一周目:LEAVE HURRY
──ねぇ
──生きてる?
遠くから誰かの声が聞こえる。
──おーい! ⋯⋯全然起きないなぁ。これは死んでるかな。
真っ暗な意識の水底から、少しずつ浮上していく感覚。
誰かが身体を揺さぶっている。もう少し寝ていたいのに、声の主はそれを許してくれないようだ。
──でも今までこんなこと無かったし。
──起きろー! 起きろってば!
ああうるさい。しつこい誰かの大声に、どんどん意識が覚醒し──グリーンはようやく瞼をゆるく持ち上げた。
「ん⋯⋯」
「お、ようやくお目覚め? おっはよー!」
目に入ったのは床も天井も木で作られた和風な空間。真ん中には大きな柱。見覚えのない場所に自分がいることに気づいたグリーンは勢いよく上半身を起こした。
「ど、どこだ!?」
「あー良かった! 生きてる!」
その瞬間、先程から妙に馴れ馴れしく話しかけていた少年が腰にがばーっと抱きついてきた。
「うわ!? お、おい! 何するんだよ!」
「いーじゃん減るもんじゃないし。あー久々の人肌落ち着くなーっ」
「減るとか減らないの問題じゃない!」
驚いてようやく少年の方に目を向けると、見知った相手だった。見知った相手なのだが──
「あれ、お前って確かカントーに来てたジョウトのトレーナーだよな。ええっと──悪い、名前なんだっけ?」
名前が思い出せない。グリーンは人の名前を覚えることに苦手意識を持ったことはないし、ましてや一度負けた相手の名前を忘れるなんてこと、あるはずが無いのに。
「僕の名前? んー⋯⋯ゴールド? 」
「なんで自信なさげなんだよ」
ゴールドは顎に拳を当てて首を傾げる。幼子でもそんなに考え込むような質問じゃない。訝しげな視線を向けると、ゴールドはへらへら笑ってバッグからトレーナーカードを取り出した。
「ほら、トレーナーカードの名前の欄消えちゃってるからさぁ」
アナログの紙ではなく電子カードなのに、確かに名前の欄は時が経ち劣化したかのようにかすれていて読めなかった。
他の箇所は普通に読める。お金は上限まであり、バッジも図鑑も全て制覇。見た目と雰囲気からは想像もつかないほどのやり手トレーナーだったらしい。
いや、それにしても。
「自分の名前だろ?」
「ずっとこんなとこいたら、自分の名前だって分かんなくなるよ」
「こんなとこ⋯⋯」
そうだ、直前まで自分がどこに居たのか思い出せないが、少なくともこんな場所に来た覚えは無い。全く無い。知り合いがいるからまだ正気を保てているが、目が覚めたら見覚えの無い場所にいる、というのは中々に恐怖だ。
「そもそもここはどこなんだ?」
「スズの塔、かな? 僕も正直よく分かってないけど」
「スズの塔──エンジュにある塔か。来るのは初めてだな」
「あ、そうなん? じゃーぜひ実物見に行ってほしいね! あそこの柱、今は何故か動いてないけど、本当はずっと揺れてるんだよ」
ゴールドが指差す部屋の中央にある大きな柱は、確かに微動だにしていない。そもそもこの部屋がおかしいのは柱だけじゃない。見渡した限り階段や出口が何処にも無い。ゴールドとグリーン以外に人がいない。そして──
あれ?
手元にはカバンも、常に持ち歩いているモンスターボールも無かった。そんな馬鹿な。どうして。得も知れぬ不安が、寒気となって背筋をなぞる。
──落ち着け。焦ったってどうにもならない。とにかく今は状況を把握しないと。
「なあ、口ぶりから察するに、ゴールドも知らないうちにここに居たんだよな?」
「うん。あんたが来るよりずっと前からね」
「俺はどこから来たんだ?」
「さあ? 気がついたら居た」
ゴールドもグリーンと同じ立場であるなら、これ以上しつこく聞いたところで、どうやってここに来たのかは解明できなさそうだ。
「お前カバンあるよな、何持ってる?」
「アイテムは何も。カバンはからっぽ。それどころかポケギアすら無いからめっちゃ不便。ポケモンはいるよ、ほら!」
そう言いながらゴールドは六つのボールを取り出して空へ投げる。すると中から現れたのは五匹のアンノーンと一匹のヒノアラシだった。どちらもカントーには生息していないポケモンだ。
「こいつはヒノアラシ。名前は──ハリーだって」
「だってって何だよ。お前のポケモンじゃないのか?」
「少なくともアンノーンは僕のじゃないよ。ハリーは⋯⋯僕の相棒だとは思うんだけどなぁ。ただバクフーンまで成長させたし、違う名前つけた気がするのに手帳にはハリーって書かれてるし、フラッシュとにらみつけるしか覚えてないし⋯⋯ちょっと自信無いや」
何もかも意味不明だが、これだけは判る。この世界は明らかにおかしい。まるで現実味が無い。もしかするとグリーンが思う以上にまずい事態に巻き込まれているのかもしれない。
ヒノアラシのハリーは弱々しげにキュウと鳴いて、ゴールドの足に擦り寄った。
「そいつ、ボロボロじゃねぇか」
「うん⋯⋯回復させてあげたいんだけど、傷薬が無いから」
ゴールドはヒノアラシを優しく撫でてボールに戻す。手元に何もないグリーンにはどうすることも出来なかった。
「あとはいつの間にか増えたり減ったり入れ替わったりするアンノーンたち! グリーンって古代文字読める人?」
「ああ、まあ、勉強したし大体読めるけど」
「ふぅん。さっすがー! まあ僕も読めるけど! アンノーンはね、全部で二十六種類いて、それぞれ古代文字みたいな形してんの。ほら、この五匹のアンノーン、それぞれの文字分かる?」
「ええっと、L、E、A、V、E⋯⋯LEAVEか」
「正解。毎回何かしらの単語になってんだ。意味深だよね?」
LEAVEのアンノーンと、ハリーという名のヒノアラシ。
LEAVE HURRY──早く出ていけ?
いやまさか。だとしたらこれは誰の言葉だ? いたずらにしては気味が悪い。
ゴールドはアンノーンを全てボールに戻した。
「で、あんたは──なんにも持ってないね」
「ああ⋯⋯ボールはどんな時でも、常に持ち歩いてんのに⋯⋯」
自分でも予想外に不安な声が出てしまった。ゴールドはグリーンの背中をぽすぽす叩く。
「大丈夫大丈夫! あんたのポケモン強いし! 出口探しながら一緒に探そう! 最強トレーナーが二人もいるんだから絶対なんとかなるって。ひとまず此処から出ないとね」
「出るって、どうやって」
差し出された手を素直に受け取り立ち上がると、ゴールドは自信ありげに鼻を鳴らして、親指で柱を指した。
「僕も最初来たときは戸惑ったけど──柱の裏に隠し階段があるんだ。隠しっていっても此処から見えないだけで、裏に回れば普通にあるんだけどさ」
グリーンの手をぐいぐい引っ張ってゴールドは柱の裏に回る。確かにそこには下りの階段があった。ただ何だか──厭な雰囲気だ。何がどう、と具体的には言えないけれど。
「ね?」
「あ、ああ」
ゴールドはまるで何も感じていないかのように、こちらに笑顔を向ける。そこでようやくグリーンは繋がれっぱなしの手に気がついた。
「分かったから、いい加減離せよ。いつまで握ってんだ」
「こんな意味不明な場所ではぐれたら面倒だろ?」
「まあ⋯⋯」
「ほら、さっさと行こ!」
男同士で手つなぎなんてぞっとしないが、他に人も居ないし、確かにこの場所は常識が通じなさそうな予感がするし、仕方ない。グリーンは諦めてゴールドに引っ張られるまま階段を下りた。
***
「真っ暗じゃねぇか」
「足元気をつけて! ちょっと待ってね、ハリー! フラッシュ!」
階段を下りた先は一寸先も見えないほどの暗闇だった。入り口から差し込むはずの明かりも階段が終わる頃には全く無くなった。ゴールドが叫ぶとボールから出てきたヒノアラシは背中の火で辺りを照らす。
「うわ⋯⋯」
そこは木ではなく石で作られた洞窟のような、どこかの地下のような、八畳くらいの狭い空間だった。天井が低くて圧迫感がある。そして何より薄気味悪いのは──床も壁も天井も、全てが赤いことだ。まるで内臓の中みたいだ。
目の前には細い一本の道があり、そこは灰色の床になっていた。
「なんだよ、ここ⋯⋯」
「何処だろうね。何となくアルフの遺跡の雰囲気に近いけど。いやここまで気味悪くないけど」
「スズの塔じゃなかったのかよ」
「いろんな空間切り貼りしたみたいな場所だからなーここ。あんたが来るまで正直永遠に覚めない悪夢だと思ってた」
「現実とは思いたくねぇな」
「とにかく進もっか」
ゴールドは片手でヒノアラシを抱えながら、片手でグリーンの手を握り直し灰色の道を進んでいく。前へ進む度に火が弱まっていき、少しずつ辺りが闇に侵食されていく。後ろを振り向く勇気は出なかった。
「お、おい。大丈夫なのか? そいつ⋯⋯」
「⋯⋯多分。どっちにしろ、ここでフラッシュ止めるとまずいし」
「それはそうだけど⋯⋯」
ある程度進むとまた狭い空間があり、真ん中に看板が立っていた。ヒノアラシの火を近づけるとそこに書かれていたのは──
今 ス グ 引 キ 返 セ
暗くて黒に見えるその文字は、何故かはっきりと頭が血だと認識した。
ぞわり、と背中に走った悪寒を誤魔化すようにグリーンは──
「言われなくても! こんなとこ! 帰れるなら帰ってんだよ!!」
「え──」
叫んだ。
その瞬間、火は消え──世界は闇に包まれた。
***
「痛って⋯⋯」
グリーンが目を覚ますと、どんよりとした空が見えた。外に出れたのか? と喜んだのも束の間、起き上がって見渡しても辺りは墓だらけだ。墓場にしてはそれはグリーンを取り囲むように密集しており、己のいる半径二メートルほどの空間だけがぽっかりと空いている。墓はどこまでも続いているように見える。
「ここは⋯⋯」
「おはよ」
「ゴールド? ──ひっ!?」
ゴールドは疲れたような顔であぐらをかき、そこにヒノアラシを乗せていた。その姿を認識した瞬間、グリーンは思わず後ずさってしまった。冷たい墓石が背中に当たる。しかしそれは仕方の無いことだった。何故なら──
「おまえ、腕が⋯⋯!」
「うん、無くなっちゃった」
両腕が無い。服も引き裂かれたかのように袖が無くなっており、腕が付いていたはずの場所は赤黒く濡れていた。
「結局またこいつは守れなかったなぁ」
ゴールドの視線の先にはヒノアラシがいた。ピクリとも動かない。その周りを三匹のアンノーンが浮遊している。
R、I、P。
古代の墓によく書かれている文字だ。意味は確か──
安らかに眠れ。
さぁっと血の気が引いた。
「あ⋯⋯そんな、なんで⋯⋯なにが、どうなって⋯⋯」
「あんたは平気ってことは、もしかして僕が呪われてんのかな? あんたは僕に巻き込まれてるだけだったり?」
先程までとあまり変わらない様子のゴールドに、グリーンの混乱は加速していく。何なんだ。どこなんだ。どうしてこんなことになってるんだ。身体が震えてくる。何で死んで、何で腕がなくて、何でそんな、なんでこいつは──!
「大丈夫? 叫びたかったら叫んでいいよ。案外そうした方が落ち着くかもよ」
こてん、と首をかしげて優しくこちらに語りかけるゴールドは、どうしたって腕が無い事実に変わりはない。
「どうして、そんな、平気そう、なんだよ⋯⋯! お前は一体──」
「言っただろ。僕はあんたが来るよりずっと前から──多分、もう何年も前から──ここにいるんだって」
──は?
「僕はもう何度もこの世界を探索して、ヒノアラシを失って、身体も失って、また最初のスズの塔に戻るを繰り返してるんだよ」
「なんで⋯⋯」
「さぁ? 僕が知りたいよそんなん。まあだから、暫くしたらまた元の場所に戻るだろうし、あまり心配しなくていいってこと!」
ふぅ、とゴールドはため息をこぼして、空を見上げた。
「取り敢えずさっきの看板は肯定しちゃ駄目」
「⋯⋯なんでだよ」
「とにかく駄目なの! 肯定すると、ここに飛ばされんだ。僕はこんな状態になるし、ヒノアラシは──こうなるし。散々だから」
「⋯⋯ごめん。その、勝手に行動して、悪かった」
「気にしない気にしない! そもそも事前に僕が言うべきだったね」
大丈夫だと笑うゴールドの姿は、何度見ても腕がなくて、痛々しかった。目を伏せるように動かないヒノアラシを見つめる姿も、グリーンの罪悪感を募らせた。深呼吸を一つして、ゴールドの側に屈み、目線を合わせる。
「俺にできることがあったら何でも言ってくれ」
「あはは、いいね。優しい。癖になりそ」
「馬鹿言うな」
暫くすると空間が混ざり合うようにぐるぐると辺りが歪み、また暗闇に呑み込まれていく。
はぐれるかもしれない、というゴールドの言葉を思い出し、何となく足首を掴んでるうちに、意識もぐるぐるとして遠のいていく。
次に目が覚めたら、もう少しマシな世界でありますように。
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