かぜっぴき
これはマサキが高校二年生の頃の話。
「マサキさん、本当にすみません、お忙しいのに⋯⋯」
気持ちのいい風が吹くとある朝、マサキはマサラタウンの姉弟が暮らす家に訪れていた。
それは昨日の夜──マサキが通うヤマブキの高校から提供されている寮へ帰宅した直後のこと。突然ナナミから電話が掛かってきて、グリーンが熱を出した、明日はどうしても外せない用事があるから面倒を見てもらえないか、とひどく恐縮した様子で頼まれたのだ。
「いえいえ! 気にせんとってください。オーキド博士にはお世話になってますし、困った時はお互い様っちゅーか⋯⋯」
オーキド一家との付き合いはだいたい六ヶ月ほどになる。シルフカンパニーで製品テストを兼ねてコンピューターをいじらせてもらっているところ、たまたまオーキド博士と会い、才能を買われて目を掛けてもらっている。
正直同年代の誰よりも恵まれた環境にいる自覚があるマサキとしては、このコネは大事にしていきたい。もちろんオーキド家の心優しい姉と、自分に懐いてくれる幼い弟に対する情もあって、二つ返事で看病を引き受けた。
「それに僕もうすぐ妹できるんで、いい予行演習になりますわ──って、これはさすがに不謹慎やな、すんません」
「いえ、ふふ⋯⋯妹さんが生まれるんですね。おめでとうございます。きっと可愛くて仕方ないでしょうね」
「そらもう、この前なんて妹用の絵本いくつか買うてもうて、親に気が早いって笑われました。妹に誰?って言われんように、生まれたら頻繁に帰省しようか思ってます」
とぼけて見せると、ナナミは優しい瞳で笑った。グリーンが生まれてきた日を思い出しているのかもしれない。
「ま、グリーンくんのことは僕に任せて、お仕事行ってきてください。どうしても外せへんのでしょう?」
ナナミは若いながらも優秀なポケモンコーディネーターとして名を馳せている。周りからの勧めと本人の希望により出場したポケモンコンテストで瞬く間に優勝し、それからはテレビや取材のオファーがたくさん来ているらしい。ただ本人としては弟が最優先のようで、そのほとんどを断っている。
たまたま引き受けたコンテストの特別審査員をする日に限ってグリーンが熱を出してしまい、辞退しようにもチケットの購入者の大半がナナミ目当てなんだと運営に泣きつかれてしまったのだとか。
「はい──今日のために沢山のお金と人が関わっていて⋯⋯それでもグリーンの傍にって思ったんですけど、グリーンが行けって言って聞かなくて⋯⋯」
「姉思いの良い弟やないですか」
「甘えるのが下手なんです。私の力不足だと思うともどかしくて⋯⋯」
「ナナミさんかて、たまには人に甘えてもええんですよ」
「⋯⋯確かに、甘えるのが下手なのは私の方なのかも──ああ、もう船の時間だわ。じゃあ、グリーンのことお願いします。何かあったら連絡してください」
そう言ってナナミは丁寧にお辞儀をして家を出ていった。まるでグリーンの母親かのようにしっかりしている。マサキよりひとつ年下であるはずの彼女は随分と大人びて見えた。
両親がいない事と、10歳年の離れた弟の存在が彼女をそうさせているのだと思うと気の毒に思えたが、本人は幸せそうなので同情するのは逆に失礼かもしれない。
***
「まさき」
二階に上がると、ぼうっと窓の外を眺めていたグリーンがこちらに気が付き、嬉しそうに笑った。ベッドの脇にある小さい椅子に座って一息つくと、グリーンがイタズラっ子のような目をこちらに向けてきた。
「ねーちゃんによばれたの?」
「そらもう、グリーンが熱出した聞いてすっ飛んできたわ」
「うそだ。ねーちゃんにイイトコみせたかったんだろー」
「そんなんちゃうわ! その年でおませさんやなぁ」
思ったより元気そうやん、と言おうとしたら、ケホケホと咳込み始めた。背中をさすって水の入ったコップを渡すと、素直に飲みこんでいく。
「朝ごはんは食べれたん?」
「うん。ねーちゃんがおじや作ってくれた。ちゃんとぜんぶ食べたぜ!」
「えらいなぁ」
頭を撫でつつさり気なく熱を見たところ、高熱という程ではない気がしたが、夕方頃にはまた上がっていくかもしれない。グリーンは暫く大人しく撫でられたあと、もぞもぞと布団に潜り込んだ。身体が少し震えている。
寒いん? と声を掛けたが、言葉にもならない声を発するだけなので、素直になった方がはよ治るで、と諭せば小さく「さむい」と返ってきた。
「毛布とか、どこにあるか分かるか?」
「けほっ⋯⋯そこ」
グリーンが指を差した押入れを開け、薄い毛布を取ってふわりと重ねる。
「暑なったり、しんどなったらまた言ってな」
「ん⋯⋯」
急に大人しゅうされると調子狂ってまうな、なんて考えていると、まさき、とグリーンが不安げにこちらを見上げた。
「おれ、このまましんじゃうのかな⋯⋯ねーちゃんがすごくしんぱいしてた⋯⋯」
「君のお姉さんが心配性なだけや。こんくらいで死ぬわけないやん。えらい弱気やなぁ。いつもの快活な君はどこ行ってもうたん?」
「カイカツ?」
「めっちゃ元気って意味や」
なんかうまそう、とよく分からないことを言ってケホケホと何度か咳をしたあと、グリーンはベッドについていたマサキの手を掴んだ。ご飯は食べれているようだし、後はできるだけ寝た方がいいんだろうが、まずは本人が感じてる不安を取り除いてあげるべきか。
「おれがしんだら、ねえちゃん、ないてくれるかな」
「そらごっつ悲しむやろ。わいも嫌やわ。そんなこと言わんとってぇな」
「あのさ⋯⋯おれ、しぬとき1人でしぬ気がするんだよ⋯⋯じいちゃんも、ねえちゃんも、みんないそがしいから⋯⋯げほっ」
「今はわいがおるやろ?──ってせやから死なへんって。ただの風邪や。ちゃんと寝ればすぐ治るやつやで」
「いまじゃなくて、いつか、しぬとき⋯⋯。おれ、あんまいい子じゃなくて、かわいげないから⋯⋯おれのまわりに、だれもいない気がするんだ」
普段のグリーンからは想像もできない心の吐露だった。僅か6歳でそんな風に思うなんて、グリーンは大人に囲まれた中でどれだけ寂しさを抱えてきたのだろう。身体の年齢と精神年齢が中途半端にずれてしまうと、その分孤独が生まれてしまうのかもしれない。普段生意気で騒がしいのは、それを感じたくない一心だろうか。
マサキが6歳のときなんて、いつか死ぬ日が来ることすら、きっと考えたこともない。
「6歳児が何を言うとんねん。あんな、これから未来グリーンは、友達やったりライバルやったり、先輩やったり後輩やったり、上司やったり部下やったり、ぎょうさん人と関わっていくんやで。それにトレーナーなりたい言うとったやろ? ポケモンっちゅー頼もしい仲間もたくさんできるで」
「できるかな⋯⋯」
「できるできる! まぁ君次第やけどな。わいが保証したるわ」
「なんかできる気がしてきたな⋯⋯おれ、だまされてない?」
「本心やって! 自分で思うとるより君結構ええやつやで」
なんだそれ、とグリーンは笑った。少し元気を取り戻せたようだ。
「マサキ、いもうとできんの?」
「下で話しとったん聞こえてたん? せやで」
「いいな。おれもほしい」
「妹がこっち来ることあったら遊んだってや」
「いいけど⋯⋯おれ、あんましあそび知らない」
「ああ──」
マサラタウンは人が少ない。グリーンくらいの歳の子は他にいないから、年頃の子どもらしい遊びをあまり知らないのも無理はないかもしれない。ナナミも家事をしなくてはいけないから、結局は1人で遊ぶことが多いんだろう。
「ほんじゃ、妹が大きなるまでわいがごっつ面白い遊びを伝授したるわ」
「ほんとか!?」
「まあ、まずはその風邪治してからやな」
「どうやったらなおんの?」
「たくさん寝ることやな」
「じゃあねる!」
「あ、その前にもうちょい水飲んどこか。ジュースの方が良かったら持ってきたるで。さっき冷蔵庫見たけどいろいろあったで」
そう聞いてみると、グリーンは少し言いづらそうにしてから、はちみつのやつがいい、と言った。
「蜂蜜のやつ?」
「ねーちゃんがつくってくれんの」
「うーん⋯⋯はちみつ湯か? 分かった、作って来たるから待っとってな」
階段を降りて一階のキッチンへ向かい、とりあえずはお湯を沸かした。人の家のキッチンを漁るのはどうにも抵抗があったが、綺麗に整頓されていたためすぐに蜂蜜を見つけ出すことができた。
相手は子どもだし、少し甘めにした方がいいんだろうか。一応味見をしつつもよく解らないままにはちみつ湯を作り、ガーディのイラストが描かれたマグカップに注ぐ。
二階に上がれば、マサキのもつマグカップを見たグリーンが少しだけはにかんだ。はい、と渡すと中身を見たグリーンは一瞬訝しげな顔をしたが、何も言わずにそのまま一口こくりと飲んだ。
「どや?」
「ねーちゃんのやつとちがう」
「あれ、果物でも入れとったんかな。それとも生姜か?」
「ねーちゃんのはもっと白い」
「あー、もしかしてはちみつミルクやったかな? せやったら全然ちゃうなぁ。すまんな、わいの力不足や」
ううん、とグリーンは首を振ったあと、へへ、とこそばゆそうに笑った。
「なに笑とんねん」
「マサキのやつ、まずいけど好き」
「変わっとるなぁ」
お気に召したのか召さなかったのか。
グリーンはまずいと言いつつ全部飲み干して、そのまま布団にまた潜り込む。そしてマグカップを片付けようと立ち上がりかけたマサキの腕を掴んだ。
「⋯⋯おれが寝るまでここにいて」
「寝た後もおったるわ。ええ夢見れるようにな」
「⋯⋯ん」
椅子に座り直して頭をひとなですると、グリーンはマサキの腕を離して気持ちよさそうに目をつむった。
→おまけ
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