予兆
十八歳の夏。トキワの森にある小さな白い花畑。
そんな童話みたいな場所に男二人で腰を下ろしていた。見上げれば丸くて青い空がぽっかりとあいている。風にそよいで擦れる葉の音が心地良い。
「グリーン」
名前を呼ばれて隣を見れば、真剣な顔をしたレッドがいた。木漏れ日を浴びたその姿はどこか子供時代を彷彿とさせる。
そもそも今日ここに俺を連れて来たのはレッドだった。キャンプの割には身軽で、散歩の割にはもう長いことこの花畑でぼうっとしている。
でも俺は、レッドが何をしたいのか、少しだけ心当たりがあった。
「手、出して。左手」
「ああ」
云われた通りに左手を出すと、レッドは薬指に何かをつけた。それは野花で作られた指輪だった。
「結婚してください」
「はは、ままごとみてぇ」
花畑や薬指のそれが自分たちと似合わなすぎて笑みが零れる。返事は? と神妙に聞いてくるからどうにも照れくさくて、はいはい、と適当に答えると、「真面目に」と不満そうに返された。
だから俺も、適当に摘んだ花で輪っかを作って、同じくレッドの左手の薬指に結んでやった。陽だまりに咲いたその花はほんのりと熱を持っている。
「一生幸せにするから、幸せにしてくれよ」
「約束する」
今のカントーにはまだ同性婚が認められていない。でも一緒に居ることを咎められるわけでもない。実際、明日から俺とレッドは同棲を始める。
三年前にひっそりと恋人の関係になってから、ようやくここまで来たかと思うと感慨深い。
書類上はどうせ何も変わらないけど、レッドの中で明確な関係の変化をつけたかったんだろう。だからこんな子どもじみた事をしている。本物の指輪をつけるわけにはいかないから。それにしてもトキワ──永久に変わらないという由来の森でプロポーズなんて、とんだロマンティストだ。
「じゃ、次」
「まだ何かあんのかよ!」
「むしろ次がメイン。ほら」
立ち上がったレッドに手を差し伸べられる。いつもとまるで立場が逆だ。レッドの強引で不器用なエスコートも悪くない。
トキワの森を抜けて、互いにリザードンとピジョットに乗り向かった先はハナダの岬だった。切り立った崖の近くに、ぽつんと結婚式で使われるような鐘が下げられている。恋人岬の鐘、と呼ばれるカップルに人気のスポットだ。今は珍しく誰もいない。
ポケモンをボールに戻して鐘の近くまで二人で歩く。潮風が髪を揺らして、太陽に輝く海と突き抜けるような青い空は、これからの明るい未来を描くようだった。
「この鐘を二人で三回鳴らすと永遠に結ばれるんだって」
「へぇ、お前そういうの信じんの? 意外だな」
「まあ、信じてはないけど──」
グリーンとこういう事するのも悪くないと思ってさ、とレッドが笑うから、俺も何だか乗り気になって鐘を鳴らすための紐を握る。その手の上にレッドの手が重なった。
「なんか、照れるな、こういうの」
「カスミは勢いつけて鳴らしすぎたって。ゆっくりやろう」
そうして二人で静かに紐を引いた。
カーン⋯⋯。一回目。
カーン⋯⋯。二回目。
カーン⋯⋯。──三回目。
これで永遠に結ばれたのか。
まるで実感が沸かなくて、こんな純粋なことをしている自分たちが馬鹿らしくて、二人で笑った。
ガン!
四回目。鈍くて大きくて醜い音。
驚いて音の主に目を向ければ、先程まで綺麗な音色を遠くまで響かせていた鐘が、地面に落ちてひび割れていた。
俺もレッドも、無言でそれを見つめた。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
おいおい、ちゃんと整備しとけよな。どうすんだよこの空気。最悪じゃねぇか。
入道雲が太陽を遮って、一瞬だけ視界が暗くなる。
「お前の愛が重すぎたんじゃねぇの?」
「──そうかもしれない」
茶化してみたものの嫌な空気は払拭できなかった。レッドは地面に転がる鐘から目を逸らさない。
「まあ、誰にも祝福されなくたって、お前への気持ちはこの先も変わんねぇよ。レッドもそうだろ?」
「もちろん」
そもそも認められた関係じゃないから、祝福の鐘が応えてくれるはず無いんだ。それでも一緒に居たいと思ったんだから、こんな迷信めいたもので落ち込むなんて馬鹿らしい。
ようやくレッドはこちらを向いて、小さく笑った。
今思えば、これはほんの予兆だったのかもしれない。
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