一周目:DYING
「何だよこれ⋯⋯」
ゴールドの言葉を信じるのであれば、最初のスズの塔に戻るはずだった。しかしここは、スズの塔らしき場所ではあるが、最初の場所とは明らかに違う。
全てが赤いのだ。柱も、床も、何もかも。そして今回は奥に道が続いている。
この世界に意味や理を求めようとする事がそもそも間違っているのかもしれない。それでもまるで血のように見えるその色は、訳もなくグリーンを不安にさせた。
「なあ、ゴールド」
「うーん、どうやらまだループしてないっぽいね」
「そう──うわぁぁあ!!?」
相槌を打とうと声のある方へ顔を向けて、思わず叫んだ。
「あ、あ⋯⋯」
「あはは、初めて聞いたあんたのそんな声!」
床に仰向けに倒れているゴールドの、全身の肌が、白い。
目からは血が流れていて、腕も、足も⋯⋯
「とうとうダルマになっちゃったかー。キャタピーみたいに這わなくていいのは良いね。運んでよ」
「⋯⋯⋯⋯っ」
「あ、気持ち悪い? そりゃそっか。僕は感覚麻痺しちゃったけど⋯⋯普通の人間が一緒ってやっぱいいな。まともな頃に戻れそう。厭なら置いてってもいいよ。この世界を──ぶっ壊してくれるならね!」
ごろ、とゴールドが首を傾けると、どろりと両目から血が溢れる。また上げそうになった悲鳴を必死に飲み込む。
「いや⋯⋯連れてく」
どんな姿になったってゴールドであることに変わりはない。それに今ここで離れてしまえば──もう二度と会えないかもしれない。
ゴールドは少し嬉しそうにした後、ちょっと待って、と抱えあげようとしたグリーンを静止した。
「僕の手持ちどうなってる?」
ゴールドに言われボールからポケモンを全て出してみると、そこにいたのは五匹のアンノーンと赤い色をしたセレビィだった。色違いが存在したんだろうか? 手帳を見るとセレビィは最大レベルだった。
「アンノーンはD、Y、I、N、G⋯⋯DYING──死にかけ、か」
「誰のこと指してるんだろうね?」
「どう考えてもお前だろーよ⋯⋯ほら、さっさといくぞ」
ボールに戻してゴールドのバッグに適当につっこむ。
腕が無い以上、おぶることは出来ないので、グリーンはゴールドを横抱きにして運ぶことにした。
「わーい最強ジムリーダーのお姫様だっこだー」
「ふざけんなよ、何でこんな──酷い目にお前が遭わなくちゃいけねーんだ」
「⋯⋯あんたに優しくされたからかもね」
「はぁ?」
柱の後ろに続く長い道を歩いていると、途中に人がいた。声をかけようとしてやめた。全員顔が無かったからだ。のっぺらぼうの親父、主婦、女性男性⋯⋯。誰もグリーン達に反応しなければ一言も喋らない。人と思わない方が良さそうだ。
ゴールドも特に気にしていないようだった。
「手持ちにセレビィがいるってことは、多分あいつが近くにいる」
「あいつって?」
「僕がこの世界で何度もバトルしてるやつ」
「俺たち以外にも人がいるのか」
「あ、僕のことまだ人って認識してくれてんの? 嬉しいなぁ」
「⋯⋯当たり前だろ」
長く続く道をひたすらに歩いていくと、行き止まりが見えた。行き止まりにも人がいた。
それは身体の先が透けて見えるような、幽霊のような存在だったが、グリーンはその後姿をとてもよく知っていた。
「待て、なんで、あいつが⋯⋯」
「やっぱり出たな──」
「レッド!!」
***
レッドらしき男とは一瞬目が合った気がしたが、それはすぐに逸らされ、男は帽子のつばをくい、と持ち上げボールを投げた。中からはピカチュウが出てきた。哀しそうな目をしていた。
「レッド、なんでレッドが⋯⋯」
「ん? 知り合い? とりあえずさっきのセレビィ出して!」
「え? あ──」
思考が上手く働かず戸惑っていると、セレビィは自らボールから出てきた。そして双方トレーナーの指示を待たずに攻撃を始める。
「勝手に戦ってるけど、大丈夫なのか?」
「僕の指示聞いてくんないんだよね。向こうもそうみたいだけど。とはいえあのセレビィ、大抵ほろびの歌した覚えてないから関係ないんだけどさ」
先手はピカチュウの『呪い』。高い火力と素早さで相手を落とすレッドらしからぬ技だ。
そしてセレビィの『ほろびの歌』。どうしてこの技しか覚えていないのか。きっとゴールドに聞いたところで解らないのだろう。とにかく早めにアンノーンにでも交代させないと──
「アンノーン、居ないと思うよ」
「えっ」
「いつもあいつとのバトルになると、ポケモンはお互い一匹ずつだけになるんだ」
「じゃあもうこのバトル──」
ピカチュウの『やつあたり』──思わず絶句したが、威力はあまりないようだ──覚えるはずのない『じたばた』。セレビィはひたすら『ほろびの歌』を歌い続ける。最悪のバトルだ。そもそも『ほろびの歌』の効果でもうお互い倒れているはずなのに戦いは依然として続いている。『ほろびの歌』は形だけで効果は無いようだ。
ぼろぼろのセレビィにピカチュウは哀しい表情のまま『くろいまなざし』を放つ。これもピカチュウが覚えるはずのない技だった。何よりどの技もレッドが覚えさせるとは思えなかった。
そしてピカチュウの攻撃によりセレビィは倒れた。それと同時に何故かピカチュウも倒れた。二匹とも、瀕死状態というより、これじゃまるで、もう──
「レッド! お前──」
ぐん、と下に引っ張られるような感覚と、もう何度も味わった世界が闇に飲まれていく情景。
意識を失う前にグリーンが見たのは──
首の無いかつての幼馴染だった。
***
「何なんだよあれは!?」
次の場所は誰かの部屋だった。ベッドやパソコンが置いてあり、シンプルな男の部屋って感じだ。だがグリーンはそれどころじゃなかった。
「なんでレッドがあんなとこにいるんだ!? なんでピカチュウがあんな辛そうな顔してんだよ!?」
だんっと壁に拳をぶつける。ぶつけた拳がひりひりと痛む。
「ていうか、最後ピカチュウが倒れたのって、自爆とか、そういった技か? じゃああのピカチュウは技を五つも覚えてんのか? 覚えるはずのない技ばっか⋯⋯レッドがそんな、ポケモンに無茶させるとは思えねぇ! あいつは誰だ? 本当にレッドなのか? しかも最後あいつ──」
「落ち着きなよ」
「落ち着いてられるか! レッド⋯⋯! どうして⋯⋯」
苛々と落ち着かずに呟いていると、ゴールドは態とらしくため息を吐いた。
「さっきからレッドレッドって⋯⋯なに? 好きなの?」
「なっ──は!? ち、ちがう!!」
慌てて否定すると、ゴールドは一瞬黙り込んだ。
「え、もしかして図星? へぇ⋯⋯別にいいけどさ、今は僕といるんだから、もう少し僕のことも気にしてくれて良いんじゃない?」
そう言えば、先程からゴールドの声は聞こえているが姿を見ていない。ようやく頭が冷静になってきて、グリーンはちゃんと部屋の中を見渡してみた。すると──
「⋯⋯っ!! ぁ、ご、ゴールド⋯⋯? うっ」
「あ、本当に気づいてなかったんだ。恋は盲目ってやつ?」
いた。いや、あった。パソコンの前にある椅子の上に、ゴールドの、首が。──首だけが。
「う、う──おぇっ⋯⋯げほっ、ぐ⋯⋯っ、かはっ⋯⋯ぁ」
「あーあーここ僕の部屋なんだけどなぁ。どうせ消えるからいいけど。大丈夫?」
頭では解っていても耐えられなかった。思わず床に胃の内容物を戻して、息が荒くなる。ゴールドは身体を失っていた。首だけになりながらも変わらずへらへらと笑っている。どんなスプラッタ映画でも生身の前では所詮作りものだ。いや、生身では無いんだろうが⋯⋯。
「ああでも何か、そそるね」
「何言って、はぁ、うっ⋯⋯」
駄目だ。直視できない。適当な壁に視線をそらしながら、口に手を当てて胃の動きが治まるのを待つ。
「冗談だよ。それにしても傷つくなぁ」
「わ、悪い⋯⋯もう少し、もう少し待ってくれ」
椅子からは視線を外したまま、ゆっくりと深呼吸する。幸い血生臭いわけではない。よくできた作り物だと思え。人形だ。意思疎通のできる。何だそれ。
「⋯⋯大丈夫。大丈夫だ。むしろ運びやすくなっていいじゃねーか」
「さっきよりめちゃくちゃ運び辛そうな貌(かお)してるけどなー」
ゆっくりとゴールドを持ち上げる。ずっしりとした重さが手に伝わる。
「⋯⋯っ」
「あの⋯⋯僕一応自分でも転がっていけるけど」
「そっちの方がトラウマになるわ! ⋯⋯あんま動くなよ」
「はいはい。お願いだから頭には吐かないでね。じゃ、取り敢えずそこの階段から一階に行こうか」
ゴールドの顔が前を向くように両手で抱え、一階のリビングへたどり着く。誰も居ない。部屋は薄暗かった。
「玄関出ると真っ暗だけど、大丈夫だから、前を歩き続けて」
「⋯⋯わかった」
ドアを開けると確かに闇が広がっていたが、ちゃんと地面はあるようで歩くことができる。感覚が狂ってつまづきそうになるのに気をつけながら、ゆっくりと前へ進んでいく。
急に明るくなった。
そこは荒野が広がっていた。
前方には、ゴールドによく似た誰かがいる。こちらは五体満足だ。
「なあ、あいつ⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
ゴールドは何も喋らない。
恐る恐る近づくと、ゴールドらしき人物はこちらに気づき、笑った。厭な笑い方だ。視線はまっすぐにゴールドへ向けている。
「まだこんなとこにいるんだ? いい加減諦めたら楽になるのにね」
ゴールドと同じ顔。ゴールドと同じ声。その表情は哀れんでいるのか馬鹿にしているのか判別がつかない。
「さよなら。今度こそ、永遠に」
トン、と胸を押される。背後はいつの間にか崖になっており、グリーンはゴールドとともに底へ落ちた。
***
落ちた先はまた墓だった。
相変わらずどんよりとした空が広がっている。
目の前には六匹のアンノーンがいる。
L、O、N、E、L、Y。
LONELY──孤独。
アンノーンは暫くグリーンの周りをぐるぐる回っていたかと思うと、空高く飛び上がり消えてしまった。ぼうっとそれを眺めていると、グリーンは手元が空になっていることに気がついた。
「あれ⋯⋯ゴールド?」
辺りにはグリーンしかいない。妙に馴れ馴れしい、でもこんな場所だと少し安心するような声が、全く聞こえない。
「おい、ゴールド? どこだ!?」
素早く見渡しても墓ばかりで他には何も無い。それでも目を右へ左へ上へ下へと動かして探してしまう。
「おい! どこだよ! いるなら返事しろよ⋯⋯! ゴールド!」
バクバクと心臓の音が大きくなっていく。無意識に呼吸が浅くなる。まさか。まさか。まさか。
「嘘だろ⋯⋯? こんなとこで一人きりなんて⋯⋯」
なんて悪夢だ。まさか、一生このまま──?
膝をついて、手をついて蹲り──グリーンは絶望とともに世界を遮断した。
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