してとか、レッドに対してとか、そういった考えや想いが見透かされたような気がした。
「仕方ないからまたオレがジョウトの面白い話でもしてあげるよ。あんた何気に楽しみにしてるだろ?」
「まさか。でもお前の話は割と好きだぜ」
横目でゴールドを見れば相変わらずニヤニヤとした笑みだったが、少し嬉しそうだ。生意気で反抗的で、云いたいことははっきりと云う。そんなゴールドの性格を好ましく思う。そして何より俺はゴールドの目が好きだった。
性格も顔も話し方も、何もかも違うのに、その目だけはレッドに似ていた。
一緒に居て気楽で、バトルでは全力で潰しにかかってくる熱情が刺激的で、正直なところ俺はこの頃レッドと過ごすよりゴールドと過ごす方が楽しく感じてしまっている。
お互いに恋愛感情は無いんだから、浮気ではないはずだ。心の奥の罪悪感をそうやってごまかした。
そんなことを考えてしまう時点で遅かったのかもしれない。
***
今日はジムも休みだというのにレッドのやつはリーグ本部に呼ばれてしまったので、俺は一人で久々にハナダの恋人岬に訪れていた。冬空の下に佇む鐘は新しいものに取り替えられている。一度落ちたことが噂になったのか、誰も居なかった。
何でこんな場所に来たかと云うと、レッドへの想いを再確認するためだ。
──誰にも祝福されなくたって、お前への気持ちはこの先も変わんねぇよ。
あの時の言葉に嘘はない。結ばれた日を思い出せば、薄れそうになる恋心を取り戻して、愛しさが募る。それで安心する自分に違和感を抱いていると、後ろから邪魔が入ってしまった。
「あれっ、グリーンだ。珍しい。こんなとこで何してんの?」
「──それはこっちのセリフだよ」
聞き馴染んだ声に振り返れば、目を丸くしているゴールドが立っていた。俺の隣までやってきて鐘を見上げる。
「そういや、この鐘って何? 何でこんなとこにあるんだろ」
「二人で三回鳴らせば永遠に結ばれるんだってさ。半年前は人気スポットだったんだけどな」
「あはは! なんだそれ。世の中のカップルはそんなことしないと不安になんの?」
不安になるんだよ。思わずそう反論しかけて、やめた。こいつに云ったところできっと何も理解しない。それに世の中の恋人たちは多分、そんな重たい気持ちでこの鐘を鳴らさなかっただろう。
「あんたはこういうの信じるタイプ?」
「──いや」
顔を覗き込むように尋ねられたので、逸してそっけなく答えた。不自然だっただろうか。こいつが聞いたら何て云うかな。本当は少しだけ、恋人と鳴らした鐘が落ちたことが今でも引っかかっているなんて。きっと大爆笑するに違いない。
「まぁオレは信じないけど。でもどんな音するのかは気になるなー。せっかくだし一緒に鳴らす?」
「は? な、なんで。一人で鳴らしてろ」
「やっぱ信じてんだ」
「信じてない!」
ゴールドは鐘を鳴らす紐に触れて、こちらを振り返ってにしし、と笑った。
「別にオレだってあんたと恋人になりたいなんて毛ほども思ってないって! 気にするなら友情を結ぶって思えばいいじゃん。でもそうかー、トキワのジムリーダーはこういうの信じちゃうんだー」
「ああもう! 鳴らせば良いんだろ!? 仕方ないからやってやるよ!」
確かにゴールドの云う通り、絆を結ぶ程度に考えればまあ、いいか? ただ腹が立ったので、絶対に三回以上鳴らしてやろうと紐を強く握った。
俺が握っている場所の少し下の方をゴールドが握る。
「よっし、じゃあ景気よく行ってみよー!」
「っしゃオラ!!」
「うおっ」
俺は思いっきり強く下に引っ張った。ゴールドが驚いて前のめりになる。大きく揺れた鐘は勢いよく音を響かせた。
カーン、カーン、カーン、カ⋯⋯
四回目が鳴ろうとしたとこで、いつの間にか出てきていたワタッコが鐘を止めた。ゴールドの手持ちのポケモンだ。ゴールドは下で肩を震わせている。
「ぷっ、はは、だっははは!! あんた勢いつけすぎ!」
「な、なんで止めたんだよ」
「そりゃだって、壊れちゃうじゃん。次のカップルが鳴らした時にタイミング悪く外れて落ちたらさすがに可哀そうだし」
三回鳴らしてしまった。信じてるわけじゃないと云いながら、俺は呆然としてしまう。ゴールドは笑いが治まった後、俺のコートの袖を思い切り引っ張った。思わずよろめいて、気がつけばすぐ近くにゴールドの顔があった。
「これで永遠に結ばれたって? あんたすっごく嫌そうだったのにな。残念でしたー。あはは!」
この野郎⋯⋯!
こいつは本当に信じてないんだろうな。意地悪い笑顔が憎らしい。気にする自分が馬鹿らしくなってきた。
「お前マジで嫌い」
「あれー? おっかしいなぁ? 鐘を三回鳴らしたのにな?──ほら、所詮迷信なんだって。あんたが何を気にしてるのか知らないけど、こんなの鳴らしたとこで何も変わらないんだよ」
パッと腕を離して肩をすくめる。そこで俺ははた、と気づいた。
──もしかして、慰めようとしたのか?
「お前って、なんつーか、意外と不器用なやつだな」
「はぁぁ? 喧嘩売ってる? 何ならここでバトルする? オレのテクニックに翻弄されてみる?」
「バカ、褒めてんだよ」
「どこが!」
本気でご立腹の様子のゴールドに、俺はやり返せたような気分になって楽しくなった。心がすっきりとして清々しい。
俺が笑うと、暫く不満そうに口を尖らせていたゴールドも、つられたように笑った。
***
朝起きてリビングのソファーに座り、何となくテレビをつけるとニュースの時間だった。表示されたテロップに、俺は眠気が一気に飛んだ。
──ハナダ岬の鐘、壊される
昨日ゴールドと鳴らしたあの鐘が、何者かによって粉々に割られたらしい。偶然だと解ってはいるものの、嫌な感じだ。詳しく見ようと身を乗り出すと、ぷつ、と画面が真っ暗になった。いつの間にか後ろに来ていたレッドが消したらしい。
顔を向けるとレッドは「おはよう」と笑った。
「ごめんグリーン、最近なかなか一緒に休み取れなくて」
「あ──ああ、まあ、仕方ねぇだろ。気にすんな」
「でも今日は一日休みだから。テレビなんて見てないで一緒に喋ろう」
レッドはローテーブルに二人分のカップを置き、俺の隣に座る。カップを手にとって匂いを嗅ぐと、ハーブティーのようだった。爽やかなミントの香りがする。こいつにしては気が利くな。そう思いながら一口飲めば、全身にじんわりと温かさが広がっていった。
レッドは暫くじっとこちらを見つめてから、自分もこくりと飲んだ。レッドはハーブティーが苦手なので、普通のお茶だ。
「最近、何だか楽しそうだね」
ぽつりと呟かれたレッドの言葉に、俺は何故か鼓動がドッドッと早くなる。別に疚しいことなんて無いはずだ。ゴールドと鐘を鳴らしてしまったけど、あの場には誰もいなかったし、そもそも鳴らしたのは何というか、ノリだった。お互いに恋愛感情なんて一ミリもない。
喉が乾いて、手にあるハーブティーについ何度も口をつけてしまう。
「そ、そうか?」
「新しい友人でも出来た?」
しん、と不自然な沈黙が一瞬だけ部屋に落ちる。
「──いや、相変わらず人は滅多に来ないし、ずっと独りだよ」
どうして自分でも嘘を吐いたのか解らなかった。素直にゴールドという年下で生意気な友人が出来たと云えば良かったんだ。
でもレッドが誤解をするかもしれないから。傷つけてしまうかもしれないから。だからきっと、云えなかった。
「そうなんだ。友人じゃないんだ。じゃあ──」
あの男は何?
その瞬間、俺は全身の力が抜けた。落としかけたカップをレッドが咄嗟に掴む。気が遠くなっていく。とても眠い。自分の意に反して瞼が落ちていく。
「効いてきたかな」
「レッド──なん、で」
座ってられなくて、レッドの方へと倒れ込んだ。もう指一本すら動かせる気がしない。
「バレてないと思ってたんだ?」
──必死に隠しちゃって可愛いね。
レッドの声が遥か遠くに聞こえた。
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