二周目:DENY
──ねぇ
──大丈夫?
遠くから誰かの声が聞こえる。
──おーい! ⋯⋯動かないなぁ。よっぽどショックだったのかな。
ここには誰も居ないのに。幻聴だろうか? いっそ幻でも良い。こんな場所に独りで過ごすくらいなら。
──ほら! 顔上げろってば! あーげーろー!
なかなか鬱陶しい幻だ。今は動く気分じゃないのに、この幻は怠惰な己を許してくれない。だから仕方なく──グリーンはゆっくりと顔を上げた。
「⋯⋯ゴールド?」
「はいはい、愛しのゴールドくんですよー」
幻にしてはやけにはっきりとしている。辺りを見渡すと、そこは墓ではなく最初のスズの塔だった。どこも赤くない。揺れない柱だけが中心にあり、一見して出口が見当たらない。一番最初にここに来たときと何も変わらない。ゴールドも身体が元通りになっているし、どうやらループしたようだ。
「ゴールド、よかっ──」
「いやーさっきの墓でのあんた傑作だったなー!」
「──は?」
思考が追いつかないグリーンに対して、ゴールドは朗らかに笑う。
「一人って思い込んだあんたの顔! ゴールドごーるどぉって可愛いーの!」
「ま、まさか──居たのか?」
「ずっと居たよ。あんたは見えてなかったみたいだけ──うおっ」
屈んでグリーンの顔を覗きこんでいたゴールドを思い切り突き飛ばした。勢いよく立ち上がり、グリーンは握った拳をわなわなと震わせる。
「お前! 人が、どんだけ──! くそっ」
「あーさっきまでは寂しそうにゴールドぉって泣いてたのになー」
「泣いてねぇ! そんな風にも言ってねぇし!」
肌も生きた人間で、腕も足もちゃんとある。元通りのゴールドに安心してしまったが、弱みを握られたみたいで全くもって面白くない。というより羞恥心でまともにゴールドの顔を見れなくなった。
「ああもう! 嫌いだ! 心配して損した。お前ほんっと性格悪いな!」
「ごめんって。別に意地悪しようって思ったわけじゃないんだよ。ほら、自分が必要とされてるって、なんか、嬉しいっていうかさ。だからついね」
そう言うゴールドの表情は、なんだか本当に嬉しそうで、腹に煮えていたものは冷めてしまった。
「──まあいいや。お前が無事で良かったよ」
「お互いね。とりあえず、また先に進んでみよっか。ここでこうしてたって何も変わらないし、つまんないし」
「つまんないって⋯⋯お前な」
「慣れってやつ」
調子の良いことを言いながら、ゴールドはグリーンの手を握って柱の裏にまわり、変わらずそこにある階段を下りていく。
***
「相変わらず暗いな」
「怖い?」
「得体の知れないって意味では」
階段を下りた先でヒノアラシのハリーがフラッシュを使う。照らされたその場所は相変わらず内臓の中のようで気持ち悪い。またしても進む度に弱まっていく背中の火を、ハラハラとしながら見つめた。
奥には看板があり、最初と同じく「今スグ引キ返セ」と書かれている。
「で、どうすりゃいいんだ?」
「この言葉を否定する」
ゴールドはすぅっと息を吸い込んだ。
「僕たちはここから逃げない」
逃げる? 引き返せ、に対して? 何となく疑問に思っていると、ゴールドにぐいっと腕を掴まれ、グリーンは思考を中断した。
「ほら、あんたも」
「えっ、なんでわざわざ⋯⋯」
「いいから! 前回だって叫んだでしょ。今更恥ずかしいとか無いよね?」
「いやあれは──解ったよ⋯⋯俺は、俺達は、ここから逃げない」
すると元来た道からゴゴゴ、と何かが動くような音がした。
「うん──それでいいんだよ」
「⋯⋯ゴールド?」
「音の方、行ってみようか。ハリーもまだ頑張れるみたいだし」
ゴールドに抱かれているヒノアラシは、キュ!と鳴いた。火は相変わらず弱々しいが、覇気はあるようだ。ひとまず大丈夫そうで、グリーンはほっと胸を撫でおろした。
元の場所に戻ると、いつの間にか扉が出現していた。ドアノブに手をかけると、特に鍵は掛かっていないようで簡単に開けることができた。
扉を開けた先は、迷路のように入り組んだ洞窟のようだった。とはいえ道が途中で別れている、という訳でもなく、一本道で迷わず進むことができる。暗いわけでもないのでヒノアラシはボールの中で休息中だ。
「あんたと永遠にランデブーってのも悪くないかもね」
「馬鹿言うな」
「分かってるって! 冗談だよ。じょーだん!」
笑いながらゴールドはグリーンの手を一旦離して手持ちのモンスターボールを確認し、はた、と止まった。
「どうした?」
「またアンノーンが⋯⋯」
「なんて文字になってる?」
「⋯⋯⋯⋯」
ゴールドは立ち止まって黙り込んでいる。
「なにかまずいのか?」
「ううん、ちょっと待って、今ボールから出すから」
強張った表情でゴールドが出したアンノーンは、N、I、Lの三匹だった。何故か全員赤い目をしている。
「今回は三匹だけ?NIL?ゼロって意味か?」
「LINかも」
「どっちにしろ意味分かんねぇな。で、ゴールドは何か気になったのか?」
いや、と言いながらゴールドはアンノーンをボールに戻し素早くカバンにつっこんだ。
「赤い目してたから、びっくりしたんだ」
「ああ──何か意味でもあるのか⋯⋯」
「考えたってどうしようも無いけどね」
ゴールドは手を繋ぎ直さないまま歩き始める。
「手、繋がないのか?」
「繋いでほしいの?」
「そういう訳じゃ──! お前が最初にはぐれるからって言ったんだろ!」
「時空が歪んだ時だけでいいかなって思い直した」
「ああそう⋯⋯」
階段下りるときは繋いでいたくせに──
まあ別にグリーンだって好んで繋ぎたい訳じゃない。繋がないなら繋がないで別にいいのだが、ずっと繋いでいたせいで何だか──少し手がもの寂しいというか、違和感があった。
でもそんな理由で繋ぎたいなんて言ったら本当に子どもみたいだ。
「ああ、出口が見えてきたよ。入り口かもしれないけど」
ゴールドの指す出口は眩しくて、その先がどうなっているのかは判らない。それでも慣れっていうのは恐ろしいもので、そこまで構えることもなくその先へと踏み出した。
***
「レッド⋯⋯?」
光の先はシロガネ山の最奥のような場所だった。そこに佇むようにレッドがいた。相変わらず幽霊のように少し透明だ。その後ろ姿に慌てて駆け寄って腕を掴もうとしたが、その瞬間に消えてしまった。
「大丈夫? とうとう幻覚でも見えだした?」
「幻覚?」
「何もない場所に急に走り出したから」
「⋯⋯見えなかったのか?」
何を? ときょとんとするゴールドに、グリーンは何でも無い、と返した。本当に幻覚だったんだろうか。幻覚というなら、この世界そのものが幻のように感じるが。ゴールドの方を振り返って、グリーンは── 一瞬息が止まった。
「ご、ゴールド、おまえ⋯⋯」
「え? なになに!? なんで怯えてんの? 僕いまのとこ五体満足だけど!?」
「顔が、無い」
確かにゴールドは身体に異常は無かったが、顔が、無くなっていた。赤いスズの塔で見た人たちのようにのっぺらぼうだ。
「顔が無い? 喋れてるのに? ──顔が見えないってこと?」
ゴールドは絶句するかのように固まり、ほんの少し、震え始めた。
「は? どういうことだよ、何だよそれ。そんなの今まで無かった、なんで、あんたが、あんたが忘れたんじゃないの、僕の顔」
「ゴールド⋯⋯?」
ゴールドはグリーンに詰め寄り、胸ぐらを掴んで乱暴に引き寄せる。近くで見てもその顔は何も無かった。
「だってそうだろ? こうやって喋れてるんだから、無い訳無いんだよ。僕がおかしいんじゃなくて、あんたが見えて無いんだ!」
ぎりぎりと力が入り首が締まっていく。あまりにも急に豹変するものだから、戸惑いが脳を支配してすぐに動けなかった。
「あんたも──あんたまで僕を忘れんの!? なあ!?」
「お、落ち着け、一緒にいるのに忘れるとか、ないだろ」
明らかに様子のおかしいゴールドの手を優しく掴んで、落ち着かせるように肩を撫でると、ゴールドはハっとしたように力を抜いた。
「──あ、うん、そうだよな、うん⋯⋯ごめん、なんか、取り乱した」
「いや、俺も悪かったよ。お前だって不安なのに──配慮が足らな過ぎたな」
「ううん、大丈夫。僕は、グリーンがここに来てくれて、本当は、凄く安心してるんだ。嬉しかったんだ。今はちょっと取り乱しちゃったけど──うん。もう大丈夫」
ゴールドは深呼吸を暫く繰り返して、いつも通りに笑った──ような気がした。
「そういや、ポケモンたちどうなってるかな」
誤魔化すように改めてゴールドが手持ちを外に出すと、Xのアンノーンが四匹と、バクフーンがいた。
「なんだこいつ」
「ヒノアラシの──最終進化」
「ハリーが一気に進化したってことか?」
「うーん⋯⋯でも名前が変わってる。プリーズだって。変な名前。僕はもっとセンスいいよ」
バクフーンにも顔が無かったが、グリーンは何も言わなかった。ゴールドもそれに関しては触れなかった。ただ少し寂しそうに眺めただけだ。
「あとなんか、いつの間にかたまごがある」
「たまご⋯⋯」
「そのうち孵るかもね。あのさ──」
ゴールドはまたグリーンの手を握った。
「手、繋いでいい?」
「もう繋いでるじゃねーか⋯⋯別にいいけど」
暫く道沿いに歩いていると、モンスターボールからギャウっと鳴き声が聞こえた。小さなボールから様子を伺うと、バクフーンの身体は半分無くなっていた。ゴールドはぎゅっとボールを握りしめて静かにバッグへ戻した。その時ちらりと見えたアンノーンたちは、D、E、X、Xだった。
──疲れている。
明らかにゴールドは消耗している。特にあの──迷路のような場所を抜けている辺りから、ここまで。それはそうだろう。ポケモンを失ったり、身体を失ったり、明るく振る舞っているが一番恐怖を感じているのはゴールドのはずなのだ。それでも、どう声を掛ければいいのかグリーンには分からなかった。
「──僕は、おかしくないよね?」
「⋯⋯お前はまともだよ」
だから代わりに、ゴールドの手を少し強く握った。
ボールからアンノーンが飛び出す。
D、E、N、Y。DENY──否定。
ゴールドもグリーンの手を握り返す。
「──誰にも、否定なんてさせない」
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